尻歩きする人 ―― shiriaruki-ller ――

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 義実の家は、珠野市の郊外にある。  義実がごく普通の生活を送っているのは、今の家族のお蔭である。  生垣の隣の駐車スペースに車を駐め、「荻野(おぎの)」の表札のある古い門をくぐる。わずかに残る夕焼けを背景に、蔵が不気味にそびえ立っていた。  古民家の玄関先は、外灯が点いている。  義実が声をかけるより早く、ばたばたと足音をたてて、家の主がやってきた。 「、おかえり! 夕飯、できてるよ!」  兄弟のように育ったその男の笑顔を見ると、遠慮していた自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう。 「ただいま、一希(かずき)」  この家の今の主の名は、荻野(おぎの)一希(かずき)。一希の養父母の一人息子であり、珠野の名家、荻野家の跡取りと言われている。  義実は、一希の前では自分を偽らずに生きていられる。一希は唯一、顔に黒い(もや)が見えない人なのだ。 「ごめん、親父からビデオ通話だ……もしもし、親父? あ、おふくろも。よっちん? いるよ?」  唐突にビデオ通話が始まった。相手は一希の両親だ。一希の父は昨年、県議会議員に当選し、県庁所在地の近くに夫婦で引っ越してしまったが、頻繁にテレビ電話がかかってくる。不思議なことに、画面越しでは人の顔に(もや)がかかって見えない。義実は養父母の顔形を、テレビ電話をするようになってから認識するようになった。 「悪いけど、これから仕事の話をしなくちゃならないんだ。切るね」  一希は容赦なく通話を終了した。 「一希、愛されてるな」 「義実が心配なんだってさ」  一希はカレー皿に炊き立ての米飯を盛り、フライパンから熱々のカレーを注いだ。エビのカレー、プラウンマサラ。一希の得意料理で、義実の好物だ。  食べ終わると、一希は早速仕事の話を切り出した。 「先程、純子さんから連絡が来た。『はくあいホーム珠野』の件に協力してほしい、と」
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