推し活とコーヒー

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 男性店員が希色に気づき、そっと微笑んだ。ちいさく会釈を返しながら、彼のレジの前へ立つ。 「いらっしゃいませ」  注文するのはいつも決まっている。もちろん、目の前の彼が薦めてくれたものだ。 「こんにちは。ブレンドをひとつお願いします」 「ブレンドをおひとつですね、――……」  値段を読み上げてくれる彼の顔をジッと見つめる。  切れ長で少し目尻が上がる瞳、シャープな輪郭に、無造作にセットされた短めの茶色い髪がよく似合う。加えて背は高く、体つきはがっしりとしている。  初めてこの店に来た時、ひと目で格好いい、と思った。女顔と評されからかわれてしまう自分とは、なにもかもが真逆。希色が欲しかったもの、全てが詰まっているような出で立ち。落ち着いた様子を見るに、二十歳を越えているのかもしれない。  一瞬で憧れて、希色にとって生まれて初めての“推し”になった。 「お客様? あの、会計方法はいかがなさいますか?」 「あ……えっと、これでお願いします」 「かしこまりました、ではこちらに」  つい見惚れてしまっていたようで、慌ててスマートフォンの決済画面を示す。端末に翳して顔をあげると、あの最高に格好いい顔がまた希色に微笑んでくれていた。 「あちらでお渡ししますので、少々お待ちください」 「あ、はい。ありがとうございます……」  今、絶対に顔が赤い。鏡なんか見なくたって分かる。希色は俯き、前髪に触れながら移動する。変に思われなかっただろうか。  商品が提供される場所でカウンター内を再び窺うと、推しの彼がコーヒーを用意してくれているのが見えた。その光景に、萎みかけていた希色の心はみるみると持ち上がる。  レジを担当してもらえた日には、別のスタッフから商品を手渡されることのほうが多い。だが今日は比較的空いているからか、たまたま交代のタイミングだったのか。浮ついた心につられるように、ついかかとが上がってしまう。それをそっと床に下ろし、綻びそうなくちびるをむにゅむにゅと動かしやり過ごす。  今日は、すごくラッキーだ。 「お待たせしました。ブレンドコーヒーです」 「ありがとうございます。……あ」 「今日も描いちゃいました。ペンギンくん」  彼は小声でそう言いながら、希色が体に提げているボディバッグを指し示した。そこにぶら下がっているのは、希色お気に入りのキーホルダーだ。  マイナーなキャラクターで、名前は“ペンギンくん”となんの捻りもない。彼も知らなかったようなのだが、初めて来店した時からカップに描いてくれている。コーヒーはもちろんのこと、このイラストも楽しみのひとつだ。 「あの、嬉しいです!」 「はは、よかったです。どうぞごゆっくり」 「っ、はい、ありがとうございます」  勇気を出して嬉しいと伝えると、声を出して笑ってくれた。今日はすごくラッキーだと噛みしめたばかりだが、過去いちばんのラッキーデーに訂正しなければならない。
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