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4章 ミステリアスレディの中身 第3話 深まる謎
「あずき食堂」の定休日は月曜日である。本当は年中無休にしたいのだが、双子の体力も有限である。きっちり休養を取ることも大事なのだ。
「お前らに倒れられてはかなわん。しっかり休め」
マリコちゃんもそう言ってくれる。
今日はその月曜日である。双子は今でも実家のお世話になっている。独立も考えないわけでは無いが、そうなるとマリコちゃんが困ってしまうのである。
「わしはお前たちの両親、謙太と紗江に惹かれて憑いて来たわけじゃが、今は五十嵐家、お前たちにもまとめて憑いておるんじゃ。別々に暮らすことになったら、わしはどうしたもんかのぅ」
マリコちゃんがそう言って考え込んでしまったものだから、両親には心配を掛けてしまうかも知れないが、もう少しやっかいになることにした。
その代わりと言うのもおかしいかも知れないが、家にはできる限り生活費を入れ、昼間家にいるので、家事も担う様になった。母は「楽できるわ〜」と喜んでくれている。
「パートにでも出よかな」
そんなことまで言いだしている。止めはしないが無理はして欲しく無い。
「あずき食堂」のお惣菜のあまりを持って帰って来ることも続けられていて、水分の少ないものなどは父のお弁当に入れられたりする。娘たちが作ったものだということで、父は喜んでいるらしい。
入れられなかったものが、母と双子のお昼ごはんになるのである。足りなければ双子が作り足して、ご飯を炊いてお味噌汁を作り、お昼ごはんを整える。
「いただきます」
母と双子3人で食卓を囲む。他愛の無い話をしながら時間はゆっくりと流れて行く。もちろんマリコちゃんも一緒である。母には見えないのだが。
母がいるのでマリコちゃん用の小皿などは出せないのだが、マリコちゃんはどこからかお箸を取り出して、大皿から直接食べるのである。
母からすると、大皿のおかずが不自然に減って行くわけなのだが、不思議と気付かれないものなのである。それがマリコちゃんの、いや、座敷童子の、妖怪の何かしらの技なのだろう。
双子は「あずき食堂」の営業があるので、朝はお寝坊気味である。なので出勤して行く父を見送ることができない。そして夜もいないので、すっかりとすれ違ってしまっていた。
そんな親子であるが、「あずき食堂」がお休みの月曜日の晩には、家族が揃う。週に1度の貴重な時間である。
だから双子は両親のために腕を振るう。食卓が華やぐ様に。両親に和んでもらえる様に。
お昼ごはんの後片付けを終え、マリコちゃんと双子は晩ごはんのための買い物に行く。気分転換の散歩も兼ねていた。
買い物はいつも、駅前のダイエーでする。高架下にもひとつスーパーがあるのだが、はしごはせず、1カ所で済ませてしまうのだ。
ダイエーは老舗スーパーで、曽根店は双子が生まれる前からそこにある。建物に年季が入っているからか、通路などは狭めである。カートを使えばすれ違うのも難しい。だが買い物客はそれを譲り合いなどで巧くいなすのである。
マリコちゃんと双子は曽根駅周辺をうろうろし、駅近くのカフェで一息吐く。毎週のルーティンである。こうして1週間の心身の疲れをリセットするのである。
朔はホットコーヒーとチーズケーキ、陽はミルクティとシフォンケーキを注文するのがお決まりである。マリコちゃんはまたどこからか取り出したお箸で、双子のケーキを両方楽しむ。
カフェを出てダイエーに到着し、カートにかごをセットする。今日は何にしようか。そろそろ春の旬も店頭に並び始めている。うすいえんどうで豆ご飯や卵とじも美味しい。菜の花があればごま和えやお浸しは定番だ。酢味噌和えでも美味しい。あさりで酒蒸しも良いな。考えるだけで楽しくなってしまう朔だった。
ダイエーは入るとすぐに右手に階段がある。階と階との間、途中の踊り場にはベンチが置かれていて、休憩などができる様になっている。朔はカートを押しながら何気無く階段を見上げた。
するとベンチの端には黒づくめの髪の長い女性が座っていた。うなだれていてお顔ははっきり見えないが、そのお姿に見覚えがあった。
「陽、あれ」
朔が手で示す踊り場を見た陽は「あれ?」と声を漏らす。
「伊集さんに似てへん?」
「やんね。似てるやんね」
「具合が悪いんか寝てるんか、どっちにしても放っとかれへんな」
「そうやね。お声掛けしてみよか」
「うん」
朔はかごとカートを一旦戻し、陽とともに階段を駆け上がる。伊集さんと思しき女性の前にかがみ、そっと「伊集さん?」と声をお掛けした。
「大丈夫ですか?」
