第二章 

2/13
前へ
/46ページ
次へ
 二十一時過ぎ、里来を寝かしつけリビングに戻ってきた。お気に入りの絵本を読み聞かせると、泣きつかれていたのか、二ページ目を読み終える頃には、かわいい寝息をたてていた。   「里来寝た?」  奈々未はココア片手に、背中を丸めソファに座っていた。 「ああ。布団に入ったらすぐ寝たよ」 「泣きつかれたのね……かわいそうに」  奈々未の顔色は悪く、疲れ切っていた。  数分前、里来を寝かしつける際、「ととじゃなきゃ嫌だ」と、一悶着あったのだ。こういうときはいつも奈々未の出番なのだが、今日は俺だったらしい。  里来自身、さっきの出来事が現実で起こったことなのか、夢の中の出来事なのか、混乱し、感情の行場を失っているのかもしれない。  無理もない。  到底、現実では起こり得ない事なのだから。大人の俺だって、誰かに嘘だと言ってもらいたい。 「健太郎、思うことが一つあるんだけど、聞いてくれる?」 「もちろん、いいよ」  奈々未は小さく息を吐き、話し始めた。 「あのね……里来だと思うの」    口に出すことを躊躇っているかのか、歯切れが悪い。 「親って、子どもに無償の愛を感じると思うの。特にお腹を痛めて産んだ母親ならなおさら。でも、この家で亡くなった子どもは、父親に愛してもらえず、しまいには殺されてしまったのよ。もし、母親の目の前で子どもが殺されたとしたなら、その母親の心は壊れたに決まってる。順番が逆だとしても結果は同じよ」  奈々未は、女の怨霊に同情したのか、目に涙を溜めながら話す。 「だからね、強い恨みを抱いて亡くなったと思うの。それと同時に、子どもへの執着が強くなったんじゃないかしら」 「執着……」 「だから……、狙いは里来だと思う」  奈々未の言葉は、刀のように鋭く俺の胸を斬りつけた。  まさか、そんなことって……。  だが……。 「確かに里来の描いた絵……。里来は、俺たちより前に異変に気がついていたんだ。気がついていたと言うより、見えていた。そうか、初めから里来が狙いだったんだ」  絶望という言葉が容量を超え、冷汗と一緒に体中の毛穴から漏れ出てくるようだ。 「どうして気づかなかったんだ。話を聞いた時点で気づくべきだったんだ」 「話?」  奈々未に聞き返され、今まで俺の身に起きたことや、仲里さんに聞いた話を彼女に隠していたのだとようやく思いだした。  当時は、ここまで事態が悪化するとは思っておらず、言わないまま終えるとたかをくくっていた。しかし、もう隠していることは家族のためにならない。    心霊写真からはじまり、妻鳥主任、仲里さんから聞いた話まで、全てを説明した。  奈々未はますます顔色を失っていき、頷くのがやっとの様子。 「余計な心配をかけたくなかったんだ。それに、状況がこんなにも悪くなると思ってなくて……」  下を向いていた奈々未が顔を上げた。 「健太郎。あなたは優しすぎるのよ」  ふっ、と鼻で笑われたような気がした。   「いつもそうよね。私のため、子どものためと言って、私たちに向き合おうとしないじゃない。今回のことだって、初めから話してくれていたら、違う対処ができたかもしれない。一人で考えるより二人で考えたほうが、より多くの答えが見つかるじゃない」  奈々未の言う通りだった。言い訳も見つからない。  大きな火柱が立ち昇ってからではなく、小さな火種のうちにで話し合っておくべきだった。  隠していたことは優しさなんかじゃない……。 「……ごめん」  他に言葉は思い浮かばなかった。 「私たち、家族なの。いい? これからは隠し事なしよ」 「わかった……」  後手後手に回り、自らの首を絞める。  俺は大馬鹿者だ。 「健太郎はこれからどうしたい?」 「俺の考えは変わらないよ。お金に目処がついたらすぐにでも家を出よう」 「それはわかるけど、次の家、そんな簡単にこの田舎町で見つかるかしら」 「今、会社の人にも相談してるから。なんとかするよ」 「──うん。私も職場の人に聞いてみる」  奈々未は、数日前から小さな建設会社の事務として勤務している。  ならし期間の里来は昼前に帰ってくるので、しばらくは短時間の勤務たが、将来的には正社員としてフルで働きたいそうだ。  奈々未が働くこには賛成だ。  大人になると友達を作る機会がぐっと減る。田舎だと尚のこと。  それでも社会に出て働けば、この田舎だとしても人はいる。元々、社交的で太陽のように明るい性格。すぐに友だちができるに違いない。  話し合いが終わり、疲れ切っていた俺と奈々未は早々に布団に入ることにした。  言葉少なめのまま、奈々未はすぐに眠りについた。  二人の寝息を聞きながら目を閉じると、ぼんやりと女の怨霊が浮かび上がる。追い払おうとすればするほど、はっきりとしてくる輪郭。  純粋に怖かった。  普段なら気にもとめない風の音や家鳴りさえ、底気味悪く感じさせる。  全身の感覚が敏感になり、怯える。耳を塞ぎたくなる。鼓動が早くなる。  今はとにかく、今日という日を終わらせたかった。この最悪な一日を、一時も早く。                
/46ページ

最初のコメントを投稿しよう!

37人が本棚に入れています
本棚に追加