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5章 ファインダの中の宝物 第1話 幻想を作るために
桜が開き始め、淡いピンクが青い空を染める。温んだ風が心地よい。すっかりと春の空気を見せ始めていた。
ご常連のお若い男性丸山さんは写真家さんである。ご本人は風景写真、アート写真でやって行きたいとのことなのだが、それだけでは食べて行くことは難しいので、写真館での撮影や出張撮影、情報誌の商品撮影などの商業写真で糊口を凌いでいるのだそうだ。
風景写真はお仕事の合間を縫って撮影に行かれているらしい。そしてコンテストなどに応募しているとのこと。そうしたコンテストに入賞するのはとても困難で、だがすることができれば写真家さんとしての道が大きく開ける。
丸山さんも何度も挑戦し、そのたびに玉砕されていた。数多もの応募作品からたった数点が選ばれるコンテストの門はとても狭い。
最近はSNSなどで作品を発表される写真家さんもおられ、そこから火が付く場合も多い。丸山さんも個人でアカウントを取得して日々写真を更新されているが、なかなか芳しく無いらしい。
昨今はどうしても「映え」「エモい」と言われるカラフルなスイーツや美味しそうなグルメ、センスの良いコーディネイト写真などが好まれる。
風景写真となると例えば、有名な桜舞い散る雪景色や真っ赤な夕日など、そういう幻想的なものなどが人気が出る。
丸山さんも情報をかき集めながらそういう風景を狙うのだが、稀有なものはそうなかなかお目に掛かれない。
そしてアート写真というものは、実際には撮影者の内面を出すもので、写真の外側はもちろんだが、そこに込められた思いやメッセージが重要になって来る。
丸山さんは自分はまだまだ未熟だとおっしゃっている。だからこそたくさん撮らなければならないのだと、表現方法を磨かなければならないのだと言っていた。
そんな頑張る丸山さんは、今日も「あずき食堂」でお赤飯を頬張る。
「今日は初心に戻ったみたいな感じで夕日を狙いに行ったんですけど、綺麗に赤ぅなってくれませんでした」
丸山さんはそう言って肩を落とす。
「真っ赤な夕日綺麗ですもんねぇ。でも確かに、毎日あんなにはならへんですよね」
朔が言うと丸山さんは「そうなんですよねぇ」と重たい息を吐く。
「場所によって見え方が違うて来るんで、どこで場所取りするんかは博打です。どこでもええてわけや無いですし。夕日と一緒に撮る景色も大事で」
「そうなんですね。夕日やったら山とか海とかですか?」
阪急電車宝塚線で手軽に行ける範囲には池田市の五月山や、石橋駅で連絡している箕面線から箕面山、川西能勢口駅で連絡している能勢電鉄から妙見山と、いくつかのお山がある。北摂山系と呼ばれる、兵庫県南東部から大阪府北部、京都府南西部に広がる山々の一部である。
高いところからの景色、夕日なら綺麗だと思うのは、やはり素人目線だろうか。
海なら大阪湾があり、大阪市住之江区の南港や、大阪市此花区の北港なら電車ででも気軽に行ける。ちなみに此花区には、大阪が誇る一大テーマパークであるユニバーサル・スタジオ・ジャパンがあり、毎日お祭りの様な賑わいである。
「それも綺麗ですけど、街中でもありですよ。美しい建築物と撮ったり。鏡張りのビルとかやと夕日が映ってそりゃあ綺麗ですよ。梅田のスカイビルとか鏡張りですよね」
梅田スカイビルは、阪急電車だと大阪梅田駅が最寄りの超高層ビルである。地階と高層階のレストラン、映画館などがある新梅田シティと、ウェスティンホテル大阪を擁している。
過去には「世界の建築トップ20」に日本で唯一選出され、「未来の凱旋門」とも言われている。
タワーウエストとタワーイーストの2棟で構成されており、その2棟を繋ぐ様に空中庭園展望台が設置されている。ここから眺める大阪の街は絶景である。お天気が良ければ兵庫県の六甲山系や、大阪国際空港を離発着する飛行機などが見える。
「ああ、それはええですねぇ。見てみたいです」
「検索したら出て来ると思いますよ。でもせっかくやったら、やっぱり俺が撮ったんを見て欲しいて思います」
「はい。私らもぜひ丸山さんが撮影されたのを拝見したいです」
「はい」
朔がそう言ってにっこり笑うと、丸山さんも「へへ」と口角を上げる。
「ほなまずはそれを狙おうかな。明日からまた情報収集です。その前にブツ撮りせな」
「そっちのお仕事も大変そうですね」
「食べて行かなあきませんからね。遠征費も要りますし。でもそうした仕事があるんはほんまにラッキーですよ。写真とは全然関係あれへんバイトとかしている人もおりますから。好んでちゃうバイトをしてる人もおるんですが」
「ほんまに大変な世界なんですねぇ」
「好きやからできることですね。もっと頑張らんと」
