第二章 

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「つい先日、里来がここで遊んでいる時に、女の霊に腕を掴まれたんです。くっきりと手跡もついていました。ちなみに、俺の前にもその霊は現れました」 「そう……」  妻鳥さんはそう言うと、手に持っている数珠を見た。 「では、次の部屋へお願いします」 「あ、はい」  全ての言動が意味ありげで、もどかしい。 「一階の部屋はここだけですので、次は二階へご案内します」  階段を上りながら、二階の部屋割りを説明する。 「では、寝室からお願いします」 「──わかりました」  他人に寝室を見られるのは、相手が霊能者であっても複雑な気持ちだ。 「こちらです──」と、寝室のドアを開ける。  妻鳥さんが部屋へ足を踏み入れ、すぐに「あっ、ここは大丈夫です」と背を向けた。 「えっ?」と思わず顔を見る。 「ここには、臭いが残ってませんので特に見なくても問題ないと思います」 「そう……ですか」  確かに、寝室ではなにも異変は起こっていない。  となると……。 「次は俺の部屋に……」  ここは、女の霊が現れた部屋。  ドアを開け、俺が先に入る。 「ここにも臭いが残ってますね……」と入るとすぐに言った。 「女の霊が現れた部屋です。息子の前に現れる寸前までここにいました」 「霊から、どんなコンタクトや攻撃を受けましたか?」  どんな……。  あの時、女の霊は、ただ目の前に立っていただけ。  何をするわけでもなく、ただ、そこにだけ。 「俺の前で、ただ立っていただけです」 「──なるほど」と、再び数珠を見る。  この、数珠を見る動作は何を意味しているのだろう。  見た感じ、なんのへんてつもない数珠。俺が身に着けていてもなんら違和感はないだろう。 「お部屋は、あと一つですね?」 「はい。息子の部屋です。一人では寝かせていませんが、のちに、息子の部屋にしようと色々買いそろえていたんですが……」  引っ越すかもしれませんと、喉元まで出かかったが、呑み込む。  「では、行きましょう」  次の部屋で最後だ。  今の所、顔色ひとつ変えず、何を言う訳でもなく、淡々と部屋を見て回っているだけ。    これなら、内見と変わらない。 「──どうぞ」と、ドアノブのハンドルを下げる。 「あれ?」  ドアノブのハンドルを下げようとするも、動かない。  力任せに押し下げるもビクともしない。まるで、反対側から誰かに押さえつけられているように……。 「どうかしましたか?」 「すみません。ドアノブが硬くて」  押し下げる動作をしながら、妻鳥さんの方を見る。  数秒黙ったあと、「ちょっといいですか?」と、彼女はドアノブに手をかけた。 「──なるほど」  そう言うと、ポケットから出した黒い紐をドアノブに巻き付け始めた。  お経のような言葉を囁きなから、念を込めるように巻き付けていく。 「──開きました」  ギィと音を立て開くドア。 「ど、どうして……」  呆気にとられいると、部屋の前で説明を始めた。 「母親の霊が、私をこの部屋に入れさせないようにドアを閉めていたのです」 「霊が!?」 「どの霊も、霊媒師を嫌います。人間に攻撃を仕掛けてくる場合、大半は、祓われたくない霊です。何か目的があって成仏しなかったわけなので」 「えっ? 成仏したくない霊なんているんですか?」 「います。生きている人間と同じように、色んな霊が存在するのです」  色んな霊。  この言葉には妙な説得力があった。  よく考えれば、人間が死んで霊となるのだから、霊一体ずつ、性格が違って当然なのだ。ひねくれ者、乱暴者、俺のような臆病者。  十人十色というわけだ。  この家に棲みつく霊はどんな性格で、何が目的で、成仏しなかったのだろうか。 「では……」と、部屋の中へ。 「失礼します」と、妻鳥さんが足を踏み入れた時だった。  手に持っていた数珠が切れ、四方に弾け飛んだ。  バラバラに散らばる、数珠。 「ど、どうしたんですか?」と、狼狽える俺。 「──とりあえず、数珠を拾っていただけますか?」 「は、はい」  何が起きているのかわからないまま、四方に散らばった数珠を、回収していく。  よからぬことが起きているのではないかと、勝手に不安を察知した体は、俺の意に反し震えはじめる。  幸い、それほど物が多い部屋ではない為、見つけるのは容易かった。 「ありがとうございました。部屋はこれで最後ですね」 「そうです」 「では、リビングへ戻りましょう。各部屋のご説明をします」と言った妻鳥さんの額には、汗が滲んでいた。  階段を下りる足取りはなぜか、重い。  確実に二階へ上った時より、不安の重量が増え、胸の中を圧迫していた。胸焼けさえ覚える。  リビングへ戻ると、奈々未と里来は小さなボーリングのおもちゃで遊んでいた。ちょうど里来はピンを倒した所で、ピョンピョンと飛び跳ね喜んでいる。しかし、俺たちが入ってきたことによって、奈々未の意識はこちらに向けられた。 「かかー!」と、呼ぶ声を遮り、「どうだったの?」と立ち上がる。  俺はとりあえず里来を抱き上げ「今、説明してくれるそうだよ」と言った。  先程と同じ位置に座る。 「全部のお部屋を見せていただきました。