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箸を持つ手が、ぱたりと止まる。
学生である自分にこの男は、いったいなにを聞いているのだろう。なんで学生をしているのかなんて、高校生だから、勉強をするから、推薦で入学したから、母を安心させたいから、妹を置いてきたから、だから勉強だけはしないと。だから? だから学生をしているの?
何度も目をまばたかせ、吉崎は口をつぐむ。奥歯を噛み締め、眉をひそめ、思い知る。
くっだらねえ、たったそんだけの理由か。
自分のため、なんて言葉は一瞬でも思い浮かばなかった。もっと自分勝手でいいはずなのに、もっと楽しんでいいはずなのに、なにかがはじまるかもしれないって、思ったはずなのに。だから母だって、あんたは好きなことを見つけなさい、そう言ったはずなのに。
どうしておれには、なんでもいいからなにか、目標のひとつでも持てないんだろう。なにもない。
「実家は、農家なんです」
「へえ」
なんでおれは、と頭ではちゅうちょしているのに、口が、心が、ストップをかけてくれない。吉崎は暗くなった庭園を眺め、濃紺に色づく葉に焦点を定めた。ぽつりと照明が当たるときらきら光り、きれいだった。
「母は農業をしています。よくしゃべる元気なひとで、おれは推薦もらって今の高校に来ました。成績だけはよかったんです。母はおれに、好きなことを見つけなさいって言いました。それでこっちに来たんです。ほんとうは、大変だと思います。学費も、寮費も、おれの小遣いだって。農家って水商売で、天候にも左右されるし、時価だし、休みもないし、そんななのに、なんか、なんていうか、なんでおれは、好きなこともやりたいこともなにも見つからないんだろう」
「なるほどね」
芹澤のつぶやきは、目の前にある事実に相槌を打つ単純なもので、変な憂いもなくて、心地よかった。
「父はおれが十歳のころ亡くなりました。とても厳格なひとで、仕事ができたそうです。そう聞いています。おれはあんまりしゃべった記憶がなくて、実際おれをどう思ってたのか、もうわかりません。あのひとがなにを考えていたのか、おれになにを求めていたのか、父が生きてたら、今のおれのこと叱ってたかな、とか、発破かけてたかな、とか、それとも慰めてくれたのかな、とか」
なにか言ってほしかった、と思うのはわがままなんだろうか。
外の照明が、ぼんやりと光っていた。店内の会話も音楽も、中途半端な音量だったから邪魔にならなかった。ここにあるすべてが、吉崎にとっての第三者のようで、体にすんなり染み込んだ。
「死者を偲ぶのは」
吉崎が芹澤を見る。だらしなさも無防備さもない、だけど「仕事」の柔らかさもない眼差しだった。
「死者を偲ぶのは、生きてる人間にしかできない。特権だ。好きに使えばいい」
「え?」
「おまえがなにを思おうが、考えようが、詰るでもいい。自由だ。相手はもういない」
なんで、と思った。どうして、と拳を握る。どうしてこのひとは、いともたやすく、ほんのちょっとしたしぐさや言葉で、吉崎の世界をひっくり返そうとするんだろう。
なにかはじまるんじゃないか、と思わせる。たったひと言で。
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