ランドリー

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 さすがに申し訳なくて、吉崎は深々と頭を下げた。 「うん、どういたしまして。そんなことはまあいいんだけど、ほいこれ」  財布から一枚のカードを差し出される。なにか文字が書かれてあるが、暗くて読み取れず目を凝らした。すると芹澤がルームランプをつけた。ぱっと明るくなり、名刺だとわかる。 「創現書房……、井上遥、さん? なんですか? これ」  吉崎でもわかる有名な出版社名で、女性の名前は社員、だろうか。その下に電話番号が黒文字で書かれてある。吉崎の頭に、疑問符が並んだ。 「俺は名刺ってもんを持ってねえからさ、返事がオッケーならとりあえずこれ渡しとけって担当さんが」 「え、なんで?」 「俺がうさんくさいからだと。はは、まあ否定できんけど」  それはかなり、いや百パーわかる。 「今回の件はこの担当のおねーさんもよくわかった上で進んでる。証明ってほどじゃねえけど、おまえを騙そうって話じゃないし、あやしいなーってんなら電話して確認取ってもらっていい」  吉崎は名刺に目を落とした。井上遥、とつぶやくと、「直通だからな」と彼はつけ加えた。 「あとはそうだな、もちろんフィクションだから蒼くんとはべつじんの話になる。本来ならモデルっつーか、取材対象ってことで謝礼もあんだけど、あー、バイトって学校としてはどうなんだ?」  吉崎は首を振った。 「うち、バイト禁止なんです。学業優先っていうか……」  質問に答えながら、ほんとうに自分はただの学生なのだと思い知った気がした。 「なーんか、蒼くんに悪いことばっか教えてる気分になるな」 「だからもー……、からかうなってば」  芹澤のいたずらめいた口調に対抗しようと、二の腕を軽くグーで押してみる。すると彼はやっぱり、ははは、と笑ったので、吉崎は眉根を寄せた。このひとに、どうすれば太刀打ちできるのだろう。  彼はルームランプを消した。車内がふたたび真っ暗になる。急に夜の闇が襲ってくると、ほんとうに悪いことに手を出したような気分になって背筋がむずむずした。 「そんじゃまあ、俺ん家で話し相手にでもなってもらえたらいいか。謝礼はそうだな、できあがった本か。そんなもんだけど、うちを図書館代わりにでも使ってベンキョーしててくれや。俺はてきとうに仕事してるし、本ならくそほどあるしな。あと、わかってると思うけど社外秘なんで。だれかになんか聞かれたら取材とかなんとか言ってごまかして。よろしく」  ぽんぽんと話が進んでいるが、吉崎がすべきことは芹澤の問いに答える簡単なものだということは理解できた。彼の淡々とした口調は、合間合間に吉崎をおちょくるものとはちがって、予定調和を言語化していく「仕事」の姿が見て取れる。やましいことも、未成年者へのいたずらでもなんでもないのだと。  取材、と浮かぶ。微妙に体と心のバランスが取りづらく、むーっと口を引き結んだ。 「おーい、どうした?」  とつぜん芹澤から顔を覗き込まれ、頭をぐしゃぐしゃとなで回される。なぜだか頬がかっと熱くなり、「ちょっと」とその手を払った。すると、肘にショルダーバッグが当たる。妙に硬くて、思い出した。
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