ご協力ありがとうございました」  妻鳥さんは、ハンカチで額の汗を拭い、続けた。 「それでは、結論からお話します」  緊張のあまり、胃を掴まれたように、吐き気を催す。 「この家に棲み着く霊を、祓うことは、私にはできません」 「えっ」と、言ったつもりだが、声になっていたのかわかない。  代わりに奈々未が「それって、どうして……ですか」と質問する。 「あまりにも強い執着があるからです。私は今まで数多くの霊を祓ってきました。難しいこともありましたがここまでの執着を見せた霊は経験ありません」 「えっ、じゃ、俺たちはどうしたらいいんですか……」 「一番の最善策は、この家を出ることです」 ──やっぱりか。  奈々未の方に顔を向けると、里来を抱きしめながら俯いていた。 「先程、各部屋で私が数珠を見ていたことに、お気づきになりましたか?」 「ええ」  気になっていた動作だ。 「あれは、霊の強さを見ていたんです。この数珠は私の念が込められていて、霊力の強さによって色が変わるようになっています」 「色……」 「私は特に、鼻がよくききます。先程も説明しましたが、強い恨みや強い霊力を発した時、臭いが出ます。それはしばらく残るものなのです。臭いの強い場所で数珠を見ると、色が変化し、霊の強さも判別できるのです」  必死に耳から入ってくる言葉の意味を理解しようと、頭を働かせる。 「数珠の色は、三種類。色が変わらないのが、主に浮遊霊。ただ、そこにいたいだけ。どこにでもいます。赤が二段階目で、たまに人間にいたずらすることがあります。わかりやすく言えば、心霊写真に現れたり、テレビを付けたり消したりと、定番の現象を起こす程度です」 「ちょ、ちょっと待ってください。現象を起こす程度って、それでも十分恐ろしいことじゃないですか?」  口を挟まずにはいられなかった。  だって、その定番こそが全てじゃないのか? 他に何があるっていうんだよ。 「そうですね。何も知らない人たちには怖いですよね。でも、実際、心霊写真に写る、テレビを付けたり消したり、たまにドアをノックしてみる、目の前にちらっと現れてみるというのは、それほど怖いことではないんです。霊にとってはあくまでもイタズラなので。何も知らないから怖いだけで、この原理を理解すると怖くなくなります」  もう、何を言っているのか理解するのは諦めよう。霊能者の次元まで行くことは、不可能だ。 「じゃ、三段階目はなんなんです?」  奈々未が聞いた。  機嫌が悪い時の声だ。 「三段階は、青です」  意外だった。イメージで言えば、赤や黄色や黒、なんとなく危険や攻撃を感じさせる色かと思った。 「青に変わった時点で、命の危険が出てきます」 「命!?」 「すぐに攻撃を仕掛けてくるわけではありませんが、その可能性があります。イタズラ程度ではないということです」 「ど、どうやって、命を奪うというんですか」  狼狽え、呂律が回らない。 「例えば、取り憑いて人格を破壊するだとか、病気にさせるだとか、直接手を下すこともあります」 「直接……」 「ええ。直接手を下すことができる霊は、本当に危険です。その霊を祓うことができる霊媒師と会ったことはありません」 「えっ、じゃ、死ぬしかないってことですか?」 「──そういうわけではないですが、時間がかかります」 「時間?」 「例外を除き、霊はいずれ弱体化していきます。例えば、誰かを殺したい霊だとするなら、一人二人、殺していくにつれ、満たされていきますので、霊力は弱まります」 「じゃ、そこまで待てっていうんですか?」 「そういうことになりますが、そこで霊媒師の出番です。払うことはできなくても、弱めることは可能です」 「じゃ、ここの霊も弱めてくれるんですか?」  希望がまだ残っていた。 「正直、わかりません。ここにいる霊の執着は……異常なので」    ここではじめて、妻鳥さんの言葉が詰まる。ハンカチで何度も汗を拭い、動揺が見て取れた。 「ここにいる霊は三体と言いましたが、息子さんの霊は、近いうちに消えると思います。今もほとんど感じません。そのかわり、父親、母親共に強い執念や怒りを感じますし、霊力自体が強いと思います」  相槌を打つのに精一杯で、何も頭に入ってこない。 「あのう……」  黙って聞いていた奈々未が、声を上げた。 「なんですか?」 「この家族の霊は、何が目的なんでしょうか?」  怯える声の奈々未。   「──息子さんです」    目の前が真っ白になる感覚。後頭部から、意識が吸い取られるような感覚。  一番聞きたくない答えだった。  俺と奈々未が一番恐れていた答え。  今までは、二人の予想でしかなかった。ぼんやりとしていた輪郭がはっきりとし、浮かび上がる。  現実になったのだ。 「本当に、引っ越せば、息子は助かるんですか」  きれきれの息を整える。 「恐らく。この霊はあくまでも、家についていると思われますので」 「わかりました……」 「しかし、そうは言ってもこの田舎町ではすぐに見つからないでしょう。なんとか弱めることができないか、試してみます」  俺と奈々未は顔を見合わせ、「お願いします」と頭を下げた。                    
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