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「あーあ、美咲がいなくなって寂しいな」
墓地に咲いている雪柳の剪定をする朔羅の横で、桜介がつまらなさそうに、地面の雑草を抜いている。
「桜介、いつまで拗ねてるんだよ。美咲ちゃんに新しい家族が出来たの喜んであげなよ」
「分かってるって。でもその前はコウキがいなくなったし……」
落ち込むと何かをいじる癖の桜介が、今度は小枝で地面に意味不明な落書きをしている。幼いなりに複雑な気持ちと葛藤する姿を見て、朔羅は小さな頭をそっと撫でた。
「二人は桜介より小さかったから、よく面倒見てあげてたもんね」
血の繋がりのない園の子ども達は、境遇が似ている事もあり『血』ではない絆が生まれている。桜介の寂しがる気持ちは、側で見ていても痛い程伝わっていた。
「美咲はさ、夜トイレ一人で行けないんだ。あいつ平気かな」
「大丈夫だよ。さよならする時、お守りあげただろ?」
「うん……」
「きっと美咲ちゃんはお守りを桜介だと思って、大切にしてるよ」
「そうかなぁ」
「桜介の気持ちは美咲ちゃんに届いてるから。きっと大丈夫だ」
さっきより少し元気を取り戻したのか、桜介は徐に「お経、聞かせて」と、手に付いた砂を叩きながらせがんできた。
「やっぱ朔羅は、本当にお坊さんなんだ」
聞き覚えのある声にビクリと反応し、直立してしまった朔羅は、和かに話しかけてくる唯志の顔を凝視した。
「何か用……」
「ごめん、勝手に入った。ってかここは変わらないな」
戸惑う朔羅をよそに、唯志が嬉しそうに当たりを見渡している。
「だから、何か用——」
「あーっとごめん、朔羅と話しがしたくて。でも懐かしい、ここでよく遊んだよな」
懐古な気分に浸っている唯志を見上げる桜介が「先生もここで遊んでたんだ」と、好奇心旺盛な目をキラキラさせている。
「そうだよ。桜介くらいの時からずっとな。朔羅と虫取りしたり隠れんぼしたり」
「さくらと?」
「そうそう。いっつも二人で遊んでたなぁ。で、住職によく怒られたんだ」
「え、住職さん優しいよ」
「ああ、あの若い方のお坊さんの事かな。俺が言ってるのはもう一人の住職だよ」
「もう一人?」
「唯志、前の住職はもうここにはいないんだ」
「え、そうなんだ? でも俺あの人苦手だったんだよなぁ。奥さんは優しかったけど、あ、じゃあ奥さんもいないの?」
「うん、二人ともいない。俺も事情はよく知らないけど、俺がここで暮らす頃にはもう郭純さんだけだった」
「ふーん、そうか……」
「あのね、桜介達の知らない住職さんが昔いたんだよ。唯志と悪戯してよく叱られたんだ。ちょっと怖い人だったからさ」
桜介の背丈に合わせるよう朔羅は屈むと、昔話しを語って聞かせた。
「よかったーその人いなくて。絶対叱られるもん、オレ」
自分を弁えているのか、心の底から安堵する桜介の様子に、朔羅は表情筋を緩ませた。にも関わらず、目の前にいる人間のことが気になって心臓が痛い。
「ここはあんまり変わってなくてよかった。あ、でも駐在さんは若い人だったなぁ」
「ああ、中里さんだね。明るくていい人だよ」
「いい人か。まあ俺もいい人だけどな」
「知ってる! だってオレの先生だもんなっ」
唯志の腰に戯れつく桜介が、無条件の信頼を込めて見上げていた。
「そうそう、俺は先生だからな。なあ、それより、さく——」
唯志が言葉を口にしかけた時、門の方から名前を呼ばれ、朔羅は後ろを振り返った。
