推しはクラスメイト?

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 しまった。挨拶をした相手からそんなひと言が返ったら、絶対に気を悪くするに決まっている。そう思うのに、取り繕う言葉は続かない。生まれて今まででいちばんに、心の底から驚いているからだ。  ――なんでこんなところに、オレの推しがいるんだ? だってここは学校で、コーヒーを頼んでなんかいないのに。  混乱した頭の中は、クエスチョンマークでいっぱいになる。  目の前にいるのはどう見ても、希色の推しである例のコーヒー店の店員だった。 「…………? おーい。どうかしたか?」  口をあんぐりと開けて呆けていると、顔の前で大きな手が振られた。ハッと我に返り、希色は姿勢を正す。 「あ、すみません。えっと……高二なんですか?」  すでに見えていないと分かっているのに、必死に隠れようと俯いて前髪を引っ張りながら答える。 「え……」  ああ、しまった。ここにいるのだから高二に決まっているのに、妙なことを言ってしまった。彼のことを成人している年上だと推定していたから、困惑してついそんな言葉を紡いでしまったようだ。  終わった、絶対に推しから変なヤツ認定されてしまった。いや、口を滑らせなかったところで、今にそうなっていただろうけど。  そう思ったのに。  目の前の推しはマジマジと希色を見つめたあと、はじけるように笑い始めた。 「ふ、はは! マジかあ。あー、笑ってごめん。いや、こんな面白い人だと思わなかったから」  あ、この表情は初めて見た。なにがそんなにおかしかったのか、人差し指で目尻を拭っている。笑われている意味が分からないし不本意ではあるが、推しの新ビジュアルを見逃すわけにもいかなくて。胸に焼きつけるみたいに見つめていると、大きな手が差し出された。 「えっと、名前って聞いてもいい、のかな」 「あ……はい。望月希色です」 「希色……そっか、希色っていうんだな」 「…………? はい」  推しに名乗る日がくるなんて思わなかった。不思議な聞き方をするのだなと思いつつ、求められた握手におずおずと応じる。するとニカリと笑って、彼の名前も教えてくれた。 「俺は土屋(つちや)桃真(とうま)」 「土屋、桃真……」  店員と客の間柄では知ることはできなかった名に、感動を覚えずにはいられない。体になじませるかのように、希色は推しの名を呟く。 「よろしくな。桃真って呼んでほしい」 「え……それはちょっと無理、です」 「え、なんで。せっかくなんだし呼んでよ、な?」 「うう……桃真、くん?」 「うーん、もう一声。呼び捨て希望。あ、あと敬語もナシな。同い年なんだし」 「ええ、ハードル高いです……」 「はは、でもお願い。それで、えっと……希色って呼んでいい?」 「ひえっ……」  誰かを呼び捨てで呼ぶなんて、生まれて1回もしたことがない。同級生とこんなに話すのだってイレギュラーで、ひどく戸惑っていたのに。推しに名を呼ばれた衝撃に、希色はいよいよ潰れたような声を上げてしまった。  ドギマギと不規則な音を立てる心臓に、落ち着け落ち着けと言い聞かせる。そんなことを知らない推し――もとい桃真は、「あのさ」と話を進める。 「それ」 「え?」 「そのキーホルダー、ペンギンくんだよな」 「へ……あっ」  桃真が指し示したのは、希色が通学用のバッグにつけているペンギンくんのキーホルダーだ。仕事の時のボディバッグにつけているものとはまた別のペンギンくんだが、まずい、と咄嗟に思った。コーヒーショップに訪れる時、注文以外で唯一、彼と会話する内容だからだ。  自分があの客だとバレるわけにはいかない。桃真がモデルの“KEY”のことを知っているのかは分からない。だがもしも知っていて、顔を隠さず店に行く希色をKEYだと認識していたとして。万が一にも望月希色=客のKEYだと桃真の中で繋がったら――高校の人間にモデルをしているとバレてしまう、ということだ。それだけは絶対に避けたい。  たかがキーホルダーひとつでバレるはずがない、と思いつつ、希色は口籠る。そんな希色をよそに、桃真は自分の席に腰を下ろす。膝に頬杖をつきながら「触っていい?」と断りを入れて、ペンギンくんに触れてきた。 「これ、かわいいよな」 「あ……うん、かわいいよね」 「好きなんだ?」 「……うん」 「そっか。ペンギンくん好きな人に会ったの、2回目」  桃真の瞳が、希色をまっすぐに映す。前髪で顔は見えていないはずなのに、なぜか全てを見られているような気がして、心臓がドクンと拍を打った。 「そう、なんだ。友だち?」 「ううん、友だちではない」 「……そっか」  桃真が知るペンギンくんを好きなもうひとりは、間違いなく客の希色のことだろう。だが会話から察するに、同一人物だとは気づかれていないようだ。希色はこっそりと、安堵の息をつく。
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