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4章 ミステリアスレディの中身 第9話 妖祓師現る
翌朝、いつもよりもずっと早い時間に起きた双子は、身支度を整え、洗濯機を回してキッチンに入る。お赤飯を炊くのだ。
マリコちゃんは今も朔の部屋で眠り続けている。
もち米は昨日の晩に洗って浸水させ、冷蔵庫に入れておいた。もち米はしっかりとお水を吸わせてあげないと、芯が残ってしまうのである。「あずき食堂」でも翌日のお赤飯用のもち米は、営業が終わってから洗って水に浸け、冷蔵庫に入れておくのだ。
たっぷりとお水を吸ったもち米はざるに移して水気を切って、ざるのまま30分くらい置いておく。ここでしっかりとお水を落としてやらないと、炊き上がりがべたついてしまうのである。
その間に白米を洗い、浸水させる。30分ほど経ったらざるに上げておく。
「あずき食堂」では、もち米と白米を1対1で合わせて使っている。もち米だけだと腹持ちと満足感が良すぎて、お惣菜やメインが食べられなくなってしまう。だが白米だけだとお赤飯特有のもちもち感が出ない。なのでブレンドしているのである。
さて、小豆の準備をしよう。お水でしっかりと洗い、水分を切ってお水から茹でる。ここは一煮立ちさせたらざるにあける。これで小豆の灰汁が除かれるのである。
そして茹でて行く。お鍋にお水と小豆を入れて火に掛けて、沸騰したら弱火にし、30分ほど煮る。
小豆が指で潰せるぐらいに柔らかくなったら火から降ろし、粗熱を取る。今日は急ぐので、ボウルに氷を入れてそこにお鍋を置き、お鍋をぐるぐると回してやった。
粗熱が取れたらざるにあけ、煮汁とあずきを分けた。
炊飯器の内釜にもち米と白米を混ぜ合わせたものを入れ、あずきの煮汁を注ぎ、お塩を少々加える。ざっと混ぜてならしたら小豆を乗せ、炊飯器のスイッチを入れた。
「あずき食堂」で炊くお赤飯にはお塩は入れない。小豆洗いさんがいつ来られるか判らないからだ。お客さまにはごま塩で足りない時は、カウンタにおいてあるお塩で調節してもらうのである。
そうしているうちに両親が起きて来た。
「おはよう。キッチンもう空くから」
朔がキッチンに入って来た母に言うと、陽も「おはよう」と続く。母も「おはよう」と返してくれた。
「大丈夫やで。朝ごはんぐらいどうにでもなるし。時間までにお父さんのお弁当さえ用意できたらええんやから」
母は合理的な人で、お米は晩ごはん用とお弁当用をまとめて炊き、夜のうちにお弁当箱に詰めて粗熱を取って、冷蔵庫に入れておくのである。
そこに晩ごはんを分けておいたおかずと、双子が「あずき食堂」から持ち帰ったお惣菜を詰めるのだ。父は食べる時に会社の電子レンジで温めるので、お米が冷えて硬くなっても大丈夫なのである。
「あんたら、朝ごはんは食べたん?」
「ううん、まだ」
「ほな一緒に食べるか? パン焼くで」
「うん。ありがとう」
「ありがとー」
母に朝ごはんの用意をお願いし、出勤準備を終えたスーツ姿の父もやって来て、家族揃ってバターをたっぷり塗ったトーストを食べながら、双子はお赤飯の炊き上がりを待った。
双子が眠るマリコちゃんを抱っこして「あずき食堂」に来たのは9時10分前。伊集さんは9時に来られることになっていた。プレートは支度中のままお店を開けた。
マリコちゃんを昨日の様に控え室の座布団の上に寝かせた。そばに付いているのは陽に任せ、朔がフロアで伊集さんを待つ。伊集さんのことだから、昨日の待ち合わせを踏まえてもあまり待つことは無いだろう。
椅子に掛け、出入り口である開き戸を見つめる。手持ち無沙汰ではあるのだが、スマートフォンなどを見る気はしない。マリコちゃんが心配だからだ。ついそわそわして身体を揺らしてしまう。
まんじりとしつつ、時間が気になってスマートフォンを見る。するともうすぐ9時になろうとしていた。昨日はお約束の時間の5分より前に来ていただいた。なので今日も早めに到着されるだろうと思っていた。だがご都合もあるのだろうし、少しぐらい遅れてしまっても問題は無かった。何かあったのだろうかとは思ってしまうが。
それからも朔は待ち続ける。スマートフォンで時間を見ると、9時5分になっていた。待つのは全然構わない。だが本当に伊集さんに何か、と心配になってしまう。
朔は立ち上がると、開き戸を開けて通りを見てみた。通学や出勤時間も終わり、人通りはあまり無い。駅に続く方を見ても、駅方面に向かう人がちらほらいるだけである。
そちらを凝視してみるが、電車が到着する時間では無いのか、駅前も静かな様子である。
そうして駅の方向をぼんやりと見ていたら、こちらに向かって走って来るおふたり連れが目に入った。おひとりは全身真っ黒のお洋服。もしかしたら伊集さんでは無いだろうか。