「朔羅ーっ」
唯志と桜介も朔羅の視線を追うと、一人の男性が砂利を踏み鳴らしこちらに向かって歩いている。
「さっくらー。いたいた!」
大袈裟なほどに手を振りながら歩み寄る仁を目にし、朔羅は慌てて駆け寄った。
「じ、仁様! こんな所まで、どうして——」
「さ、さくら。こ、この人が迷子になってた……」
朔羅が視線を落とすと、仁の後ろからヒョコッと姿を見せた桔平が報告し終えると、大急ぎで桜介の背中へと隠れた。
「朔羅会いたかったよー。電車で来たからもうクタクタ。その子に会えなかったら、今頃俺は遭難してたかも。階段も長いしさー」
濡れ縁に倒れ込むように腰掛け、浅い呼吸を繰り返す仁へ「遭難って、大袈裟ですよ」と呆れ顔をして見せた。
「ハハハ。でも本当に困ってたんだ。そしたら彼も寺へ行くところだって言うから案内して貰ったんだ」
「車で来なかったんですか? 市街からここまでは結構距離あるんですよ」
「うん、だって俺運転出来ないもん、免許ないし。車もってるけどアレは観賞用だからね。移動は運転手さんにいつもしてもらってるんだ」
今更ながらの贅沢さを聞き、朔羅は肩で溜息を吐いた。
「とにかく今お茶持って来ますから、そこで休んでて下さいね」
「うん、ごめんねー。ありがと」
まだ肩で息をしている仁が、ヒラヒラと手を振り、朔羅はもう一度深い溜息を残して台所へと向かった。
「おじさん誰? おじさんもさくらの友達?」
「お、おじさん……。うわぁショックだ、俺はおじさんかー」
「小学生から見たら、あんたはどう見てもおじさんって年齢だろうーが」
朔羅と親しげにする仁に、険のある言い方で唯志は突っかかった。
「あ、うんそっか。三十代はおじさんか。でも君はギリお兄さんってところかな」
唯志の皮肉はなんの効力も発揮せず、宙に浮いた足をプラプラさせながら、仁が興味津々で観察してくる桜介に微笑みかけている。
「おじさん、この人は先生だよオレたちの」
「先生? 学校の?」
「小学校の教育実習生で、朔羅とは幼馴染です」
マウントを取ってみたものの、仁の表情は変わらず、捉え所のない表情をしている。
「幼馴染ねえ。で、教育実習生か。じゃあ、まだ本当の先生じゃないんだね」
特に相手を怒らせようとしているわけでもない仁の言葉に、唯志はカチンときてしまった。
余裕のある態度に対し真剣に挑んでも、仁には暖簾に腕押しで、唯志は奥歯をキリキリと噛み締めるだけだった。
「ねえねえ、おじさんは誰ってば?」
質問の答えが返ってこず、桜介がもう一度答えを催促をした。
「ああ、ごめん。俺は朔羅の友達だよ。とーっても仲良しのね」
髪を耳にかけながら、ゆるりと笑う仁を一瞥していた唯志は、庫裡から戻って来る朔羅へ手を振る仁の態度に益々眉を釣り上げた。
「仁様お茶です。大丈夫ですか?」
「大丈夫。ありがとう心配してくれて」
朔羅の頬に触れる親しげな態度の仁に、唯志の苛立ちは沸点に達し、仁より少し離れた場所にドカっと座った。
「でも朔羅に会えてよかったよ。あの夜からずっと会いたくて、忘れられなかったからさ」
「あの、その話は今は——」
「ああ、ごめんごめん。二人の秘密だったよね」
意味深に仁が片目を瞬かせるのを目にすると、二人の関係をアレコレ妄想しているのか、唯志が闘志に満ち溢れた目で離れた所から仁を凝視している。
「桔平、仁様をここまで案内してくれてありがとう」
「桔平君って言うんだ? 本当ありがとね。助かったよ」
