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ひと安心すると希色の胸は改めて、推しがクラスメイトで、しかも隣の席に現れたことに驚き始める。喜んでいいのだろうか。少なくともこっちの自分は、他の同級生たちがそうであるように、疎ましく思われる可能性が高い。だとすれば、出逢いたくなかった。
俯いて考えこんでいると、担任の教師が入ってきて自己紹介を始めた。さっそくだけど、と言って配られたのは進路調査の紙だ。あちこちでブーイングが起こる中、ペンケースを取り出そうと希色はバッグを開く。だがそこに、目当てのものは入っていなかった。しまった、家に忘れてきてしまったようだ。名前だけでも記入しておこうと思ったのだが。
今日は授業がないから助かった。家で書けばいいかと紙を折る。バッグに仕舞おうとすると、肩をツンツンとつつかれた。桃真だ。おそるおそる隣の席に視線を向ける。
「もしかして、ペン忘れた?」
「あ……うん」
口元に手を添えて、ちいさな声で尋ねられる。嘘をついても仕方ないと頷くと、桃真はペンケースから一本のペンを取り出した。
「これ、使って」
「え……いいの?」
「もちろん」
「ありがとう……」
希色にとって、クラスメイトと筆記具を貸し借りすることすら今や全くないことだ。優しさに戸惑いつつ、ペンを受け取る。紙を再度広げ、名前を書きこもうとして、そのペンのデザインに静かに目を見張った。見覚えがあるのだ。エメラルドグリーンのボディには、“Midori Hibiya”と白文字で刻印してある。
希色の事務所の先輩である日比谷翠の、写真集発売時に行われた握手会のノベルティだ。余ってるからあげる、と本人からもらい、希色も1本持っている。事務所の関係者でもない限り、握手会に参加した人しか入手できないレアものだ。
タイミングよくチャイムが鳴り、希色は体ごと桃真のほうを向く。
「あ、あの、土屋くん!」
「ん? あ、桃真な」
「……桃真、くん」
「と・う・ま」
「う……桃真」
「うん。なに?」
どうしても桃真と呼ばれたがる彼は、やっとの思いで希色がそう呼ぶと満足そうに笑った。強引だなと思いつつ、希色は身を乗り出してペンを指し示す。
「このペン! もしかして翠く……日比谷翠のファン?」
「え? あー……」
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