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「やっぱ雪が降ったのか、どおりで寒いはずだ……」  夜のグラデーションが残る景色を硝子越しに眺めながら、望月(もちづき)朔羅(さくら)は両手に息を吹きかけた。    作務衣の上にダウンを羽織りながら部屋を出ると、身軽な体重でも板張りがいつも同じ場所で鳴く。朔羅はもう一人の住人が起きないよう、足裏を緊張させて廊下を歩いた。  靴下越しでも伝わる底冷えに身を縮こませながら、顔を洗って本堂へ向かい、雨戸を順に開けていく。  いい一日であるようにと、願いを込めて行ういつもの準備だ。 「こいつが難関なんだよな、毎朝手こずらせる」  一箇所だけ手のかかる場所があり、朔羅は「よしっ」と気合を入れて戸袋に手をかけた。  拒むように雨戸がガタガタと音をたて、朔羅は手のひらに息を吹きかけて温めると、もう一度取手を掴み直した。  小刻みに揺らしながら片側へ押し込むコツも、日課にすると要領を得て、雨戸はようやく戸袋へと収まってくれた。    朝日を待つ陰翳(いんえい)のぬれ縁が姿を表し、開け放たれた先に見える遠い景色から冬の弱い光りが差し込むと、白銅色の空が姿を現す。  真新しい空気を全身に取り込むよう、朔羅は思いっきり深呼吸をした。 「さあ、今日も頑張ろう」  独言で勢いを付けると、ぬれ縁から草履を履き、境内へと降り立った。  纏う空気は寒々しいけれど、聖域を歩く度に聞こえる砂利音は耳心地いい。  ふと見上げた視線の先には、冬毛を丸くさせた白い番いが、小枝で寄り添っているのが目に入る。  ——顔に黒い線……あれってエナガだ……。可愛いなぁ。    小さな命同士で寄り添う姿を羨ましく思いながら、朔羅はダウンのファスナーを首元まで上げた。  吐く息で手のひらを温めながら、薄く白化粧した砂利を進み、(かんぬき)を開けて門を押し開く。  開放された先には乳白色の空気が揺めき、薄らと霞がかった風景を石段から見渡した。  本堂を囲むよう三方の山が天然の垣根の役目をし、そこから僅かに(ひら)けた東の空を上る朝日に、朔羅は目を閉じて手を合わせた。  澄んだ冬の光が色素の薄い髪に溶け込み、白い頬に触れると敬虔(けいけん)な横顔に煌めく輪郭を作り上げた。  ゆっくり開眼した眸で美しい景色を眺めると、今日も穏やかな一日になりますようにと朔羅は祈った。  両腕を上げて伸びをしながら、日課の掃除をするため本堂へと足運ぶ。  高校を卒業してからこの日常を繰り返し、もう、早三年が経とうとしていた。  不慣れな作業にも、季節で左右される環境にも慣れ、朔羅はこの仕事に生き甲斐を感じていた。 「朔羅」 「あ、おはようございます。郭純(かくじゅん)さん」  掃除を終え、台所で朝食の支度をしていた背中に声がかかる。朔羅は濡れた手を拭きながら、(たもと)に腕を入れた姿で佇む鴻上(こうがみ)郭純(かくじゅん)へ挨拶をした。 「話がある、それを終えたら部屋に来なさい」  澄み声で命じられ、朔羅は「はい」といつものように笑顔で答えた。  腹も出てないし、肌艶もいい。若々しい風貌の郭純ではあったが、よく見ると耳の横の生え際は白く、眉間には常にしわが数本刻まれている。その風体が威圧を作っているのか、まだ四十過ぎだとは思えない厳格さを漂わせていた。  郭純の背中を見つめながら、朔羅はふと鬼胎をよぎらせる。  ここ永尊寺(えいそんじ)の住職を前住職より引き継いだのは、郭純が今より少し若い頃だと聞き覚えていた。  昔の永尊寺は朔羅達近所の子ども達の遊び場で、その頃の郭純は今よりも柔和で口数も多かった記憶がある。 「昔はもっと笑顔だったのに……」  ポツリと呟き、朔羅は峻峭(しゅんしょう)に変わってしまった郭純の背中を見送った。
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