「それやったらしっかりご飯を召し上がってくださいね。白いご飯でしたら無料でお代わりしてもらえますから」
「ありがとうございます」
丸山さんは満足げに微笑んだ。
翌日少し遅めの時間に訪れた丸山さんは、タブレットを片手ににこにこ笑いながらあずき食堂に入って来られる。
「いらっしゃいませ。ご機嫌そうですね。何かええことでもありましたか?」
朔が聞くと、丸山さんは「へへ。ええ」と頷く。
「さっそく見てください。今日綺麗な夕日が撮れたんです」
そうしてタブレットを差し出して来た。双子が並んで覗き込むと、そこには確かに見事な夕日の写真が映し出されていた。
街中の写真だ。下からのアングルで迫力もある。右側には夕日が赤を引き連れて落ちようとしていて、それが左側の梅田スカイビルに写り込んでいてなんとも美しい。
画面のほとんどを赤と朱色の中間の様な透明感のある色が占め、はっと目を見張るものがあった。
朔も陽も「わぁ……!」と相貌を綻ばせた。
「綺麗ですねぇ! 現実的やのに幻想的にも見えて、凄いです」
「ほんまに。昨日の今日でほんまに凄いですね!」
双子はすっかりと興奮してしまった。
「俺もびっくりしました。また数日は粘らなって思ってたのに、すんなり撮れてしもうて。落日を待っとって、徐々に空が赤く染まって行くんを見た時にはほんまにテンションが上がりました。何枚もシャッター切ってまいましたよ。これはその中の1枚です。俺的に会心の1枚です」
「ほんまに素晴らしいです。ええもんをありがとうございます」
「とんでも無いです。こちらこそ喜んでもらえて良かったです。あ、注文しますね。今日のおばんざいはなんですか?」
丸山さんはタブレットをしまったバッグをカウンタ下の棚に突っ込むと、カウンタの大皿をそわそわとした表情で眺めた。朔が簡単に説明をする。
「今日はですね、長芋と貝割れ大根のサラダ、新玉ねぎと生わかめとかにかまの酢の物、お揚げとそら豆の卯の花、春きゃべつとお豆腐の卵とじ、三ツ葉の卵焼きです」
「今日もおいしそうです。どれにしようかな。えーっと、サラダと卵とじください。メインは豚の塩こしょう焼きで、ご飯はお赤飯でお願いします」
「はい。かしこまりました」
長芋と貝割れ大根のサラダは、短冊切りにした長芋とざく切りにした貝割れ大根を、薄口醤油とごま油、胡椒で和えた一品。ざくざくとした歯ごたえの生の長芋は爽やかな甘みを蓄え、ぴりっとした貝割れ大根が寄り添う。ごま油の香ばしさがこれらをまとめ上げるのである。
新玉ねぎと生わかめとかにかまの酢の物は、塩揉みした新玉ねぎとさっと湯通しした生わかめ、割いたかにかまをお酢メインで作った和え衣で和え、仕上げに白ごまを散らす。口の中をさっぱりとさせてくれる爽やかな一品だ。
お揚げとそら豆の卯の花は、おからをお出汁とお揚げでじっくりと炊き、塩茹でして皮を剥いたそら豆を混ぜ込んで調味をし、味をふっくらと煮含ませた一品である。お揚げからも旨味が出ている。
春きゃべつと豆腐の卵とじは、ざく切りにした春きゃべつをごま油で炒め、軽く水切りをした絹ごし豆腐を潰しながら加え、水分が出て来たらたっぷりの削り節を入れて調味をして、卵でとじたもの。
春きゃべつの甘みが柔らかながアクセントになり、滑らかな豆腐の喉越しが良い。卵はしっかりめに火を通してあるが、ふわふわになる様に仕上げた。
三つ葉の卵焼きは、粗みじんにした三つ葉を調味した卵液に混ぜ込んで焼いた、風味豊かな一品だ。
お惣菜とお赤飯、お味噌汁の支度は陽に任せ、朔は豚の塩こしょう焼きに取り掛かる。温めたフライパンに薄く菜種油を引き、お塩と日本酒を揉み込んだ厚みのある豚肉を置く。ロース肉をお箸で食べられる大きさにカットしたものだ。
強めの中火に掛けて表面がぱりっとする様に焼き、ひっくり返したら弱めの中火に落として日本酒を入れ、蓋をして蒸し焼きにする。胡椒は焦げやすいので仕上げにたっぷりと振ってさっと火を通す程度。それで充分に香りが上がる。
できあがったらお皿に盛り付け、パセリを添えた。
「はい、お待たせしました」
「ありがとうございます」
先にお味噌汁とお惣菜でお赤飯を楽しまれていた丸山さんは、さっそく豚の塩こしょう焼きにお箸を伸ばす。大口を開けて身を放り込み歯を立てると、さくっと良い音を立てた。丸山さんは「んん〜」と満足げに目を細めた。
「表面が香ばしくて、でもやらこうてええですねぇ。これにお惣菜とお赤飯なんて、ほんまにご馳走ですよ」
「ありがとうございます。豚肉にはビタミンも含まれてますから、疲労回復にもええんですよね。ゆっくり休んでくださいね」
「ありがとうございます。明日は明日でまた出張撮影ですけど、昼まではゆっくりできるんです。良う眠れそうです」
「良かったです」
朔はにっこりと笑った。
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