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マグカップを手に持ってリビングに行く。
リビングの四人がけのダイニングテーブルの真ん中にクッキーが置かれている。
「スイーツ男子だね。深森君は……」
「スイーツ男子って言うより、先生が甘いものが好きだっていうから勉強しただけですよ」
「えっ?そうだったの。知らなかった」
「先生って、本当に興味ないですよね。俺の事……」
「いやいや、何の話?」
「だから、さっき言ったじゃないですか」
可愛すぎる。
クリクリとした目が私を見つめて、ニッコリと笑顔が眩しすぎて……。まさに、アイドルの風貌って……。言うてる場合か【バシッ(心の中)】。
「冗談だと思ってますよね?」
「あっ、私ね。体重、78キロあるから」
「だから?」
「最近ね、この下膨れ感が凄くて……目とかも下がってきて」
「それで?」
「体も球体みたいで。お腹何かつまめる越しちゃってて」
「他に、何を言いますか?」
負けた。
これ以上は、無理だ。
「結婚してるから」
「そんなの知ってますよ。それに、別に先生の家庭を壊す気はないですし……。ただ、俺の気持ちを知っていて欲しかっただけです」
何だ。
それだけだったんだ。
彼の言葉にホッとして、クッキーを食べる。
「しょっぱい?甘い?ん?」
「甘じょぱいでしょ?上に少しだけ、塩をふりかけてるんです」
「へぇーー。何か初めて食べる」
「でしょ?たまには、冒険してみようって事で5枚だけ」
「じゃあ、当たりを食べたんだ」
「ですね。当たりです」
「当たりを引く人生になったんだ」
「先生……?どうしました?」
ぼんやり考えてしまった私の頬に彼の指が触れてきてビックリしてしまった。
「涙……しょっぱかったですか?」
「あっ、違う違う」
「なら、いいんですけど」
「てか、先生はもうやめてよ」
「じゃあ、俺も深森君じゃなくてあおって呼んでくれますか?
「えっと……」
「無理なら、先生のままです」
「あーー、考えとく」
「じゃあ、俺も考えときます」
久しぶりに楽しいと思えた気がする。
最近は、忙しかったから。
「ただいま」
「あっ、お帰り」
「お帰りなさい」
「あーー、仕事だった?」
「あっ、うん。でも、大丈夫。ご飯作ろうか?」
「まだ、いいよ。今日は、早く帰ってきたから」
「そっか……」
「俺は、部屋にいるから」
「うん、わかった」
16時に泰作が帰宅してくるのは、珍しい。
何かあったのだろうか?
「先生、今日のは急いでないですから。これ食べたら、俺は帰ります」
「うん。次は、いつだっけ?」
「次は、明後日ですね。毎日来てもいいんですけど。先生は、週二回がいいって言ってましたよね?」
「あっ、そうだよね」
「マネージャーとして、給料もらってる身としては毎日来れる方が助かりますけどね」
「でも、ほら。何もしないから私。他のデザイナーさんは、テレビ出たりとかしてるじゃない。だから、毎日来られるのはちょっとね」
「ですよね。まあ、先生の所に来ない日は、向こうで雑用してますから大丈夫ですよ。旦那さんも、俺が居たら嫌がりますから。それじゃあ、片付けて帰りますね」
「うん。ありがとう」
彼は、クッキーとカップを下げてキッチンに行く。
彼がいる時に、泰作が帰宅して来る事など今まで一度もなかった。
「残りのクッキーは、保存袋に入れて冷蔵庫入れておきましたから」
「ありがとう」
「納品は、来月なんでゆっくり頑張りましょう。先生」
「うん、そうだね」
「それじゃあ、帰ります」
彼は、鞄を取って玄関に向かう。
私は、彼を見送る。
泰作、体調悪いのかな?
「それじゃあ、また明後日に来ますね」
「ありがとう。気をつけて」
彼が家を出て、30秒待ってから鍵を閉める。
よく考えたら、27歳とはいえ彼は立派な大人の男だ。
泰作は、私が男と二人で一緒にクッキーを食べているのが気にくわなかったのかも知れない。
愛情は、とっくに情に変わった気がしていたけれど。
泰作はまだ私を愛してくれている?
二階に上がり、泰作の部屋をノックする。
返事が来なくて、部屋に入った。
「ゴホ、ゴホッ……」
「泰作。体調悪いの?ノックしたんだけど……」
「あっ、ごめん。気づかなかった」
「熱はない?」
「わかんないけど、体がだるくて」
「体温計取ってくるね」
「わかった」
私は、慌てて一階に降りる。
リビングチェストから慌てて、救急箱を取り出して体温計を持って急いで、二階に駆け上がる。
「泰作……入るよ」
中から何も声が聞こえなくて、私は中に入る。
泰作は、眠ってるようだ。
「ごめんね。体温計るよ」
泰作のカッターシャツを少し開けて脇の下に体温計を入れる。
そういえば、私達。
レスになって、どれくらいだっけ?
抱き合う事もキスもしなくなって。
手も繋がなくなって……。
7年前からは、同じ部屋でも寝なくなって。
それでも、夫婦でいる。
「うーー、うーー」
「大丈夫?泰作」
「ゆき……ゆ……き」
ゆき……?
胸の奥がざわざわする。
ピピピピ……
体温計を取ると38.9分。
「冷やすの持ってこなくちゃ……」
「待って……ゆき。行かないで」
「は、離して」
朦朧とした意識の中で、夫が呼んだのは私とは違う名だった。
よりにもよって、ゆきだなんて。
同じ名前なだけでも吐き気がする。
泰作への愛は、もうとっくにないと思っていた。
だけど……。
「愛は、あったんだ」
涙を流しながら、キッチンに降りる。
冷凍庫からアイスノンを取り出した。
泰作と私は、よく喧嘩をした。
子供が授かれない事をお互いのせいにして……。
だけど、いつの間にか、喧嘩が減ってきて……。
お互いに無関心になっていった気がする。
だけどそれは、気がしていただけだったんだ。
私は、泰作を嫌いになってなかつ
た。
泰作と別れるって考えただけで、胸がちぎれそうに痛くなるのを、今、知った。
二階に上がって、うなされている泰作の頭の下にアイスノンを置く。
「ゆき……ゆき……愛してる」
誰?
そいつ……。
自分の中に、こんな感情が宿っていたのかと思うほどに身体中が怒りに震えているのを感じる。
私は、泰作の近くに居たくなくて部屋から出た。
階段を降りる時に、足がもつれそうになる。
手すりを持っていなかったら、まっ逆さまに落ちているところだった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
吸っても、吸っても、息が出来ない感じがする。
ブー、ブー、ブー
「はぁ、はぁ、はぁ」
胸を押さえながら、スマホを取る。
ガタン……。
床に落ちたスマホを必死で拾う。
私は、画面を見ずに電話を取った。
「も……し……も……」
「もしもし、先生。さっきのお仕事の件なんですが……。先方から、新しい条件がきていまして……。さっき、会社に届いていたので明日またお伺い出来たらと思うのですが?大丈夫でしょうか?」
「はぁ、ふ……か……」
「先生、どうしました?」
「あ……よ……て……い」
「先生、大丈夫ですか?今すぐ行きますから。鍵開けれます?」
「はぁ、はぁ、はぁ」
彼の電話が切れる。
私は、痺れる体を引きずりながら玄関に行く。
必死で、鍵を開ける。
ガチャ……。
「はぁ、はぁ、はぁ」
深く息を吸っても入ってこない。
私、死ぬのかな?
このまま……。
死んじゃうのかな?
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