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─3─
日々の生活に追われながらも、一ヶ月を過ぎる頃には、町にも職場にも慣れ始めていた。この一ヶ月で季節は進み、標高の高い山では初冠雪を記録。平野部でもそろそろ初雪の便りが届きそうだった。
「奈々未、悪いな」
「いいのいいの。健太郎が家に人を呼ぶなんて初めてじゃない? その二人は相当、信頼できるのね」
「いや、そういう訳じゃないんだけど、なんとなく仲良くなれそうだなって思って」
「そのなんとなくって、結構大切なのよ。あまり固く考えないで、楽しめばいいのよ」
俺の手を握り、本人より嬉しそうに笑う。
「そうだな。ありかとう」
なぜだかわからないが、あの喫煙室で会った二人とはあれからも交流が続いていた。というより、あの二人が俺を気にかけてくれているようだった。何かと話しかけてくれたり、わからないことを教えてくれたりと、違う部署だというのに、よく世話を焼いてくれた。こんなことは初めてで、お礼がしたくなっていた。
そんな事を考えていたある日、喫煙室で三人で話していると、俺は自分の意識外から思いがけない言葉を口走っていた。
「今度の日曜、うちに来ないか?」
とても自分の口から発せられた言葉とは思えず、理解するまでに数秒かかった。自分でも、いきなり家って……と、引いたが、二人は驚きつつも快諾し、あろうことか「タコパがしたい」と要望まで出してきた。
まあ、こちらが考えるより気が楽だし、こういう気を使わないところが居心地のよさなのかもしれない。
午前十一時。二人が到着した。
「いらっしゃい」
「おじゃましまーす」
二人は六本パックのビール二つと、お菓子をいっばい詰め込んだ袋を両手に持って現れた。
「すごい量だな」
「里来くんと奥さんの分もあるからな。あれ、二人は?」
新嶋が視線を巡らす。
「友達の家に遊びに行ってくれたよ。男同士の方がいいでしょって」
「えー! 会いたかったのになー」
「俺も里来くんと遊びたかった」
「今度はいてもらうから。すまんすまん」
気を使わせたくないからと、妻は新しくできた友達の家へ遊びに行ってくれたのだ。だが、二人にそれは必要なかったようだ。
「準備はできてるから、さっそく焼くか」
こうして、職場で初めてできた友人たちと楽しい時間を過ごした。初めこそ緊張していたが、ホームともありすぐにほぐれ、久しぶりに大きな声で笑った。妻以外の人と、こんなに親しくなったのはいつぶりだろう。
「次、明太子入れたい!」
「お前、女子かよ!」
二人の掛け合いを眺めているだけで十分楽しい気分になり、心が温かくなるのがわかる。俺にもこんな同僚ができるなんて、札幌にいる頃には到底、想像できなかった。
今度こそ、奈々未を紹介しよう。きっと、奈々未もこの二人を気に入ってくれるはずだ。
「えっ?」
笑い声を制止させるように、唐突にスマートフォンが鳴った。どこかで聞いたことのある音。
「俺のだ……」
「出ないのか?」
戸田がたこ焼きを器用に返しながら、新嶋を見た。
「いや、非通知だし……それに、こんな音楽にした覚えないよ。てか、こんな音楽入っていよ」
止まらない着信音。
「これ、エーデルワイスじゃないか?」
「そうだ。どっかで聞いたことあると思ったら、エーデルワイスだったか」
この曲には馴染があった。
小さい頃、祖父の家に泊まった翌朝は、この音楽で目を覚ましていた。
祖父の町では一日に四度、時間を知らせる音楽が鳴る。このエーデルワイスは、朝の七時に鳴り、朝が来たことを知らせてくれていた。
「止まった……」
新嶋がスマートフォンを手に取った瞬間、それを待っていたかのようにピタリと止まった。
着信設定を見るも、ノーマルの着信音に設定されており、エーデルワイスはスマートフォンのどこにも入っていなかった。
「えっ、怖いんだけど。なんでこんな音なるんだよ」
「ちょっと、不気味だね」
「お前のスマホ、呪われてんじゃないのか?」
「やめてよ! 買ったばっかりなんだから!」
怯える新嶋を戸田がからかう。
そのあとしばらく、新嶋は納得のいかない様子でスマートフォンを操作していたが、特に変化はなく、それ以降、電話がかかってくることはなかった。
楽しい時間はあっという間にすぎ、十七時を回った。
「さて、明日からまた仕事だしそろそろ帰ろうか、新嶋」
「うん、そうだね」
「本当に片付けしなくていいのか?」
テーブルに散乱したゴミをまとめなが戸田が言った。
「大丈夫大丈夫。今日は、俺が呼んだんだから。二人とも、来てくれてありがとう」
何も考えず、心からスッと出てきた言葉だった。
「おいおい! ありがとうなんてどうしたんだよ! 今日で最後じゃないんだから。また来るよ」
新嶋が俺の肩を力任せに叩く。
「うん、また来て。妻も会いたがってたから」
「俺は里来くんに会いたい」
戸田はいつもにもまして野太い声で、真顔のまま言った。
「お前それしか言ってないな。戸田はほんとに子ども好きだよな」
「姪っ子が遠い所にいるから淋しいんだよ!」
一見、冷たそうな見た目をしている戸田だが、細かいことに気がつくし、意外に熱い心を持ち合わせている。
「そうだそうだ。今日撮った写真、あとで送るから」
写真を取ることが好きな新嶋が、何枚も撮っていた。今度、自慢のカメラを見せてくれるらしい。
「じゃ、また明日な!」
「ああ。また会社で」
「お邪魔しました」
外は日が暮れ、淡い碧色の空が広がりだしていた。奈々未もそろそろ帰って来る頃。今日ばかりは、俺の話をたくさん聞いてもらおう。
この町に来て、本当によかった。
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