第一章 

13/17
前へ
/46ページ
次へ
「詳しく話してくれないか?」  木津は力なく頷いた。    奈々未は里来をソファの上に寝かせた。タオルケットを掛けようと寝室から持っくるも、手の震えが止まらず、うまく広げられない様子。俺が立ち上がる前に、隣にいた新嶋が「奈々未さん、俺やりますよ」と、すかさず声をかけた。迷わずすぐ行動に移せるその姿に、心根の優しさに触れた気がした。  そんな新嶋に奈々未の表情も和らぎ、少し落ち着きを取り戻すことができたようだった。 「木津、この家には何があるんだ? 君はわざと俺にこの家を選んだんだろ?」  これ以上、刺激しないよう、声を抑え気味に問いかける。  俯いたまま、言葉を置くように木津は語り始めた。 「この家は、数年前に僕が担当になったんだ。会社で好かれていないから、厄介な物件は全部、僕にまわってくるんだよ。いつものことだと思っていたけど、この物件は違ってね。どの家族も、入居して半年も経たずに出ていく。理由を聞いても、みんな口を噤んで教えてくれない。だから、唯一、会社で話してくれる上司に聞いてみたんだ。何かいわくつきの物件なのかって」  半年……。  俺達はまだ一ヶ月しか経っていないが、この家の不穏さは、ひしひしと伝わっている。 「上司は渋々教えてくれたよ。口外しないことを条件に」  木津は落ち着きなく、顔や腕を触ったり、膝の上で組んでいる手を何度も組み直していたが、ピタリと止まった。 「──この家を最初に購入した家族、全員亡くなっているんだ」 「全員!?」  思わず大きな声を出すも、里来が目を覚ましてはいけないと、慌てて口を押さえる。 「その家族は三人家族で、子どもは男の子。確か、三歳だったかな。お父さんが妻と息子を殺したあと、自分も自殺したらしいんだ」 「殺した!?」  嘘だろ……。  血の気が引き、体が冷たくなっていく感覚。  ニュースで見聞きする事件であって、気の毒ではあるが所詮、他人事。自分には降りかかることのない火の粉だとばかり思っていた。  それが、こんな形で関わることになろうとは……。   外の雪が地面に落ちる音が聞こえてきそうなほど、静まり返る室内。  そんな沈黙を破ったのは戸田だった。 「動機はわかっているのか?」と平たい声で言った。    咳ばらいを一度した後、木津が説明を始めた。 「残念ながら、動機まではわからなかった。だけど、これは十三年前の事件で、当時は少しだけニュースにもなったみたいだから、昔から住んでいる町の人なら何か知っているかもしれないね」  十三年前か。俺はまだ子どもだ。例えニュースになっていても気に留めることはなかっただろう。 「じゃ、この家ってやっぱり事故物件ってことじゃないか」  新嶋が苦笑する。 「それが、厳密には違うんだよ。賃貸の場合、三年を超えると説明する必要はなくなるんだ。聞かれない限りはね……」 「なるほどね、わかった。もういい。引っ越すことにするから、すぐに解約してくれ」  いわくつきだとわかった以上、こんな所に住んでなどいられない。  考える余地はない。 「それがさ……」  顔を引きつらせながら木津は続ける。 「この物件、半年住まないと解約金がかかるんだよ」 「そんなのわかってる」 「いや、だから、その……」 「なんだよ、はっきり言えよ」 「解約金……五十万なんだ」 「はあ!?」  木津以外の全員が声を上げた。 「なんでそんなにかかるんだよ。そもそも何も言ってなかったじゃないか」 「だからそれは……」 「──嫌がらせか」  木津の言葉を遮る。 「そんなこと許されるのかよ」  奈々未を見ると、両手で顔を覆っていた。  背中を擦り、気休めにもならない言葉をかける。 「大丈夫だ。なんとかするから」  言ったあと、自分でも情けなくなり、呆れ笑いが出そうになる。  なんにも大丈夫じゃない。むしろ、事態は悪化している。あんな恐ろしいことが起き、確実にこの家には何かが棲みついているとわかったというのに、いくらなんでもでたらめ過ぎる言葉だった。 「とりあえず今日はもういいよ。正直、顔も見たくない。それにみんな、疲れたよな?」  戸田と新嶋の顔を見る。答えを聞かなくても、二人の疲弊は明らかだった。 「二人とも巻き込んですまなかった」 「いや、大丈夫だ。でも、俺達も帰ろうか。明日も休みだし、一日休んだら少しは気持ちも晴れるだろう」  戸田は、新嶋に言い聞かすように言う。  新嶋は苦笑いの手本のような顔で小さく頷いた。    木津が帰ったあと、戸田と新嶋を見送る。 「ここでいいよ。寒いしな」  戸田は靴を履きながら俺を見た。 「ああ、そうさせてもらうよ。雪、降ってるから気を付けてな」 「──奥さんのこと」 「うん、わかってる。気にかけてくれてありがとう」  新嶋は口を固く結び、頷く。  二人は軽く手を挙げ、季節が完全に移り変わったことを知らせる冷たい北風の中、帰路へついた。  俺は、そんな二人の後ろ姿を見つめながら、巻き込んでしまったことを悔いていた。  
/46ページ

最初のコメントを投稿しよう!

38人が本棚に入れています
本棚に追加