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その日から、俺は雛子と一緒に暮らし始めた。食事はいつも惣菜パンやレトルト食品、学校には行かせてもらえず、狭いアパートの中で縄と錠に縛られて過ごした。
部屋に電話はなく、またテレビもなかった。雛子が家にいる間は、トランプをしたり、オセロをしたり、絵本を読んだり、音楽を聴いたりして遊んでもらえた。質問にはちゃんと答えてくれたし、その点では実の母よりも良い母親をしていた。夕方、雛子が仕事に出かけると、国語や算数のドリルを課題にされた。それが終わると、PSPで遊んで良かった。ゲームを2回クリアすると、新しいゲームを買ってもらえた。雛子が選んで買うゲームはハズレがなかった。その点においても、実の母親より良い母親だったかも知れない。
雛子は仕事から帰ってくると、長い黒髪をくしけずりながら、自身のことを話した。
十八歳で水の世界に飛び込み、一時期は羽振りが良かったこと。客の一人とこじれて、大きな借金を背負ったこと。それを返すためにお風呂場みたいな場所で働いていること。二十八歳になり、色々な感覚がおかしくなっていること。妊娠出来ない身体であること。でも、子どもが二人欲しかったこと。
雛子の容姿は子どもの俺から見ても美しく、やや達観したところはあるものの、若い感性に満ちていた。けれども性格は荒々しく、怒ると手がつけられない。地雷を踏まない方法は笑顔を絶やさないことだった。内心で怯えようと、両親が恋しくなろうと、俺は顔に笑みを貼りつけて過ごした。そうしているうちに、自分が自分でなくなるような感覚を覚えたが、穏やかな状態が続くように、子どもながら精いっぱい努力していた。
苦手だったのは、週に一度、白い車に乗った爺さん(今思えば五十歳ぐらいの男性)がアパートを訪ねてくることだった。俺はその爺さんがいる間、押し入れの中に押し込まれて、雛子の変に甲高い声に耳を塞いだ。別人の女がおかしなことを口走り、爺さんの下卑た息遣いを聞くのは、とても気持ちの良いものではなかった。
そんな生活は、三ヶ月ぐらい続いた。
そしてまた、雛子は子どもを連れてきた。
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