H駅までの道すがら

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H駅までの道すがら

 H駅まではかなりの距離があったので、自転車の速度は気持ち1.5倍速になっている。二泊三日で永遠湖一周となると、一日目で一周の三分の一くらいまでは進んでおきたい。そのポイントがちょうどH駅なのだ。今から飛ばせば夕方頃には到着できそうだ。先頭は三国、最後尾は俺。三国は文句一つ言わずハードケースを持ってくれている……と思いきや、いつの間にか"気遣いの男"シズが持ってくれている(代わりにソフトケースに入ったシズのギターは三国が持つ)。そもそもこのハードケースは五人持ち回りで運ぶべき代物なのだ。肩がけできない上に非常に重い。  途中から歩道のない湖岸道路の路側帯を五人一列になって走行する。この辺りは大きな工場が点在していたから大型トラックがひっきりなしに通行している。大型なので車体が路肩すれすれまで寄ってくる時があって、かなり危険だ。ギターケースがトラックと接触しそうになって、いかめしくクラクションを鳴らされる時もあった(肩がけなので自転車の横幅よりもはみ出てしまう)。そんな状況だったので、話をしながら進むことなんてとてもできなかった。みんな前へ向かって黙々と自転車を漕ぐ。最後尾で四人を追いかけていると、前方に見える入道雲のとも重なって、『あぁ、夏だなー』と情緒を感じつつ、ふいに井上陽水の「少年時代」が頭の中に流れ始める。  そんな風に夢見心地を繰り返す内、頭が朦朧として正常ではないことを折に触れては自覚するようになる。炎天下に無言での反復動作は手厳しい。それでも先頭は止まらない。M駅で購入したペットボトルはもうとっくに底が尽きている。そして前方のみんなと段々距離が開いてって、一人だけ取り残されてしまうような寂しい錯覚まで抱いてしまう。  そんな風に精神の限界を迎えていた頃、先頭の三国が湖岸道路を外れて街中へと進んでいく。どこかで休憩するつもりなのだろう。しばらくするとスーパーにたどり着いた。 「カイトー、段々ぺースが落ちてみんなと離れ出してたから心配したよ」 「おー、ごめんごめん。ちょっと熱中症ぎみになってるかも」 「だよな。他のみんなもかなりバテてきてるから、ここで少し休もう。二時間も走り続けるとやっぱきついな。しかもちょっと飛ばしすぎたかも…」   三国が声をかけてくれるから助かる。五人で声をかけ合いながらスーパーへと足を踏み入れる。  クーラーが効いている時点でもうありがたい。それでも"まずは無料給水サービス"とばかりに自然と足はそちらへ向かう。例のごとく五人でがぶ飲みすると、タクトが「アレ見て…」と言って指差した方向にあったのは、試食コーナー。それがきっかけで俺たちは試食を物色することに。五人一緒に行動すると目立ってしまうので二手に分かれて、人目を忍びつつササッと食べる。昼飯もロクに取らず、灼熱の中自転車を漕ぎ続けたのだ。食欲には勝てなかった。"店長、ごめん!"そう思いながらも、幾つかある試食コーナーを巡る。俺たちにとってはもはや試食ではなく食だった。買う気はさらさらないのだ。そもそも買うお金が一銭もない。  さすがに全て食べ尽くすことはなかったが、おかけで空腹感は随分と満たされる。『ありがとう、地元のスーパー、心の友よ』少し悪びれつつ、心からの感謝を込めてスーパーを後にする。  気力体力ともに回復した俺たちは快調に自転車を飛ばした。今度は先頭がシズで最後尾は三国だった(俺が遅れないよう配慮あり)。そして今回のハードケース担当はシゲだ。  俺たちは更に二時間程ぶっ通しで漕ぎ続けた。今度はみんなの足を引っ張るまいと緊張感を持っていたこともあってか、そこまで疲労感を感じない(ただナチュラルハイになっていただけなのかもしれないが)。それでもシゲを筆頭にみんな疲労困憊で、H駅に到着してすぐにストリートライブをできるような状態ではなかった。この時のシゲは疲労の限界を超えてしまったような表情をしていて、みんなから"死に顔"呼ばわりされる。ハードケースの負担が余程大きかったのかもしれない。その表情は瞬きすら忘れた虚ろな目でここではないどこかをただ呆然と見つめている。まさに今、一人三角座りをすれば…と妄想が駆け巡るがそこはジョークの世界に留めておくべきだろう。そういうわけで、一旦みんなで仮眠を取ってから夜にストリートライブをすることになった。俺は今からでも歌える状態だったので少し歯痒かったが、みんなに合わせることを優先させる。さっきは最後尾で遅れそうになった俺をみんなが配慮してくれたのだ。  こうして駅前の屋根付きベンチを占領すると、みんなで横になり眠りにつく。二、三時間仮眠を取ればみんなの体調も少しは回復するだろう。シゲもきっと表情を取り戻すはずだ。    
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