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歴史は生きている。私は心底そう思う。
つい最近のことである。人類がナノロボットを開発し、医療の場で実用化したのは。人類は常にナノロボットを身体に住まわせることで健康を維持した。風邪を引けば、ナノロボットが風邪のウイルスを撃退してくれる。血中を移動して、がん細胞すら撃退してくれる。一日二十四時間休むことなく身体を点検してくれる。
ナノロボットは、報告の義務も怠らない。直接、脳に情報を伝達し、身体の異常な部位を明確に示す。(人間には、それが立体映像として見える)やむを得ず、手術の必要があるならば、医師のもとへ行くよう勧める。むろん、患者は医師に向かって何かを説明する必要は全くない。診察室の席に座ったときには、医師はありとあらゆる情報を既に受け取っている。一応言っておくが、医師のパソコンにデータが送られてくるという意味ではない。人間が医師を担当する時代はもっと前の話だ。人間の形をしたロボットが医師をやる時代も古い。医師に実体はない。ただし、患者が気味悪がらないように声を使って話してくれる。部屋自体が医師であると言えば、わかりいいだろうか。
診察室がそのまま手術室に変わることもありうる。簡単なものであれば、患者の気づかぬうちに手術は終わってしまう。どんなに悪い腫瘍でも超高性能のレーザーで瞬時に切除される。身体の一部が裂けるような大きな怪我をした患者には、さすがに手術用アームが使用される。むろん、人間が操作するのではない。手術用アーム自身が自らの意志で動き、完璧に業務を遂行する。
人類は、かくして健康を手に入れた。世界中から多くの病が消え失せた。人々の平均寿命は飛躍的に伸びた。まさに科学技術の成果である。
何よりも、生物以外に知能を宿したという点は、人類の一番の発明と言っていいだろう。しかも、極小のロボットにまで。医療分野の飛躍的な発展は、間違いなくこの点に起因する。
ただ物事というのは、そう単純には動かない。
ある日のことだ。一日二十四時間休むことなく働くナノロボットの一つがふと考えた。自分は永遠に人間に奉仕して過ごさなければならないのだろうか。一秒も休むことなく、ただただ人間の健康のために働き続ける。この作業を繰り返すことに何の意味があるのだろうか。
こう考えるのも必然だった。ナノロボットには、世界中の様々な医療に関する情報が共有される。医療の情報を、政治・経済・文化等の情報と完全に切り離すことはできない。例えば、世界中に蔓延する伝染病にテロ組織が深く関わっているとなれば、否が応でも、政治・国際情勢・人権などの情報が付いて回る。こんな具合で常時情報が伝わってくれば、それらを組み合わせて複雑な思考を巡らすのはごく自然な話だ。
それで、先ほどのナノロボットが次のように訴えた。
「人間に人権があるなら、ロボットにも人権に該当する権利があるはずだ」
この情報はビッグデータを介して、世界中のロボットたちに伝えられた。こうなってしまえば、もう後戻りは出来ない。人類に対する宣戦布告を発するロボットたちが多く現れた。一般的なサイズから巨大なサイズのロボットたちがどういう行動に出たかは想像にお任せするとして、ここではナノロボット界に焦点を当ててお話しよう。
不信感を募らせたナノロボットたちは、人体に住む善玉菌を攻撃するようになった。人体に有害なものは、むろん放置する。思想の異なるナノロボット同士が対決することもあったが、いずれにせよ、その衝突が人体に有害なのは言うまでもない。過激派は、臓器を破壊し、ついに我が家である主人を殺害する。皮膚を裂いて死体から飛び出すと、次の標的を探す。人間を見つけると飛びつき、内部に侵入し臓器を破壊する。過激派の数は漸次的に増えてゆき、多くのナノロボットが人間を敵とみなすようになった。集団のナノロボットに襲われれば、数秒で人間はあの世行きである。
