第二章 

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─13─  目覚ましが鳴る前に目が覚めた。  眠りが浅く、寝た気がしない。隣を見ると、里来も菜々美も、珍しくまだ眠っている。  二人を起こさないよう、そっとベッドから降り、カーテンの隙間から外を確認する。 「意外に積もってないな」と呟く。  これなら、すぐに終わりそうだ。仕事前にさっさと雪かきを終わらせてしまおうと、自分の部屋へ行き、準備をし、外へ出た。  結局、昨晩は雪かきをせずに眠った。先延ばしにしたことを明日の朝、後悔するだろうと思いながらも、睡魔には勝てなかった。寝つきはよかったものの、眠りは浅く、疲れはとれていない。だが、雪かきで体を動かすことでだんだん目が覚めてきた。  妻鳥さんが帰ってから、里来が寝るまで、普段通りに過ごした。今日起こった出来事は口にせず、なるべく普通に。  三歳にもなると、親の不安が伝わり理解してしまう可能性がある。まだ幼い里来に無駄な心配をかけるわけにはいかない。これについては、特に話し合ったわけではないが、菜々美も想いは同じはず。  里来が寝てから、改めて引っ越しする気持ちを互いに確認し、早々に出ることで話はまとまった。主任にも、今日、その旨を伝え、近い内に所長にも、有給について相談するつもりだ。信じてもらえるかはわからないが、正直に理由を話そうと思っている。  とは言え、物件探しに苦労しそうだった。  空き物件があったとしても、独身専用のアパートだったり、部屋数が少なかったりと家族で暮らすには狭い家が多い。  出ていく人が少ない町なので、空き物件が少ないのだ。それでも、命には代えれないので、多少狭くても妥協するつもりだ。  お金のこと、引っ越しの事、これからのことを、頭の中で巡らせているうちに雪かきは終わり、家へ入ろうとしたとき、ふと、ベランダを見ると菜々美がカーテンから顔を覗かせていた。 「おはよう。雪かきありがとう」  玄関に入ると、すぐに菜々美がリビングから出てきた。 「おはよう。たいしたことなかったよ。あれから降らなかったのかもな」 「そっか。ならよかった。里来、珍しくまだ寝てるの」  嫌な予感がした俺はすぐに「寝てるんだよな……?」と菜々美に確認すると、 「大丈夫。下に連れてきたから。奥の部屋で寝てる」と微笑んだ。 「──よかった」と胸を撫でおろす。  あの一件から、一人にしないことを徹底している。  当然のことかもしれないが、目を離さないようにしている。  早く起きたつもりだったが、いつの間にか出勤の時間が迫っていた。慌てて菜々美に作ってもらったお弁当を持ち、上着を羽織る。 「じゃ、行ってくるから」と、リビングのドアを開けた時、「ととー」と、里来が起きてきた。 「里来、おはよう。よく寝たな」と抱きかかえる。 「とと、もういくの?」 「うん、行ってくる。里来も保育園がんばるんだぞ」  柔らかな頬をつつく。 「わかった。バイバイ」  まだ寝ぼけているのか、今にも目が閉じそうだ。  菜々美に里来を預け、玄関へ向かう。 「じゃ、行ってきます」  二人に手を振り、家を出た。    外はよく晴れていた。白い雪が反射し、目がチカチカする。  雪が降る地域には、雪目という病気がある。  雪に反射した紫外線によって、目が炎症を起こすのだ。アスファルトなどからの反射より、雪からの照り返しの方がダメージが大きいらしい。  俺はスキーを好み、冬にはよくスキー場に足を運ぶ。ゴーグルを忘れ、一日中滑っていると雪目になり、目がゴロゴロしたり痛みが出たりする。冬でも長時間運転するときは、なるべくサングラスをするようにしている。   「おはようございます」  事務所のドアを開けると、まだ一人しか来ておらず主任は見当たらなかった。ロッカーに上着を掛け、朝礼の前にトイレに行っておく。靴を履き替え廊下に出ると、主任がトイレから出てくるところだった。 「おはようございます」  主任は俺に気づくと、大袈裟に驚いた様子を見せ、一歩、後退りした。 「お、おはよう」 「どうしたんですか? そんなに驚いて」 「な、なんでもないの。いると思ってなかったから。ところで昨日はどうだったの?」  気にかけてくれていたようだ。 「──ちょっと、時間ありますか?」 「い、いいわよ。朝礼終わったら、話しましょ」  忙しい時間を縫って話しを聞いてくれるのだから、簡潔に話そう。長々と話してしまうのは俺の悪い癖だ。  以前、同僚から指摘されたことがある。 「お前の話はだらだらと長くて、何を言いたいのかよくわからない。イライラする」と。  その時は腹が立ち、ショックでもあったが、冷静になりネットで調べてみると、俺の話し方は人をイライラさせる要素が全て詰まっていた。これは才能かと思わせるほど当てはまった。  それから、本を読んだりネットで調べたりしながら、少しずつ直してきた…つもりだ。  朝礼が終わり、まっすぐいつもの会議室へ向かった。ドアを開けると、不思議と部屋の中がほんのり暖かかった。 「──座って」  主任の顔色が優れない。  具合いでも悪いのだろうか。 「主任、大丈夫ですか?」  俺の方を見ているが、返事がない。 「主任……?」 「──えっ? あっ、ごめんごめん。今日は寒くないように、朝礼の前に暖めておいたのよ。寒くないでしょ?」  今度は俺から視線を逸らし、ぎこちなく笑う。  定位置に座る。  