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「先生、先生。大丈夫ですか?」
「はぁ、はぁ」
「ゆっくり息吐いてから吸いましょうか?」
彼の手が私の背中を優しく撫でる。
暖かくて優しい。
「はぁーー、ふぅーー」
「もう、大丈夫ですよ。立てますか?先生」
「うん」
彼のお陰で、体は息を吸う事を思い出した。
痺れていた手に力が入るのを感じる。
玄関の床から立ち上がって、座る。
「ここで、しばらくゆっくりしていましょうか?」
「うん……」
彼に話しかけられて、心の沸騰が落ち着いていくのを感じる。
「先生が悲しくて苦しい思いをするなら、俺は辛い。先生が、何かに苦しんでるなら助けてあげたいです。俺じゃ力不足ですか?」
彼の優しさに甘えちゃいけないのはわかっている。
だけど、友達もいない。
家族もいない私にとって頼る場所はどこにもなかった。
「先生。俺が協力しますよ」
彼に手を優しく握りしめられる。
頼っちゃいけないのはわかっている。
甘えちゃいけないのはわかっている。
それでも、私はこの手を振りほどく事が出来ない。
「落ち着いたら、話してください。俺でよければ聞きますよ」
「深森君……ありがとう」
「よかった。先生が普通に話せるようになって安心しました」
「そんなに?」
「だって……先生がいなくなったら俺生きていけないですよ」
彼は、ポロポロと涙を流す。
私の為に、こんなに泣いてくれるなんて……嬉しい。
「あっ、お粥作らなきゃいけないんだった。深森君、もう大丈夫だから」
「お粥って、旦那さんに何かあったんですか?」
「風邪ひいちゃったみたいなの」
「じゃあ、俺がお粥作りますよ。先生は、ゆっくり座って休んでてください」
「でも……」
「先生の健康管理は、マネージャーである俺の役目ですから」
彼に支えながら立ちあがり、私はリビングに連れて行かれる。
ダイニングテーブルの椅子に座らされて、彼はキッチンに向かう。
お粥を作ってくれるのは有難い。
正直、今、泰作の為に何かをするのを体が拒否している。
「出来ました。持って行くのは、先生がしてくださいね」
「ありがとう」
「薬とかはありますか?」
「救急箱に……」
「あっ、救急箱はここですよね」
「凄いね。何でも知ってる」
「当たり前じゃないですか!7年ですよ。それに、先生が指先を怪我した時に絆創膏を貼ったのも俺でしたよ」
「そうだったね。忘れてた」
「覚えててくれただけで嬉しいです。ありました。風邪薬はこれですね」
「ありがとう。持って行くわ」
「はい」
「あの……」
「待ってますよ!先生が降りてくるの」
「ありがとう」
彼が一階にいるとわかってるだけで、二階に上がる事ができる。
コンコン……。
「はい」
「開けていい?」
「うん」
中から声がして、ドアを開ける。
泰作は、しんどそうにしながらも起き上がった。
「起きてたの?」
「うん。ついさっき……」
「そっか。熱は?」
「今、計る」
「うん」
泰作と会話が繋がらない。
だけど、黙っていたらおかしい。
ピピピピ……。
「39.5分だって」
「熱上がっちゃったね。お粥食べて、薬飲んで寝た方がいいかも。服、スーツからパジャマに着替えようか」
「あっ、うん。ありがとう」
サイドテーブルにお粥を置いて、私はクローゼットを開けて、泰作のパジャマを取り出す。
「自分で食べられる?」
「うん。大丈夫」
泰作は、お粥を食べ始める。
「もう、私の事を愛していないの?」なんて、今、聞いたらおかしいよね。
「これ、りな子が作ったの?」
「えっ、うん。そうだよ。どうして?」
「何か前に作ってもらったのと違う気がしたから」
「そうかな……。ちょっと体調悪かったからかも」
「大丈夫?風邪うつしたかな?」
「大丈夫、大丈夫」
無理に笑わないと泰作とうまく話せない。
「美味しい。忙しいのに、ありがとう」
「別に忙しくないから大丈夫だよ」
「そういえば、週刊誌に撮られたの大丈夫?」
「私だって気づいてる人は、いないと思うよ」
「そうかな?いると思うけど」
「あのさ、泰作。週刊誌の内容、本気にしてる?」
「内容って、深森君と熱愛しているとかってやつ?」
「そう」
「深森君には、今日初めて会ったけど……。いくらなんでも若すぎるでしょ?りな子が深森君を好きになる事はないと思う」
「若すぎるよ。普通に二十歳で産んでたら、子供だからね。私もだけど、深森君も恋愛対象じゃないよ」
「さあ?それは、どうかな。深森君は、りな子に気がありそうな感じがしたけどね」
「何、馬鹿な事言ってんの。あるわけないじゃん。私なんかおばさんだし。体型もヤバイよ」
「そんなの気にしないでしょ?俺だって気にしてないから。ゴホッ、ゴホッ」
「大丈夫?また、熱上がるといけないから、薬飲んで寝よう。服も、着替えて、ほら」
「ありがとう、りな子」
泰作にパジャマを渡す瞬間に、指先が触れる。
愛してるのに、気持ち悪い。
交互に入り交じった気持ちのせいで、おかしくなりそう。
「ありがとう、自分で着替えるから」
「あっ、うん」
「ゴホッ……風邪うつしちゃいけないから部屋出てっていいよ」
「あっ、うん」
「悪いんだけど、スーツだけかけててもらえる?」
「あっ、うん」
「お粥、ご馳走さま。薬飲んだからもう寝るね……ゴホッ……ゴホッ」
「うん。何かあったら、電話して」
「あーー、スマホの充電切れてるから。スーツのポケット。下で充電してくれない?ゴホッ……終わったら持ってきてくれない?ゴホッ、ゴホッ」
「わかった。ゆっくり休んでね」
「ありがとう」
スーツをかけて、ポケットからスマホを取り出す。
お粥を持ってきたトレイにスマホを置き、泰作を見るとスヤスヤと眠っている。
洗濯物をいったん纏めて、ドアの外に置いた。
お粥を持ってきたトレイを先に一階に持って行く。
「先生、大丈夫ですか?」
「あっ、うん。大丈夫」
「旦那さんは?」
「薬飲んで眠ったから」
「洗い物、俺がやりますよ」
「ありがとう。あっ、スマホ充電しなきゃ!」
「どうぞ」
彼がトレイを受け取ってくれて、私はスマホを充電する。
「洗濯物とってくるね」
「はい」
二階に上がってドアの前の洗濯物を取ってから足早に一階に降りる。
後で、アイスノン交換してあげよう。
冷凍庫に、二つ冷やしているのは、10年前二人揃って熱を出したからだ。
あの時は、泰作のお義母さんがレトルトのお粥、ゼリー、アイスノンを持ってきてくれて助かった。
だけど、二人揃って熱を出すのは、あの一度だけだった。
でも、アイスノンはいつかに備えてそのまま二つ冷やし続けている。
一階に降りて、洗濯機を回す。
「ゆき……」
熱にうなされた泰作が呼んだ名前は、私ではなかった。
一体誰なのだろうか?
渡してくれたスマホの中身を見ればもしかしたらわかるのだろうか?
いやいや、スマホなんてものを見たら夫婦は終わり。
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