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夜の街を走り、走り、ひたすら走る。人々はわたしの方を見向きもせず、変わらない日常の景色は予定調和に動くビデオのようだった。色とりどりの街明かり。突き並ぶ看板はデザインに統一性がなく、それが逆にひとつのジャンルとしてまとまっている。車の窓から漏れ出る音楽は、昔流行っていたアイドルの曲だ。
(わたしは、どこに向かっているの、どこに行けばいいの)
会社でも外でも、今日はずっと一人で鬼ごっこをしている。罪悪感という名の鬼が自分の中に居る以上、どこに逃げても決着はつかないというのに、どこまで走り続けるのか。
ひたすら走っていると、突然街の景色が途切れ、赤い鳥居が見えた。鳥居の先には石の階段。長く続いたその先に神社があるのだろう。……こんなところに、神社なんてあっただろうか? 街中に突然?
夜の神社なんて、それこそ肝試しに相応しい不気味な印象があるが、もっと具体的な恐怖に追われていると、神聖さだけが際立ち救いに感じる。わたしは助けを求めるように鳥居をくぐった。
すると……心が僅かばかり軽くなる。プラシーボ効果みたいなものかもしれないけれど、幻覚も思い込みなのだから、それで充分。わたしは縋る思いで石段を上った。
すぐ後ろまで、恐ろしいものが追って来ているかもしれない。早足に一段、一段、やがて一段飛ばしで駆け上がる。大人になってから一段飛ばしをするとは思わなかった。
階段を上がりきった先には“いかにも”という、どこにでもありそうな神社。だからだろうか、実家の近くにあったものに似ている気がする。
曖昧な記憶の中の神社。しかしセットで思い出される人物は、鮮明だった。わたしがまだ小学生の頃に他界してしまった、優しくて笑顔の可愛い、大好きな祖母だ。
祖母は病気がちだったが、少しでも調子が良い日は必ず近所の神社に参拝に行き、いつも沢山のお供え物をしていた。お饅頭、お団子、あんこ餅。お供え物は甘いものばかりで、幼いわたしは何度か手を出しては『こら。これは神様のものなのよ』とやんわり叱られた。神様ばかりずるい、と拗ねていた幼稚な自分を思い出す。
わたしは懐かしい祖母との思い出に、また少しだけ心が軽くなった。気持ちもちょっとだけ前向きになる。ここに何かしら人間以外の存在が居たとしても、それは自分の味方である気がした。
石の道を歩き、拝殿の方に進んでいく。わたしの身に起きている現象の専門家は、心理カウンセラーだと思っていたけれど、実は神職者であるかもしれない。……果たして夜の神社に、人は居るのだろうか? まあ居なくても……とりあえず、神頼みだけでもしておこう。
趣を感じる渋い木造の拝殿。太い注連縄。垂れ下がるガラガラの鈴。その下にある賽銭箱の奥から、突然にゅっと腕が生えたのを見て、わたしの心臓は跳ね上がった。体の中でゴトンとぶつかって、胸が痛い!
血塗れ女よりはマシかもしれないけれど、腕の生えた賽銭箱も嫌だ……!
しかしすぐに、それがそんなシュールな化物ではない事を知る。腕だけでなく体も生えたのだ。
その人は賽銭箱の向こうでゴロンと横になり昼寝……ならぬ夜寝でもしていたのか、肩をゴキゴキ鳴らしながら眠そうな顔で起き上がった。
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