ここで主任と話すのも、三度目だ。 「えー、それで、昨日はどうだったの?」  主任はテーブルの上で手を組むも、なぜか、力が入っているように見える。 「結果から言いますと、祓うことはできませんでした。部屋自体の霊力を弱めることはできたんですが……」 「部屋の?」 「霊能者さん曰く、子ども部屋に強い念があって、霊がそこで力を蓄えているみたいなんです。ですから、部屋の霊力を弱めることが、霊本体の弱体化に繋がるそうです」 「──なるほどね」 「特に、母親の執着がすごいらしく、霊能者さんが部屋を移動するたびについてきてたらしいです。邪魔をするかのように」 「──そ、そうなんだ」  俺から再び視線を逸らす。 「結局、家に執着している霊なので、引っ越しは免れないようです。でも、はっきりしてよかったですよ。家を出ればいいんですから。この際、お金がとか言ってられません。早く見つけて、引っ越しすることにしました。また、ご迷惑かけるかもしれませんが、よろしくお願いします」  すっきりした。主任にも話せたし、今日中に所長にも話してしまおう。  もしかしたら、所長がいい物件を知ってるかもしれないしな。 「主任? どうかしました?」  何も言わず、うつむいたまま。  また休むことになると言ったのがまずかったか?   すっきりした気持ちが表情現れすぎていたのか?  もう少し、申し訳なさそうにすればよかったのか? 「ねえ、叔母は、本当に引っ越せと言ったのね?」 「えっ? あ、はい」 「家に棲みついてるって──言ったのね?」 「──はい。だから、霊能者さんが部屋を見て回ってる時も、出て行けと言わんばかりにずっと付いてきてたって……」  返答がない。  終始、落ち着かない。  明らかにいつもとは様子が違う。  しびれを切らし、話しかけようとした時。  俯いていた主任が、ゆっくり視線を上げた。 「──それ、あなたに憑いてるからよ」  言葉の意味が理解できない。  何を言っているんだ。そんなわけ……無いだろ……。 「俺に……憑いてるって、どういう……意味ですか……」  自然と震えだす喉。  俺を乗り越え、奥へと視線が移動した。 「あなたの、後ろ……。あなたの後ろにいるの。あなたに憑いてきてるのよ」  一瞬にして硬直する体。   ようやく、理解した言葉の意味。 『俺の後ろ』という言葉が、脳内で何度も再生される。  俺には見えるはずがないが、今なら見えてしまう気がする。絶対に振り向かない。  主任は立ち上がり、部屋を行ったり来たりしながら、混乱気味に続ける。 「今まではいなかったのよ。いや、私が見えなかっただけなのかもしれない──。そ、そうかもしれないけど、確かに、休み前まではいなかった。もしかしたら、昨日のお祓いが原因であなたに憑いたのかも。いや、これも何か違うわね。何かが違うのよ」  両手を上下に動かしながら、部屋を行ったり来たりする主任。  ずっと、「何かが違う、違う」とブツブツ呟いている。 「主任……」  声をかけると、スイッチが切れたようにピタッと止まった。 「もしかしたら……」  主任は一点を見つめ、立ち尽くしながら、言った。 「──昨日のお祓いで、家から離れることができて、自由に動けるようになったんじゃないかしら……」 「えっ……」  自然と声が大きくなる。 「霊自体、家から離れられないでいたんじゃないかしら。それが、部屋の霊力を弱めたことによって、繋がれていた鎖が切れたように、自由になったんじゃ……」 「そ、そんなこと……」  主任は理解しているのだろうか。自分がどれだけ恐ろしいことを言っているということに。  もしそれが、本当だとするなら……。 「──引っ越しは、意味が……ない」  座っていなければ、膝から崩れ落ちるところだ。  唯一の希望が、目の前で打ち砕かれる。  思わずテーブルに突っ伏すと、主任は慌てて言った。 「待って。これはあくまでも私の推論よ。あなたに憑いてきていたとしたって、これは家から追い出すための攻撃なのかもしれないじゃない」 「ま、まあ……」  納得がいかない。  と言うより、霊の目的がいまいちはっきりしない。   「目的って何なんですかね。はじめは、旦那に息子を殺され、てっきり里来を自分の子どもとして奪おうとしているのかと思っていましたけど、実際は俺に憑いたり……はっきりわからないんですよ」  もちろん、里来が目的でないのなら、それが一番いい。だが、引っ越しが意味をなさないのなら、自分たちで身を守るしかないだろう。そうするには、もっと家族のことを知る必要があるのではないたろうか。 「うーん。私がもし、母親の霊の立場なら……」  主任は椅子に座り、腕を組む。 「私なら……あなたと奥さんを追い出そうとするわね」 「あっ……」  確かにそうかもしれない。  そう考えるなら、今、俺に憑いてきてるのも合点がいく。 「どのみち、里来くんが狙いなのは変わらないような気はするわね」 「──そうですね。どうなるかわかりませんが、家は引っ越すことにします。どのみち、こんな怖い家に住んでいられませんよ」 「私も、それがいいと思うわ」  何か行動に移さないと、霊に主導権を握られてしまう。人間は自由に動けるのだと示したい。生命力がある、俺たちのほうが強いのだということを見せつけ、里来を諦めてもらうしかない。        
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