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Act1.「消えた友人」
――わたしの通っていた中学校には、全国どこにでもあるような七不思議があった。語り手によっては七に満たないことや、七を超えることもある適当な怪談話だったけれど、その中でも特に曖昧でブレの大きい話が『家庭科準備室の合わせ鏡』だった。
4時44分44秒に、家庭科準備室の姿見で合わせ鏡をすると、未来の自分が見える。運命の相手が見える。鏡に吸い込まれる。悪魔が現れる。呪われる……エトセトラ。随分と使い勝手の良い万能七不思議じゃないかと、当時のわたしはクールを気取って鼻で笑っていたものである。
高校受験を前に現実逃避しがちなクラスメイト達は、競って家庭科準備室に忍び込んでは無事に帰還し『なあんだ、つまらないの』と安堵の顔で落胆を装っていた。
そんな彼女達に『ほらね』『やっぱりね』と冷めた反応をしていたわたしも、内心ではソワソワしていた。でも素直になれなかった。少しでも大人ぶりたい年頃だったのだ。それでいて小心者で、膝下丈のスカートに甘んじているような、垢抜けない中学生だった。
そんなわたしとは違い、小学生の頃から何も変わらない天真爛漫な友人は、見た目だけは色めいて所謂ギャルにつま先を踏み入れていた。
長いカーディガンから少しだけ見え隠れする程度のスカート。ライオンみたいな色の、痛んだパーマ髪。テカテカの赤いマニキュア。耳にはピアスを煌めかせ、近付くと甘い香水の香りがした。
果物とも花ともつかない、匂いと臭いを行き来するキツイ香りを漂わせ、彼女がわたしの耳元で密やかに囁いた言葉。それは、大人になった今でもよく覚えている。
『みんな、見てる時間が違うんだよ。鏡の中の4時44分44秒は、こっちの8時16分16秒に違いないんだから』
“あたし達で試してみようよ”という怪談好きの彼女の提案によって、その日の夜は忘れたくても忘れられない夜になってしまった。
七不思議を実践した彼女は、語られていた噂の一つを証明するように――わたしの目の前で、鏡に吸い込まれ消えてしまったのだから。
彼女が失踪した日……あれは中学三年生の七月、夏休みに入る少し前だった。秋の大会に向けて励む運動部員達で、学校には夜になっても人気があり、わたし達が夜間に潜り込むことも容易だった。
わたしと彼女は既に部活を引退しており、受験勉強から逃げている限りは、放課後は暇を持て余していた。七不思議は暇潰しとしても、受験前最後の青春イベントとしても手頃で、“子供っぽい友人に付き合っているだけ”という口実も得たわたしは、ようやく七不思議探検への参加権を手にしたのだ。
わたし達はクッキング部の後輩に頼み込み、予め鍵を開けておいてもらった窓から侵入した。そして、時々聞こえる廊下の足音や声にビクビクしながら、その瞬間を待っていた。
人目も気にせず胡坐をかいて。スクールバッグの上にクッキーをパーティー開きして。イヤフォンを半分こし、彼女が好きなアイドルの曲を聴いて。本番よりも楽しい待ち時間を謳歌していた。
もちろん悪い事をしている自覚はあった。だから、楽しかった。あの日のわたし達は、その夜がかけがえのない思い出の一つになると予感していたのだと思う。けれど、そうはならなかった。何物にも替え難い時間は、何を引き換えにしても、もう戻らない。
8時16分16秒、わたしの一番の友人は、この世から消えてしまった。
――以降の記憶は、曖昧である。
居なくなった友人は、誘拐事件に巻き込まれたのだろう……というのが世間の見解だった。わたしは犯人を目撃したショックで、妄想に取り付かれているのだろうと。
わたしは大人達に問い詰められ、同情され、クラスメイトからは好奇の目を向けられていた……気がするが、暫くの間ショックで呆然自失状態だったらしく、あまりよく覚えてはいない。
あれから十年以上たった今、わたしはすっかり自分を取り戻して地に足を付け生活していた。けれどあの日の出来事は、思い出すと痛む古傷のように、今もなおわたしを苦しめ続けている。
鏡を見ることが怖くなり、手鏡一つ持てず、外で鏡を見かけると、太陽を嫌がる吸血鬼の如く避けていた。
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