果たしてその通りで、朔は大きな声で呼び掛けた。
「伊集さーん、ごゆっくり、歩いてくださーい」
だが伊集さんとお連れさんはお足を緩めることは無い。朔はまた「伊集さーん、ゆっくりでー」とお声掛けした。
やがておふたりが朔の前に到着する。はぁはぁと息を弾ませて、深呼吸をしつつ呼吸を整えようとされている。
「さ、朔さん、遅くなって、しまって、ごめん、なさい」
伊集さんは息も絶え絶えである。あまり運動などをされる印象が無いが、恐らくその通りで、あまり体力は無いのだろう。浄霊の時には大変な力を発揮される伊集さんであるが、それと体力は関係無いのだろう。
肩で息をされる伊集さんと打って変わって、お連れの男性は少し息を乱しつつも涼しいお顔である。髪が長く、襟足のところでヘアゴムでひとつにまとめていた。黒いパーカーに迷彩柄のカーゴパンツを合わせ、黒のスニーカーという身軽な格好である。
伊集さんはあらかた息が整われたのか、「ふぅ」と息を吐き、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「本当に、遅刻をしてしまって申し訳ありません。こちらが妖祓師の吉本さんです」
「吉本です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
伊集さんがご紹介くださった吉本さんが頭を下げてくださるので、朔も深く腰を折った。
「いや、ほんまに遅うなってすいません。176号線で来たんですけど、混んでしもうて。早めに出たんですけど」
国道176号線は京都府宮津市を起点すると主要道路である。池田市に入れば、阪急電車宝塚線と並走する様に走る。終点が梅田新道交差点ということもあってか、出社時間にはかなり混み合う。
「流れとったんですけど、あまりスピード出されへんで」
今はラッシュ時では無いが、車通りが多かったのだろう。
「いえ、大丈夫です。あの、さっそくなんですが」
「はい。話は聞いてますんで、さっそく診せてください」
「はい。よろしくお願いします」
朔は開き戸を開けて、伊集さんと吉本さんをご案内する。フロアを素通りし、控え室に向かった。ドアをノックする。
「はーい。どうぞ」
中から陽の声がしたので、ドアを開けた。
「マリコちゃんどう?」
「まだ起きひんわ。来はったん?」
「うん。伊集さん吉本さん、すいませんが靴を脱いで上がってください」
「お邪魔いたします」
「お邪魔します」
それぞれ靴を脱ぎ、控え室に上がる。4畳半ほどの控え室は、大人4人が入ればいっぱいである。4人は横たわるマリコちゃんを囲う様に腰を降ろした。伊集さんには見えないので、そこには座布団とタオルケットがあるだけだろう。
吉本さんは陽にも自己紹介をされた。
「よろしくお願いします」
陽も吉本さんに深く頭を下げた。
「へぇぇ、この子が座敷童子……!」
吉本さんが横たわるマリコちゃんを前に、感動した様な声を上げる。
「座敷童子は初めてですか?」
朔の言葉に、吉本さんは興奮した様に「はい」と応えられる。
「座敷童子は基本東北の妖怪です。そんで富を呼ぶっちゅう特性から、昔は城や商家の一室に結界張られて閉じ込められたりしとって、そのせいか数が減ってるっちゅう話です。昨今は妖怪そのものが見える人が少ないんで、そんな目に遭うことは滅多にありませんけど。でも座敷童子が棲んでるって伝承のある旅館とかは今でもあるんですよ」
「そんな時代があったんですね……」
陽が痛ましげに言うと、吉本さんは苦笑する。
「昔の話とは言え、人間の欲深さの闇を感じますよね。今は妖怪たちは伸び伸びしてます。せやから人への悪さもあるんですけど。さ、そんな話もですけど、座敷童子ですね。確か、マリコさん」
「はい。マリコちゃんです」
朔が応えてふっくらとした頬をそっと撫でる。やはりただ寝ているだけに見える。だがもう24時間眠り続けているのだ。こんなこと今まで無かった。
「ほな、診てみますね」
吉本さんが両手を伸ばし、マリコちゃんの顔や手に触れる。そして傍らに降ろしていたカーキ色のリュックから四角いポーチを取り出し、そこからお札を出した。白い長方形の和紙に墨で五芒星と、それを貫く様に縦線が書かれている。それをタオルケット越しのマリコちゃんの身体に置いた。
すると五芒星と縦線がぼわぁっと淡く青く光る。それが幻想的で綺麗で、朔は思わず「わぁ……」と声を上げてしまった。陽も目を見張っている。
お札を見た吉本さんは「うん、なるほどな」と頷いた。
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