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高校受験が終わり安堵した頃、街を歩いていたら、モデルをやってみないかと現マネージャーである前田にスカウトされた。我の耳を疑ったし、声をかけてきた相手の目もどうかしていると思った。他人には外見を嗤われたことこそあっても、褒められたことなんて一度もないのに。だが、ファッションには元々興味があった。それになにより、強いコンプレックスを抱いている自分の顔が武器になると言われ、惹かれずにはいられなかった。
両親や歳の離れた兄は、末っ子の希色を日頃から甘やかす。芸能界だなんて、と大反対されるとばかり思ったのだが、さすがだとか希色はかわいいからなどと言い、大喜びで背中を押されてしまった。
それでも決断できないほどの気がかりが、希色にはあった。モデルを始めたとして、同じ高校に通う人たちにはどうしても知られたくなかった。たったひとりでもバレたら恐ろしいことになる。あんな根暗そうなヤツがモデルをやっているらしい、なんて後ろ指さされる高校生活になってしまうことは、想像に難くない。
だがその不安は、割と簡単に払拭することができた。デビュー時には本名ではなく、芸名を使うことができる。それになにより、学校に通う際の自身の格好を思えば、気づかれることはまずないはずなのだ。
それならばやってみようと決意を固めたのが、高校の入学式目前のこと。
一念発起しレッスンに通い、スカウトから数ヶ月経ち、九月の終わり頃にいよいよ宣材写真を撮ってもらうことになった。事務所のスタッフや居合わせた先輩モデルの翠には、筋がいいと褒めてもらえた。この業界では本当に、コンプレックスも長所になる。興味は実感に変化し、なんだか少し大人になれた気がして、背伸びをしてみたくなった。
その方法に選んだのが、コーヒーを飲むことだった。大人=コーヒー、だなんて、我ながら短絡的だなと希色は思う。だがコーヒー初心者なのにブラックを飲みたがる希色に、男性店員は丁寧に接客してくれた。初めてだったらこれがいいですよ、とおすすめも提案してくれた。それでも最初は苦くて、美味しいとは言い難かったけれど。その時の味は格別で、希色は今だって覚えている。
それ以来、KEYという芸名で正式にデビューしてからも、時々ここへ通うようになった。仕事で手ごたえを感じた日の、自分へのご褒美なのだ。
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