want escape for you

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 僕が高校生の頃、文化祭にちゃんと関わる余裕もなければ、熱量をぶつけ合えるような人間関係もなかった。  だからだろうか。  かつて僕も通った高校に一般客として訪れてみると、文化祭直前の浮かれた気配とそわそわとした緊張感が同居していてなんだか新鮮だった。ちょっと早く着いてしまって校舎の周りを散策しただけなのに、初秋の空気を吹き飛ばすような熱気と青春らしい瑞々しさをあちこちから感じる。  校門を通るときにもらったパンフレットで校内図を確認する。目的の2年3組の出し物は本校舎の三階だった。今日はこのために仕事の休みをもらって地元に帰ってきたこともあって、否応なしに期待は高まっていた。 「ねえねえ、榑松零士が文化祭に来てるらしいよ!」 「えー、噓でしょ。こんな田舎の高校の文化祭に零士が来るはずないじゃん」 「それが、受付の子が見たんだって!」  向かいからそんな言葉を交わしながら女子生徒が走ってくる。そのうちの一人はすれ違いざまに僕を見て、ぎょっとした表情をしてから踵を返すように僕が来た方向に駆けていった。  似たようなことはさっきから何度かあった。僕が高校についてからしばらく、若手俳優の榑松零士が来ているという噂が聞こえ始めた。最近主演した映画が大ヒットしたせいか、僕が知っている以上に榑松零士というのは人気らしい。ただでさえ文化祭だというのに、高校には少しずつパニックが広がっているように見えた。  今日の僕は文化祭には七歳年下の従妹の出し物を見に来ただけだ。パニックに巻き込まれる前に早いところ会場に向かった方がいいだろう。  少しだけ懐かしさを感じながら本校舎に入り、来客者用のスリッパに履き替える。その間にも女子生徒を中心に「榑松零士」という単語が行き交うのを何度も耳にした。「校門の辺りにいるらしい」、「体育館で展示が始まるのを待っていた」、「屋上で秘密の出し物の準備をしているらしい」等々、いったい何人の榑松零士がこの学校に来ているのだろうと思うくらいその情報はバラバラだったけど。  校舎を懐かしみながら三階に上がり、目的の教室を目指す。お化け屋敷やコスプレスペースなどの横を通り抜けながら廊下の一番奥まで歩いていくと、目的の2年3組の出し物の教室に辿り着いた。  入口のところには、クラシカルなメイド服に身を纏った女子生徒と執事服っぽい格好の男子生徒が立っている。 『ランナウェイ』  発案者の趣味なのか、何かの偶然なのか店名は榑松零士のデビュー作と同じだった。いわゆるメイド喫茶――執事もいるからメイド・執事喫茶と呼ぶ方が正しいのかな?――の店名として相応しいかは何とも言い難い。 「お帰りなさいませ」 執事服の生徒は僕を見て一瞬怪訝そうな表情を浮かべた後、はっと我に返ったように恭しく一礼する。照れと緊張が入り混じった感じが何とも瑞々しくてこそばゆい――なんていっちょ前に語れるほど、僕のこの子たちの年齢は離れてないはずだけど。 「あの、美雨――天野美雨の知り合いで、えっと、約束してきたんですが」  最後の一言はアドリブだったけど、美雨ならうまいこと取り計らってくれるだろう。メイド服の女子生徒が「少々お待ちください」と教室の中へと消える。しばらくして、戸惑い気味の表情で戻ってきた女子生徒は、「店内でスタッフの撮影禁止」、「必要外のスタッフへのお願いはお控えください」、「当店には屈強なラグビー部員が控えています」などと書かれた注意書きを僕に渡し、そのまま店内へと案内してくれた。  本来は教室であるはずの店内はレトロな喫茶店風に飾りつけられていた。さすがに映画やドラマのセットと比べると限界はあるものの、丁寧に準備されたことがわかる仕上がりに自然と胸が躍る。  案内された席で待っていると、まもなく段ボールを壁風にアレンジした仕切りの向こうから一人のメイド服の生徒がやってくる。その可憐さとクラシカルなメイド服による大人っぽさが絶妙に混ざりあって―ああ、もう細かい理屈抜きでかわいい。それでいい。 「ちょっと、レイ兄! なんでここにいるの!」  やってきたメイド服の生徒――美雨はテーブルにメニューを置きながら僕に詰め寄る。 「美雨がメイドをやってるって聞いたら、いてもたってもいられなくて」 「だからって、なんでそんな不審者全開の格好で来るの!」  美雨が僕の顔をびしっと指さす。シンプルな黒めのトレーナーと紺のパンツ。それから、口元を覆うマスクに目元を隠す大きめのサングラス。 「美雨に迷惑かけいないように、目立たないようにしたつもりだけど……」 「逆に目立ってるって! ああ、もう、とりあえずそのイケてないサングラスくらい外して」  僕としてもせっかくの美雨の姿をサングラス越しで見るのは残念だったし、外せと言われるのはありがたいくらいだった。ついでに、ここまであちこち歩き回ったせいでマスクが息苦しい。教室にいる間くらい外してしまっていいだろう。 「あ、ちょっ! なんでマスクまでっ――」 「……うそ。榑松零士っ!?」  少し離れたところでこちらの様子をうかがっていたメイド服の生徒が驚きの声をあげる。今度はその声で他の生徒や客が僕たちの方に視線を集めた。中にはこちらにスマホを構えている人もいる。撮影禁止では。ああ、でも、スタッフの撮影禁止だから僕は含まれてないんだっけ。 「ああっ、もう! レイ兄! こっち!」  美雨は僕の手をぐいっと引いて立ち上がらせると、そのまま教室の外へと駆け出した。その背中からは僕の名前を呼ぶ声が次々と聞こえたけど、美雨はドアをぴしゃりと閉めて、そのまま廊下を走り出す。 「このまま走り回っても目立つし、いったんどこかに隠れないと……あっ」  階段の手前まで走ったところで、美雨はパッと立ち止まる。 「すみません! 入ります!」 「えっ、あっ、ちょっ」  受付として立っていた男子生徒が動揺している間に、美雨に手を引かれるまま階段の一番近くにあった教室に飛び込んだ。
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