第二章 

13/13
前へ
/46ページ
次へ
─15─  朝から頭痛が酷かった。奈々未から薬をもらい飲んだが、あまり効果はない。こめかみあたりが波打つようにズキズキする。  昨夜、深瀬さんから聞いた話を、菜々美と夜遅くまで話した。  奈々未はショックを受けていた様子で、何度も言葉に詰まっていた。特に、息子が生きたまま口を縫われたかもしれないと話した時は、動揺が大きく、仁崎の妻と自分を重ね、恐ろしいと声を震わせていた。  札幌に戻るという話もしてみたが、迷っていた。この町も気に入っているし、俺の仕事も気にかけていた。確かに、無職になるのは不安ではある。蓄えがあるわけではないし、子育てにはとにかくお金がかかる。  話し合いの結果、札幌へ帰るのは最終手段ということになった。    朝食を終え、脱衣所で髭を剃っていると、里来の泣き声がここまで聞こえてきた。そろそろ起きる時間で、奈々未が起こしたのだろうか。寝起きが悪く、ぐずっているのかもしれない。 ──それにしては、ずいぶん激しく泣いている。 「健太郎!」  奈々未の鬼気迫る声。髭剃りを投げ捨て、慌ててリビングへ戻る。 「どうした!」 「この泣き声、里来じゃないの……」  奈々未は怯えた目で俺にしがみつく。  咄嗟に奥の部屋へ視線を移すと、里来は、まだ布団の中で眠っていた。 「ど、どういうことだよ……」 「どこから聞こえるの……」  頭に響く泣き声。頭が割れそうだ。  泣き声がする方へ進む。 「こっちか……」  キッチンだった。  キッチン下から泣き声が聞こえる。  しゃがみ込み、冷たい床に耳をつける。 「違うな……」  辺りを見渡す。 「あっちか……」  キッチンの奥にある食品庫。小さいスペースだが、収納棚が元からついており、便利だと菜々美が絶賛していた。 「ここだ。この下から聞こえる」 「えっ? 下?」 「どういうことなんだ……」  戸惑いながらも、床を触ってみる。 「あれ……」  元から敷き詰めてあったカーペットの下に、少しだけ、段差を見つけた。  あまりにもリアルのな泣き声に胸が苦しくなり、早く助けてあげたいと焦る。 「奈々未、マイナスドライバーあったよな。それ持ってきてくれるか?」 「うん、わかった」  全く泣き止む気配のない、悲痛な声に、どんどん胸が締め付けられていく。 「健太郎、これ」  マイナスドライバーをカーペットの端に捻じ込み、剥がしてみる。  きっちり敷き詰められていてうまく剥がれない。  少しだけ浮いたカーペットの端を、指で掴み、力任せに引っ張る。 「奈々未、手伝ってくれ」  二人で剥がす。 「──これって」  出てきたのは、床下収納だった。  床に取っ手がついていて、それが手にあたったのだ。 「ここだな……」 「ええ……」  奈々未の顔を見る。 「開けるぞ……」  ゆっくり開けると、泣き声はピタリと止んだ。  思ったより下は深く、床下収納にしては大きなスペースだった。  子ども一人ならなら、入るスペース。 「健太郎、あれ……」  菜々美の指差す方に、うさぎのぬいぐるみと、四角い木箱のようなものが置いてあった。  両方手に取り、床に置く。 「これ、あのぬいぐるみよね……」  子ども部屋に落ちていた、薄汚れたうさぎのぬいぐるみだった。  なぜ、こんな所に落ちているんだ。奈々未が箱に入れてしまってあるはずなのに。 「もう一つは何?」 「木で出来た箱みたいだ。少し重みがある……」  恐る恐る蓋を開けてみる 「これって……」  泣き声が止み、静まり返った部屋に響く……エーデルワイス。 「──オルゴールだ」  金色のシリンダーが回り、音を奏でている。  そして、思い出す。スマートフォンの着信音。 「これだったんだ……」  あの日、俺たちが聞いた着信音。俺が聞いた声……。  ママ……ママ…… 「奈々未、ここに子どもは閉じ込められていたんだよ」 「えっ!?」 「非通知でかかってきた電話の話はしただろ? その時の着信音はこの音楽だった。そして、電話の向こうから聞こえてきた声は、子ども。今にも泣きそうな拙い言葉で、ママ、ママと何度も言っていたんだよ」 「そ、そんな……」  しゃがみこんでいた菜々美は、力が失われたように床に座り込む。 「恐らく、泣き止まない子どもを、旦那の暴力から守る為に、ここに閉じ込めていたんだよ。泣き声が聞こえないように。こうするしかなかったんだ。こうするしか、守る方法がなかったんだよ……」  守るためとは言え、泣き叫ぶ子どもをこんな狭くて暗い場所に閉じ込めるなんて……。  こんな選択をしなければならならなかった母親の気持ちを考えれば、考えるほど胸が張り裂けそうだ。  どれだけ、孤独で辛い日々を過ごしていたか。  それにしてもなぜ、この男から離れようと考えなかったんだ。子どもにも自分にも精神的肉体的にも暴力があり、『離婚』という二文字は頭に浮かばなかったのか。 ──いや、考えないわけながない。もしかするも、いつも頭にはあったのかもしれない。  だが、そう簡単ではない。  夫婦とは、それだけ複雑に絡み合う関係なのだ。 「健太郎……」 「奈々未……」  奈々未は俺の肩にもたれかかり、俺はそっと肩を抱いた。           
/46ページ

最初のコメントを投稿しよう!

41人が本棚に入れています
本棚に追加