ランドリー

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 作家ご用達? と考えながら名前を記す。じっと見られながら書くのは変に緊張して、ふだんより文字がいびつになる。いつもはもっとちがうのに、とおよそきれいとは言い難い右上がりで書かれた名前を芹澤に返した。彼は「へえー」と感心するように言う。 「蒼くんか。かっこいいね、いい名前」  さっきまでふざけていたくせに、急に面と向かって褒めてくるってどうなんだ。照れくさくて、吉崎は咳払いをひとつしてとりなした。 「それであの、話ってなんですか?」  さっさと聞いて帰りたい、とも言わなかった。一応。 「まあー、それはあれだ。追々」  やけに濁される。ひょっとして品定めされているとか? 値踏みされているのなら即撤退。と心に決める。  すると、先程のコンシェルジュが来た。「前菜の盛り合わせでございます」となめらかな動作でサーブする。 「本日アルコールはいかがなさいますか?」  コンシェルジュが芹澤をうかがった。 「きょうは車なんですよ。次回楽しみにしてます」  芹澤の表情が、ふと変化した。柔和でもあるし、きりりと引き締まって隙がなくも見えた。仕事だと一瞬でわかるそれは、吉崎を動揺させる。このひとはおとなで、車の運転もして、作家で。ちょっと敷居の高い店であっても、ちっともおじけづかないひとなのだと。 「おい。マナー気にすんなよ? 箸で食え。俺も箸で食うから」 「え、あ、はい」  かと思えば、こうしてまた吉崎と同じ位置に目線を合わせる。「いただきます」とちゃんと言い、右手で箸を持つ。「この葉っぱうめえな」と言葉を砕く。 「いただきます」と吉崎も手を合わせた。 学校の授業では習わないことばかりが矢継ぎ早に出題され、吉崎は知っている範囲で正解と思しき言葉を使うしかなかった。彼は「どうぞ」と目を伏せて、穏やかに微笑んだ。  高校何年? 勉強大変か? 芹澤は、当たり障りのないことを吉崎に尋ねた。二年です。勉強はべつに。そう答えた。彼の話す言葉は、ゆっくりで、子どもをなだめるような、どこに聞かれても問題のない質問ばかりだった。  食べながら話すしぐさも、悠然でもなければとくべつな魔法みたいになだらかでもない。これだったら、文字を書くしぐさのほうが、よほど目を惹いた。  会話のなかで、彼の言う「話」の内容も掴めないし、次第に「作家」という職業も曖昧になってくる。 「あの」 「んー?」 「芹澤さん、と呼べばいいでしょうか」 「はは。いいよ」  初対面のひと、しかも年上となると呼びかたまで気を使ってしまう現象ってなんだろう。 「おれの友人が、本気で芹澤さんのファンなんです。だから聞いてもいいですか?」 「どうぞ」  吉崎は、一度呼吸を整えるために水を飲んだ。繊細そうな軽くて細いグラスに入った水は、ほのかに檸檬の味がした。 「どうして作家業をやってるんですか?」  田嶋を言い訳にした。だけど聞きたかった。なにもない自分が見る、なにかを得ているこのひとが、なにを話すのか。 「俺の仕事だからだ。書くことが仕事、それだけ」 「え、なにそれ……」 「じゃあおまえは、なんで学生やってんだ? 蒼くん」
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