第一章 

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─5─  昼休み。  工場のすぐ目と鼻の先にある老舗の蕎麦屋で、新嶋と戸田の三人で昼食をとり、工場に戻ってきた。  俺は週に一度、外食をすることに決めている。  奈々未は、「お弁当作るよ」と言ってくれているのだが、せめて週一ぐらいはお弁当作りから開放してあげたいと、結婚してから俺がこのルールを作った。本当は俺が作ってもいいのだが、どうも料理は向いておらず、奈々未に頼ってしまっている。 「食後の一服が一番うまいよな」  そう言いながら、戸田はタバコに火をつけた。 「俺、タバコやめようかと思うんだよね」    新嶋の驚きの告白に戸田は目を見開く。 「どうしたんだよ、いきなり」 「タバコ代ばかにならんし、彼女にもやめなよって言われてるし」 「そうだよな。俺も一緒にやめようかな……」  俺達の会話を黙って聞いていた戸田が、いきなり笑い出した。 「君たち、それ何回目だい?」 「何回目だっていいだろ」 「そうだそうだ!」  俺と新嶋は徒党を組んで、抵抗する。 「まあ、いいさ。何日続くか見ててやるよ。それに、やめるということは、ここでの会合も無くなるということでいいんだね?」 「そ、それは……」  さっそく折れそうになる新嶋に俺は、 「禁煙したからって、ここに入れないわけではないだろ。なっ、新嶋」 と、肩を叩く。 「タバコの煙、香り。ここで吸わないなんてことができるほどの強い意志をもっているのかね、君たちは」  戸田は、舞台俳優が大げさに演じるように、身振り手振りで煙をこちらに流す。 「まあ、禁煙しようかと思ってはいるけど、今すぐとは言ってない」 「なんだよそれ!」と、新嶋の肩を揺らした時だった。 「えっ」  和やかな空気が一変する。  俺と戸田は、一斉に新嶋の顔を見る。  新嶋は慌ててポケットに手を突っ込み、スマートフォンを取り出す。 「俺じゃない……」 「え……」  鳴り止まないエーデルワイス。  以前とは明らかに違う音色。  不安を掻き立てる、不協和音。 「俺だ……」  ポケットの中のスマートフォンが振動していた。太ももから全身に振動が伝わり、硬直する体。  恐る恐るポケットからスマートフォンを取り出す。 ──非通知  手に取っても鳴り止まないエーデルワイス。目眩を起こしそうな不協和音が、静まり返る喫煙室に鳴り響く。 「出てみる」 「えっ? 大丈夫か?」    戸田が不安そうな顔でこちらを見る。  俺は安心したかった。  ここ数日、身の回りで起きている、説明がつきそうでつかない出来事に、理由をつけたかった。ただの間違い電話で、全てが思い違い、気にしすぎだったと思いたかったのだ。  「──もし、もし」  情けなく震えた声。  全神経が耳に集中し、スマートフォンと耳の間に熱がこもる。  すぐに聞こえてきたのは、ノイズ。  耳障りなノイズに混ざり、何か、聞こえる。 「──マ……マ……ママ」  子どもの……声。  少しこもっているような、まだはっきりと発音できないほど小さな子どもの声。  さらに、耳を澄ます。 『ガサガサ』とスマートフォンに直接、布を擦り付けているような、不快な音が聞こえる。そして── 「──切れた」  呆然と立ち尽くす俺は、心配そうに見つめる二人と目が合った。 「誰だった?」と、戸田。 「大丈夫か?」と、新嶋。  この二人のおかけで、抜けかけていた魂が体に戻ったように我に返る。 「ああ、大丈夫だ」 「それで、誰だったんだ?」 「誰かはわからなかったんたけど、子供の声のあと、ガサガサって音がして、そこで切れたよ」 「子供の声?」  怖がりな新嶋は、少しずつ戸田に近づく。 「子どもが間違えてかけてきたってことはないかな?」  新嶋の言葉には、そうであってほしいという願望が切実にこもっていた。 「だったらいいんだけどね……」 「違うのか?」  戸田はタバコに火をつける。 