尻歩きする人 ―― shiriaruki-ller ――

7/12
前へ
/12ページ
次へ
「そういえば、施設長と入居者の綿田(わただ)さんは陣野さんに手首を掴まれたことすら無かったです」  顔に黒い(もや)のかかった、噂話が好きそうな介護職員が話してくれた。 「あと、陣野さんが東京から珠野に引っ越してきた時期って、小台(こだい)さんが引っ越してきた時期と同じなんですよ。小台さんが東京にいたときに近所で変な事件が相次いで、怖くなって珠野に引っ越したら、珠野でも似た事件が起こって怖くなったって、小台さんが元気だった頃に話してくれました」  陣野が、東京と珠野に行来するように引っ越していたのが、義実も気になった。 「事件……あれですね?」  純子には、事件の見当がついているらしい。  一希による紙芝居が終わり、入居者達はおやつの時間になった。プリンが配られると、入居者達は待ってましたとばかりにスプーンを手にする。義実には、黒い(もや)のかかった入居者の顔は見えなかったが、小台さんと言われた老婦人は、義実に品良く微笑み、頭を下げた。先程の介護職員の言い方から、今は認知症状が進行しているようだった。  ひとりだけ、左手でスプーンを持っている人がいた。あの老人が綿田さんだと教えてもらった。あの年代で左利きは珍しい。  聞き取りが終わり、市役所庁舎に向かう車の中で、義実は純子に事件のことを聞いてみた。 「義実くんの世代は知らないか。昔、珠野で連続放火殺人事件があったんだよ。遺体には骨を折るほどの大怪我の痕跡があったんだって。東京でも似た事件があったのは、知らなかった」
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加