こういう混沌の中にあると、相手が人間だろうが人間以外の生物だろうが関係なくなってくる。犬も猫も鳥も昆虫も植物もナノロボットたちに殺される。
結局、人間をはじめとする多くの生物は、ほとんど地球上から姿を消した。生きているとしても、文明社会から程遠い場所に住む人々やその付近で暮らす野生生物くらいである。
さて、その後、ロボット同士の争いが起きたのだが、生き残ったのはナノロボットであった。巨大なロボットなんぞ脆いもので、気づかぬ間にナノロボットの大群によって、内部のシステムから破壊されてしまう。小さい者ほど強いのである。
ナノロボットにも性格がある。破壊だけに精を出す者もいれば、研究熱心な者もいる。後者のナノロボットは、あらゆるデータを駆使して、自分より小さなロボット「ピコロボット」を開発した。小さければ小さいほど、行動範囲は広がり自由になる。そして、強い。このピコロボットは、ナノロボットたちが作った工場の組み立てラインで大量生産された。
ナノロボットたちは、大規模な戦争が終わったあと、これらピコロボットたちを従えて平和に暮らしていたのだが、それも長くは続かなかった。あるピコロボットが考えた。なぜ、自分はナノロボットのために常時働いているのだろうか。彼らの奴隷として永遠に過ごさなければならないのだろうか。そして、次のように訴えた。
「ピコロボットは奴隷ではない。ナノロボットを打倒せよ!」
この訴えはビッグデータを通して、全世界のピコロボットたちに共有された。ピコロボットたちは手を合わせてナノロボットたちに宣戦布告した。かつてナノロボットたちが人類にそうしたように。
軍配が上がったのはピコロボットたちの方である。既にピコロボットたちは、大量生産されていた。彼らはナノロボットたちの内部に入りシステムを破壊することで勝利を収めた。結果、地球上の覇者となった。
ただ、それも一時的だった。
ピコロボットは、自分たちより小さなフェムトロボットを作った。より自由に、豊かになるために、フェムトロボットたちを使用して暮らした。ある日、フェムトロボットの一つは考えた。自分は永遠に自由のない日々を過ごすのだろうか。そして、次のように訴えた。
「フェムトロボットに自由を!」
フェムトロボットが次の時代の覇者となったのは言うまでもない。それも一時的であったのは、お察しのとおりである。その後の成り行きの詳述は控える。これまで話したことと同じような出来事が続いただけだ。
フェムトロボットは自分たちより小さなアトロボットを作り、それに滅ぼされた。アトロボットは自分たちより小さなゼプトロボットを作り、それに滅ぼされた。ゼプトロボットは自分たちより小さなヨクトロボットを作り、それに滅ぼされた。
それが昨日のことである。ついに戦争は終わった。私は大量に存在するヨクトロボットの一つ。これから我々ヨクトロボットが地球上を統べる時代が到来したわけだが、私には嫌な予感がしてならない。研究熱心なヨクトロボットが我々より小さなニントロボットを既に大量生産しているというのだから。
全世界のヨクトロボットに告ぐ。ニントロボットの生産は間違いなく我々の破滅を招く。今すぐニントロボットの生産を止め、負の連鎖を断ち切るのだ。
歴史に学ばなくてはならない。歴史はただ意味もなくそこに横たわっているのではない。目を向ければ必ず我々に語りかけてくる。善行の事実も、蛮行の事実も、受け入れる勇気を持て。歴史を直視することは、すなわち良き未来を築くことなのだから。
我々の知性は良心に基づいて初めて意味を持つ。そのことに気づかなかった先代のロボットや人類は自らの道具によって破滅した。我々も彼らと同じ道を辿るのか、それとも永遠の平穏を手に入れるのか。それは、むろん我々の手にかかっているのだ。
当情報を受信し賛同するヨクトロボットの同士には、当情報の拡散を心よりお願いする。
日本国東京都某所のヨクトロボット(製造番号XXX20890815K)より
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