「違うのだけは、わかる」 「いよいよ、雲行きが怪しくなってきたな」 「雲行きってなんだよ、戸田」 「二人とも薄々気づいてるんだろ、あの写真と関係があるんじゃないかって」  核心を突く戸田。  二人にも、家で発見した不可解な物の話を共有したほうがいいかもしれない。というより、俺の気持を軽くしたいと言ったほうがいいだろう。 「ちょっと聞いてほしいことあるんだけど……」    引っ越し当日に薄汚れたぬいぐるみが見つかったこと、あるはずのない針と糸が見つかったことを話した。二人は眉をひそめ、不快感を隠さなかった。 「なあ、咲原の家ってどうやって見つけたんだ? 急に転勤が決まってよく一軒家見つけれたなって思って」    戸田の質問の意図に検討はついた。  今の話を聞いて、家に問題があると考えたのだろう。 「実は、転勤が決まってから同窓会があったんだ。そこにたまたま、この町の不動産で働く人がいてさ。相談したら、この家を紹介してくれたんだよ」  木津嵐という男で、高校生の頃は特段、仲がいいというわけではなかったが、話したことはあった。俺も大人しかったが彼も多く話す方ではなかった。そんな彼とは卒業以来、初めて会ったのだが、営業職ともあってか、別人のように明るく雄弁に話すようになっていた。俺はすっかり圧倒され、あれよあれよという間に契約した。一軒家が希望だったし、急な相談でも親身に話を聞いてくれた彼には感謝している。 「気分を害するかもしれないが、咲原の家に原因があるとは考えられないかな」    戸田の言いたいことはわかる。  俺だってそう思っているのだから。 「そう考えるのは無理ないよ。でもさ、わざわざ同級生がいわくつきの家を押し付けることはないと思うんだ」 「それもそうだけどさ……」  納得のいかない表情の戸田。   「知らなかったってこともないよね……」と、鼻で短く息を吐きながら新嶋は腕を組む。 「可能性は低いだろうな。でも、例えいわくつきの物件じゃなくても、中古物件だし、何かしらあってもおかしくはないよな」 「なあ、その同級生に話聞けないのか?」  戸田はタバコの火消し、背もたれによしかかる。 「話?」 「前はどんな人が住んでいたのかとか、入れ替わりが激しい物件じゃないのかとか」 「ああ……そういえば、今度の土曜、家に来ることになってるんだよ。住んでみてどうですか?的な話をしに来るらしい」  この話になるまで、すっかり忘れていた。 「じゃ、その時に聞いてみろよ。もしかしたら、何か原因が掴めるかもしれないぞ」 「うん……、そうだな」 「どうしたんだよ。歯切れが悪いじゃないか」 「情けない話、特に仲が良かった間柄じゃなないから、聞きにくいなって思って」  幼い頃から父親が絶対的存在で、母親さえ意見するのを禁じられていた家で育ったせいか、昔から誰かに要望や意見をするのが苦手だった。苦手というより、わからないに近い。  今回は特に、急いでこちら側に合った物件を見つけてくれ、尚且つ、家賃の値下げまでしてくれた。俺達家族に、そこまで良くしてくれたのにもかかわらず、疑うようなことを言うのは気が引ける。 「何言ってんだよ。しっかりしろ、父親だろ」  呆れともとれる表情で戸田は笑う。  わかっている、自分でも情けないことくらい。 「よし、わかった。俺らが土曜日行って援護射撃してやる」 「ちょっと、戸田。射撃って」  慌てて新嶋が戸田の二の腕を掴む。 「誰かがいたほうが心強いだろ? それに何かあったら俺らも加勢するから」  戸惑いはあったものの、戸田が俺たち家族のことを心配してくれていることが伝わり、お願いすることにした。  戸田の言う通り、俺は家族を守る義務がある。いつまでも、臆病者ではいられない。  ただ、会話の流れで聞いてみるだけじゃないか。何もおかしなことはない。意識しすぎだ。  あとは、奈々未にどう説明するかだな……。                
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