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片桐雛子という女
十年前のある春の日、俺は何者かが玄関を蹴る音で目を覚ました。
この身を柱に結び留める縄を引いて、恐る恐る玄関を開けると、長い黒髪をやや乱した雛子が立っていた。その腕には、稚い女の子を抱いている。
ああ、可哀想に、と同じく稚い俺は思った。その女の子はぐったりとして、まるで生気がない。当時は犠牲者とか、被害者とか、拉致とか監禁とかいう単語も知らず、また雛子が悪いことをしたんだ、と考えるぐらいの知能しか持っていなかった。
その頃の俺は七歳で、自分が置かれた状況にも馴染んでいなかった。
俺も、その女の子と同じように、雛子に拐われた身の上だった。
女の子を見て、強烈なフラッシュバックが起こる。冬の終わりの、あの日のこと──
登校していた途中に、おなかを痛がっている雛子を見つけた。俺は「近くの病院まで連れて行ってあげるよ」と声をかけた。家族で診てもらっている内科医院に行けば、この人の処置をしてくれる。単純にそう思っていたのだ。
「近道は知らないの?」と雛子は言った。
そんなに痛みが酷いのかな、としか思わなかった。だから「知ってるよ」と弾んで答え、先導するようにひと気のない道を選んだ。
だが雛子は、監視カメラなんてまるでなさそうなその道に入るなり、俺の口を柔らかい何かで塞いだ。途端、ふっと意識が飛び、──気づいたら、薄暗い部屋のベッドに縛り付けられていた。
「ここはどこっ!? お姉さん誰っ!?」
怖くて、怖くて、怖くて、俺は訊ねた。すると女は、
「私は雛子。片桐雛子よ。今日からあんたのお母さんになったの。あんたの親は、あんたのことがもういらないんだってさ。だから私がもらうことになったのよ」と言った。
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