〈赤竜を駆る姫〉

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〈赤竜を駆る姫〉

 青天に、ひとつ嚆矢(こうし)を射るような、高い音が聞こえた。  見張り台で片膝を立ててうずくまっていたルィヒは、空を仰いだ。秋の終わりの、抜けるように青い空に雲がたなびき、その近くを小竜の群れが舞い飛んでいる。  ふいに、何か小さな物が陽の光をはじいた。  みるみるうちに大きくなって、ルィヒに迫ってくる。ルィヒはとっさに、腰から抜いた短剣の柄頭を使って、顔めがけて落ちてきた小さな欠片を叩き落とした。  指先ほどの大きさしかない金色の筒が、コロンと足元に転がった。  ルィヒは床にかがんで、ゆっくり転がっている筒を拾い上げた。薄い金属を曲げて作った物のようだ。中は空っぽだが、鼻を近づけると、何かが焦げたようなにおいがかすかにした。  ルィヒはその欠片を懐に仕舞うと、梯子(はしご)をかけるために見張り台の床に開けられた穴の縁に手をかけて下を覗き込んだ。 「カルヴァート!」  侍従(じじゅう)の名を呼ぶと、すぐに足音が近づいてきて、梯子の下に侍従のカルヴァートが顔を覗かせた。 「如何(いかが)されましたか。姫様」 「何か、音がした。聞こえたか?」  カルヴァートは無言で首を横に振った。 「そうか……」  ルィヒは衣越しに欠片に触れながら、何気なく後ろの景色に目をやり、はっとした。  寥々(りょうりょう)と広がる砂漠の一角に、小さく砂煙が立っている。  ほんの半ソン(約三十分)ほど前に通り過ぎた辺りだった。  風に散らされ、薄らいでゆく砂煙を目にした瞬間、いてもたってもいられないような焦りが胸を焦がすのを感じて、ルィヒは見張り台から大きく身を乗り出しながら小竜を呼び寄せる指笛を吹いた。 「姫様?」  驚いたように見張り台に上がって来ようとしたカルヴァートを片手で制して、ルィヒは、にこっと笑った。 「大丈夫。わたし一人で行く。  砂除けの防面(ぼうめん)(くら)を用意してくれるか?」  見張り台に下りてきた小竜に鞍を乗せて(くつわ)をかませると、ルィヒは、さっとその背に飛び乗って空に舞い上がった。  砂を吸い込まないように、鼻から顎までぴったりと防面で覆っているため、声で指示を与える事は出来ないが、砂煙の立っている地点を手で示すと、小竜はすいっとそちらへ向かった。  クィヤラート王国の隅々まで旅をするルィヒを守るように、いつも上空に群れを成して飛んでいる小竜は、黒い(うろこ)を持ち、体は馬よりもひと回りほど小さいが、その分、俊敏に空を飛ぶ。人間の言葉を聞き分ける知性も持ち、ルィヒの命令にも素直に従った。  このラク砂漠のように、険しい土地を多く越えていくルィヒの旅には、欠かす事の出来ない相棒だった。  最初に一度、ぐんと上昇したルィヒは、その後、徐々に硬度を下げ、砂煙の少し手前で小竜を下りた。  もうもうと立つ砂煙の中に、誰かが倒れている。駆け寄ってみると、見慣れない出で立ちをした若い男だった。  短い黒髪は、砂まみれになって、こめかみや額に張り付いている。砂漠越えをする旅人にしてはあまりにも軽装だった。それに、近くには食糧や水の入った革袋も、風除けの布も見当たらない。  まだ、二十になったばかりといった所だろうか。顔立ちにはどこかあどけなさが残っていた。  ルィヒは若者の顔の横に膝をつき、防面越しのくぐもった声で呼びかけながら頬を叩いた。 「おい。──おい、聞こえるか」  若者の口から呻き声が漏れた。  うっすらと開いた目が、まぶしそうにルィヒを見上げる。 「君を助けに来た。わたし達の『船』へ運んで手当てをしたいが、そこまでの道中が少々揺れる。  どこかに頭を激しくぶつけたか? もしそうなら、無理に動かさない方がいい」  若者は、何が起きているのかわかっていないように眉をひそめていたが、やがて、ゆるゆると首を横に振ると、それで力を使い果たしたようにふっつりと目を閉じた。  ルィヒは決意を固めて立ち上がった。  振り返って手を振ると、その合図を見た小竜が、跳ねるように地面を蹴って近づいてきた。  ルィヒが若者の脇の下から手をくぐらせて体を持ち上げると、小竜は命令を待たずにぐいっとその下に頭をねじ込んで、ルィヒが自分の背に若者を乗せやすいように手伝った。 「良い子」  ルィヒは小竜をねぎらいながら、気を失った若者を鞍に乗せて、最後にもう一度、彼が倒れていた場所に目をやった。  砂漠越えの荷物を何一つ持っていない若者のそばに、たった一つだけ落ちていたもの。  ルィヒには、それが何に使われる道具なのか、想像すらつかなかった。  灼けた砂のにおいがする風の中で、ルィヒは、小さくため息をついた。 (……さて。これは一体、どういう拾い物かな)
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