20人が本棚に入れています
本棚に追加
Act4.「真夜中エスケープ」
(えっ……先輩!?)
ファーストフード店を出ると、店先には何故かSが待ち構えていた。何も言わず走り去ってしまったわたしは、気まずさでいっぱいになる。店内に戻りたかったが、もう遅い。Sはその長い脚で、あっという間にわたしの前にやって来た。
「マリーちゃん、さっきはどうしたの? 心配したよ」
「……えっと、」
この人は、わたしのことを追って来たのだろうか? どうしてここに居ると分かったのだろう?
好きな人が自分を心配してくれているというのに、ちっとも嬉しい気持ちが湧き上がらない。それどころかわたしは、彼に不信感を抱いていた。じわりと嫌な汗が額に滲む。黙って俯くわたしの前に――温かな壁が出現した。
顔を上げると、そこには真っ白なシャツ。マコトがSの前に立ちはだかっている。Sは今の今までマコトの存在が視界に入っていなかったみたいに「おや」と目を丸くした。
「君は誰だい? マリーちゃんの弟くんかな?」
「お前こそ誰だよ」
「僕かい? 僕のことはマリーちゃんがよく知っている筈だよ。ねえ、マリーちゃん」
……どうしてこの男のことを、爽やかな好青年などと認識できていたのか。Sの視線や言葉は、冷たくぬめる蛇のように気味が悪かった。数刻前まで彼に憧れていた自分が信じられない。理由は分からないが、夢から覚めてしまったみたいだ。夢から醒めて、悪夢を見ている。
とはいえ、職場の先輩相手にこれ以上失礼なことをしてはいけない……わたしは社会人の心得を思い出し、外行きの笑みを作った。
「マコト君、この人はわたしの職場の先輩だよ」
わたしがSのことを紹介すると、マコトはぎゅっと眉間にしわを寄せる。おまけにチッと舌打ちまで飛ばしてくる。何がそんなに気に食わないのだろう?
そんなマコトとは反対に、Sは満面の笑みだ。
「そうさ。だから、ここからは先輩である僕が、マリーちゃんを引き受けよう。君はどうやら、弟という訳でも無さそうだしね」
Sがマコトの後ろに回りこみ、わたしの肩に手を伸ばす。しかしその手がわたしに届くことは無かった。わたしがマコトに思いきり腕を引かれ、遠ざけられたからだ。
あらぬ方向に強い力で引っ張られた所為で、肩が痛い。抗議しようとマコトを睨むが、その横顔のあまりの気迫に何も言えなくなってしまう。常に眠たそうなその目は見開かれ、眼光鋭くSを睨んでいた。燃えるようでもあり、凍てつくようでもあるその視線に、それを向けられていないわたしもゾッとする。Sも完全に表情を失くし、息を呑んでいた。
「おい、行くぞ」
「えっ?」
マコトは戸惑うわたしの手を引いて、ガードレールに立てかけてあった自転車に近付くと……勝手にサドルに跨る。
(な、なに、なにしてるのこの子)
突拍子のない少年に、さっぱり付いていけないわたし。けれど強い口調で「早く乗れ」と言われ、反射的に荷台に乗ってしまった。
Sは何かを言いかけ、手を伸ばしかけ……全部、間に合わない。わたし達を乗せた自転車は、既に夜の街に走り出している。恐る恐る振り返った先のSは、わたしの知らない怖い顔をしていた。
……嫌われたかもしれない。けれど、それならそれでいい。
自転車を盗んだこととか、ノーヘルメットの二人乗りだとか、相手が中学生だとか、今のわたしには社会的に問題があり過ぎる。警察に捕まれば、責任を追及されるのは未成年の彼ではなくわたしだろう――なんて頭の片隅で考えはいるものの、実のところ、そこまで気にしていなかった。
最初のコメントを投稿しよう!