紙さまが無い

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

紙さまが無い

 深夜23時45分。  俺はある個室にいた。    極小空間でやや臭うその場所は、一人の男を極限まで追い込んでいた。  死ぬのか、いや、死ぬより恥辱の辱しめに遭い俺は死ぬしかないのかと頭を抱えていた。  人生最大のパニック!  そう、俺はパニックの中にいた。  夕食、六日も前に作った肉じゃがが冷蔵庫の奥に残っていることに気づいた俺は少し迷い…食べて片付けた。少し舌にピリピリくる感じはしたけど酸味は感じなかったので大丈夫だと思っていたんだけど、他に考えられない。怪しいのはあの肉じゃがだけだ。  田舎のコンビニ?っぽい店のトイレに閉じこもって30分以上。  お腹がぐるぐる、線上降水帯のような豪雨が何度も襲っていた。  食中毒?  ヤバイ?  救急車?  いや、いや、いや、  お尻から垂れ流しのまま運ばれるなら死んだ方がいい。  が、何より困っていたのはトイレットペーパーが無いことだった。  いざとなれば、汚れたお尻のままパンツを履いて家に走って帰るしかない。  それでも、それだけなら自分の黒歴史が増えるだけだったが、そこに神様はとんでもないギフトをくれたんだ。衝撃的なサプライズ! 「おい、おまえら、動くな!」 「俺は強盗だ!騒ぐな!」  そんな大きな声が店内で響いた。 「客の奴らはレジの前に集まれ」 「これは本物の拳銃だ」 「変な真似をしたら殺すぞ!」    えっ、強盗?  一瞬、トイレの中で助かったーと思った。早くお金をぶん取って店から出ていってくれってお店には悪いけど思った。  だけど、この強盗犯は店を出て行かなかった。  どうやら立てこもるつもりらしい。  なんで?  犯人はちょっと用事があってここに少しいるって言っていた。  なんで?  どう考えてもハテナ?でしょう。  逃げなよぉ~。  迷惑だからレジからお金を鷲掴みして店主をなんなら軽く殴って出て行ってくれませんか~!って言えるわけもなく、俺は緊張と便意の2つと戦っていた。 「おとなしくしろ!」  また怒鳴る声がした。その代わり静かにしているなら縛ったり拘束はしないとも言ってた。ただし、逃げたり逆らう奴は容赦なく殺すーとも言ってた。  俺はどうすればいい?  まずい。  このままトイレから出ればお尻にもぐれ付いた便の臭いで恥辱の極み、あの女性?がいたら極みの頂点。ここにいても隠れてると誤解され逆上して何をされるか分からない。  犯人を刺激してはダメだ。  どうしよう?  俺は香川秋世(しゅうせい)32才、一人暮らしのバイト生活。縛られるように働くのが嫌いで生活費ギリギリを稼ぐ程度に働いて生きていた。  恋も友達も面倒なものは一切いらない。  ただ、夜中の0時の時間だけ誰かと一緒にいたかった。だから毎日のようにその時間にここに来ていた。この田舎で開いているお店がそもそも少なくて家からも近いこともあって常連になっていた。  それにこの店の店主は70代のいつもニコニコしている好好爺って感じのおじいさんで、どんなに長居をしても嫌な顔もされない。  だから、夜中にいつもこの店に来る人は俺だけじゃない。  話せば話し相手もしてくれるから、人生相談をしている奴もいる。 「店の者は1人か?」 「はい」 「客は5人でいいな?」 「あのー、」  トイレで聞いていた俺はヤバいと思った。常連の奴らが俺に気づかないわけがない。 「たぶん、トイレに、」 「トイレ?!」  犯人が強い口調で復唱する声が聞こえた。  チクッたのは20代のいつも来る太った男だ。引きこもりらしいが夜中にここに来てお菓子を買って帰る。とても気が弱そうだったから何でも喋りそうなタイプだ。 「おまえの名前は?」 「合田正孝です」 「おまえがトイレを見てこい!」 「はい!」  俺は覚悟を決めた。  トン、トン、トン、 「誰か、居ますか?」  トン、トン、トン、  俺は扉を叩き返した。 「あの~、いました」  合田さん?が震える声で犯人に報告していた。 「出てこい!そう言え!」  犯人がそう言うと律儀に、 「出てこい!だ、そうです」  そう俺に言ってきた。  俺はカギを開け、扉を少しだけ開けて、 「出たいんだがトイレットペーパーが無くて困っている、持ってきてくれないか?」  そう思いきって頼んでみた。  すると合田さんは律儀に犯人に大声で、 「トイレットペーパーが無くて出られないから、持ってきてくれないか?って言っています、どうしましょうか?」  そう言った。  ガサガサガサッ。  なんだか雑音のような荒々しい摩れる音と犯人の足音がして、それが確実にトイレに迫ってきた。  俺はドキドキした。 「これを渡せ」  犯人の声がしたかと思うとトイレの扉が半分ほど開かれて、合田さんがトイレットペーパーの入った袋をトイレの中を見ないように差し入れてくれた。 「あ、あ、ありがとぅ」    人生最大?の危機を、強盗犯に助けられて俺はトイレから出た。あまりのショックで下痢はその前に見事に止まってくれていた。助かった~のか? 「おまえら二人早く来い!」  俺はトイレから出ると犯人と目が合った。  犯人はドラマのように覆面をしているイメージで想像していたが実際は覆面も何も被らず、髪は短髪。深夜でもまだ暑い季節だが服は着過ぎてくたびれたスーツ姿だった。  年齢は分かりづらかったけれど50代ぐらいで、目が細くて鋭くて恰幅もよく背も高くてヤクザって雰囲気もあった。    人質はほかに4人。    一人は20代後半?の女性で、病院に勤めてるって店主と話しているところを聞いたことがある。名前は確か白木可憐さん。  少し早くこの店に来るとよく出会うのだけれど綺麗な人で、俺は今夜少し早めにこの店に来たのも実は少しだけ彼女に出会うことを期待していたからだ。  恋とかそう言うんじゃないけど、自販機やアイスクリームの当たりのように、自分の運勢を勝手にそれで占っていた。  会えたら大当たり!と。  怯えると言うより少し迷惑そうな渋い顔を下に向けてる人が一人。  名前は下平大河(たいが)だったと思う。宅配便の受け取りもこの店をよく使ってる人だから名前はすぐに覚えてた。  小柄な男で10代に見える。たぶん高校生じゃないかな?  いじめられてるみたいで店主によく相談してた。両親は共働きで一人っ子。見た目はイマドキって感じの子供でそれなりにイケメンで喋りも普通でいじめられっ子という雰囲気は何もない。  世の中は不思議だ。  わからない。  あとの二人は知らない。  二人とも全身を黒の服でまとめていて若そうに見えるが30代か?  かなり痩せた男たちだ。  気になったのが、背の高い方が茶色いバッグを抱きしめるように抱えていたこと。  なんだか、大切なものでも入っているような感じ。  常連はまだ何人かいるけど、必ず毎日来るわけじゃない。  でも、この状況で店に入って来たら相当驚くだろうと思った。  
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!