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吉崎は上り電車に乗り、目的地に向かう。おそらく高校の近くにもあるのだろうが、どうしてか近場は避けたかった。べつに、たいした用じゃないのに。
電車を降りてすこし歩くと、大型書店はすぐあった。店に入ると、大勢の客のなかにちがう制服の学生も多くいて、その波を避けながら文庫本コーナーへ足を急がせた。創現書房の棚を探すと芹澤遼太の小説はだいたい揃っていて、「邂逅」もあった。一冊手に取り、裏を見る。
成人をむかえる直前、カイは自転車の旅に出る。さまざまな出会いになにを見つけるのか――というようなことが書かれてあった。「芹澤遼太鮮烈のデビュー作!」と帯に謳い文句も綴られており、ちょっとだけ恥ずかしくなる。あのひとは、こういう文を読んだときどう感じるのだろう。
いや、とくになにも思わない気もした。「売る努力してくださってありがとうございます」くらいだろうか。
レジで支払いを終え、本屋を出た。自分で小説を買ったのははじめてだ。吉崎は小説自体にあまり興味がなく、フィクションに入り込むのに時間がかかる。せいぜい課題図書を読むくらいで、買ってまで没頭する時間を持たなかった。だけど、あのひとが見た「邂逅」がどんなものか、今はそれが知りたい。
寮に戻る前、コインランドリーに立ち寄った。この日はひとり、女性が洗濯物を乾燥機から出してテーブルの上で畳んでいた。吉崎が入店したとほぼ同時に終わったようで、さっさと店を出て行く。吉崎は定位置の窓際の椅子に腰かけ、鞄から文庫本を取り出した。
冒頭を読みはじめる前に、ぱらぱらとめくってみた。紙のにおいというのは意外といいもので、小学校のおたよりを思い出す。思いのほか長そうで、これはミスったかもしれないというのが正直なところだった。
とりあえず一ページ目を通す。
――自転車を漕ぎはじめると、きんきんに冷えたコーラのことしか考えられなくなる。
一行目で、一旦閉じた。最初に出会ったのが作家ではない芹澤だったからだろうか。あのひとの内面を盗み見ているような気持ちが先に立ち、どうにも気恥ずかしくて続きが読みづらい。吉崎は席を立ち、本を鞄にしまってコインランドリーをあとにした。
寮に戻ると、田嶋に白状した。本屋で邂逅を買ってきました、と。すると彼は、「だと思ったー」とにやにやしていて、これもまたきまりが悪かった。
『蒼くんの空いてる日っていつ?』
と芹澤からショートメールがきたのは、あれから三日経った水曜日のことだった。平日は補習が入る場合もあるし自学も多いので、土曜日を指定した。すると住所が送られてくる。「シーメゾン」と記載されているのでおそらくマンションだ。時間も任せると追記されたので、十四時にうかがう旨を書いて送信すると、そこで連絡は途切れた。
業務連絡か……、とぽかんとした。
土曜日は十四時に間に合うように、コインランドリーでの洗濯を午前中に済ませた。空いた時間は窓際の椅子に腰かけ外を眺めるのではなく、カイの自転車の旅を追うようになる。すこしづつすこしづつ、吉崎はカイの世界に触れていた。
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