すると女性はぐらりと頭を揺らす。お顔を隠す長い髪が揺れ、分け目からお顔が覗いた。やはり伊集さんだった。顔色が悪い。もとより色白な方ではあったが、度を越して真っ青だった。朔は息を飲んでしまう。マリコちゃんが気遣わしげに小さな手を伊集さんの膝に添えた。
「救急車呼びましょうか?」
陽が心配げな声を掛けると、伊集さんは小さく首を振られた。そして。
「あの……大変申し訳無いのですけども、家まで……連れて行っていただけませんか? 自力で……立てなくなってしまって……」
掠れた声で呻く様におっしゃる。とてもお辛そうである。本当に救急車で無くて大丈夫なのだろうか。
「これ……、……持病みたいなものなので、家に帰られれば大丈夫、なんです……」
そう言われてしまえば、双子はその願いを叶えるだけである。朔が右、陽が左に周り、肩をお貸しした。伊集さんの肩はとても細く、下手をするとぽっきりと折れてしまいそうだ。
「そっと立ち上がりますよ。行けますか?」
「……はい」
朔と陽は「せーの」と小声で合図を送り合い、ゆっくりと立ち上がった。伊集さんの身体も付いて来る。華奢な見た目の通りとても軽かった。
まずは慌てずに気を付けながら階段を降りる。そのまま静かにダイエーを出て、伊集さんの道案内の通りに歩いて行った。
伊集さんのお宅は、国道176号線に出るまでの大通りにあるマンションだった。伊集さんがたすき掛けにしていた黒いショルダーバッグから鍵を取り出して、ドアを開ける。
2DKの間取りで、玄関を見る感じではおひとり暮らしの様だ。たたきには黒いサンダルがひとつ置かれているだけで、黒く細い傘立てには黒い雨傘が1本入れられていた。双子は「お邪魔します」と言いながら部屋に入る。
ふた部屋のうちひとつが寝室になっていて、寝具やカーテンなども黒で統一されていた。双子は伊集さんをそっとベッドに横たわせる。
「大丈夫ですか? お水とか要りますか?」
朔が聞くが、伊集さんはやはり小さく首を横に振られた。
「あの……、隣の部屋の、チェストの1段目に……、黒い木箱が入っているんです。それを持って来ていただけませんか……?」
「分かりました」
朔は速やかに隣の部屋に行く。その部屋のカーテンや家具も黒色のものばかりだった。チェストはひとつしか無かったので、迷わずそのいちばん上を引き出す。するとそこにはいくかの箱が整然と並べられていた。それらの中で黒に染められた木箱はひとつだけだったので、朔はそれを手に寝室に戻った。
「伊集さん、これですか?」
伊集さんに見える様に目の前に持って行くと、薄っすらと目を開いた伊集さんは小さく頷き、細い腕をまるで幽霊の様に力無く伸ばした。
「……ありがとう、ございます」
蚊の鳴く様な声だった。伊集さんは木箱を胸元に抱え、目を閉じた。
「もう、大丈夫です……。本当にありがとう、ございました……」
「お加減が良ぅなるまでお側におりましょうか?」
朔が問うと、伊集さんはゆっくりと首を振った。
「いいえ……。これがお薬の、様なものなのです……。詳細はまた、後日……お話いたしますので」
確かに木箱を持って来てから、ほんの、ほんの少しだが伊集さんの顔色が良くなった様な気がする。もともと色白な方だが、青みが少し引いた様に見える。
伊集さんがそうおっしゃるのなら、ここに双子がいる方が邪魔になってしまうかも知れないし、お気を遣われてゆっくりとお休みになれないだろう。朔は陽と顔を見合わせて頷いた。
「ほな、私らは失礼させていただきますね。鍵を閉めて、鍵はドアのポストに入れておきますけど、大丈夫ですか?」
「はい。本当に……、ありがとうございました。助かりました」
まだ儚げなお声だったが、ダイエーでお会いした時よりはわずかだがしっかりとしたお声だった。それで朔は少し安心する。
「ほな、失礼します。お大事にしてくださいね」
「お大事に」
双子は言うと、マリコちゃんを伴って部屋を後にする。鍵を掛け、黒い革製のキィケースをドアに設えられたポストに入れると、内側の金属の受け口に当たってぽすんと音を立てた。
「伊集さん、ほんまに大丈夫やろか」
「かなりしんどそうやったな」
双子が心配げに言うと、マリコちゃんはけろりと声を上げた。
「大丈夫じゃ」
「え?」
朔が目を丸くすると、マリコちゃんは「ふむ」と納得した様な表情で口を開く。
「あの木箱があれば大丈夫じゃ。さ、急いで買い物に行くぞ」
そう明るい声で言い、すたすたと廊下を歩いて行ってしまった。双子は慌てて後を追い掛けた。
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