見知らぬ大人に礼を言われ、気恥ずかしくなった桔平は、桜介の後ろから真っ赤に照れた顔を半分だけを覗かせていた。
「あー、いたいた桔平ー」
甲高い声と共に、弥生が吐く息を白くさせながら境内にやって来た。
「あれ、弥生さんだ。桔平、弥生さんが呼んでるよ」
小走りで駆け寄る弥生を目にし、朔羅は桜介の背中に隠れる桔平を手招きした。
「やっぱりここにいた。桔平、今日は大事な用があるから部屋にいるようにって言ったでしょう?」
歩幅の足りなさを補うよう加速を付け、息を荒げる弥生が、桜介にしがみつく桔平の手首を割烹着の腕でがっちりと掴んでいる。
「や、やだ。帰りたくない」
「桔平どーしたんだ?」
いつもと様子が違う桔平を心配し、桜介が自分の肩越しにその姿を見上げている。
「弥生さん、どうしたんですか? 桔平が何か……」
怯えるその姿が施設に初めて来た時の印象と重なり、朔羅は不安になった。
「朔羅君、喜んでよ。桔平に養子の話が来たのよ。でね、養子先の方がもうすぐお見えになる時間なの」
「養子? 朔羅、あそこは幼稚園じゃないのか」
会話が聞こえていたのか、慌てて唯志が尋ねてきた。
「あ……、うん。カナリア園は児童養護施設で——って、そうなんだ。桔平を養子に……。桔平、お父さんとお母さんが出来る——」
桔平に声をかけようとしたが、そこには瞬きもせず両目を見開き、今にも泣きそうな桔平がいた。
「園長先生、桔平出ていっちゃうの?」
今度は桜介が泣きそうな顔で、弥生の腕にしがみ付いている。
「そうよ。桔平に新しい家族ができるの。だから桔平、早く帰ろ、皆さん待ってるよ」
嬉しそうに話す弥生とは反対に、悲しみを凝縮させた顔で桜介の腕を離さずにいる桔平を、割烹着の腕がまた強引に引き剥がそうとした。
「や、嫌だ。まだここにいる。桜介と一緒がいい」
我慢していた雫が溢れ出し、幼い子どもが力一杯抵抗している。その気持ちが手にとるように分かり、朔羅の涙腺も緩みそうになった。
「桔平……またいつでも会えるよ、桜介にもみんなにも」
諭すように言った朔羅の言葉も、激しく首を左右に振ることで跳ね除けられ、桔平の抵抗は続いた。
「我儘言わないの。ほら行くよ!」
痺れを切らし弥生が、後ろから抱き抱えようとした——が、その時「嫌だ!」と大声を放つと、掴まれていた手を振り解き、桔平があっという間に階段を駆け下りて行った。
「桔平!」
朔羅の引き止める声も届かず、小さな背中はあっという間に視界から見えなくなってしまった。
「さくら、オレ探してくる。多分あそこにいるから」
「あそこ?」
「うん。オレたちの秘密基地。桔平とオレだけの秘密の場所だよ」
「そっか……。そんな場所あったんだね。弥生さん、桜介に任せましょうよ」
朔羅は「頼んだよ、桜介」と、泣きそうな顔の桜介に託した。
「うん。任せて! ちゃんと連れて帰るからさ」
少し逞しく見えた桜介がピースサインを向けると、小さな背中は桔平の後を追って走り去って行った。
「ほんっとにあの子ったら! 私は一足先に園に戻ってますね。雨宮様に伝えなきゃ」
弥生と朔羅のやり取りを濡れ縁から眺めていた仁が何かに気付き、湯呑みを唇の手前で止めると、思慮を巡らせる表情をしている。
「弥生さん、桔平達帰ってきたら知らせてもらえますか? 俺も心配なんで」
境内を出ようとする弥生の後ろ姿に、朔羅は慌てて声をかけた。
「わかってますよ、朔羅君はほんと心配性なんだから。それじゃ失礼しますね」
軽く頭を下げ、足早にその場を去って行く弥生を不安げに見送った。
「朔羅、あの子は養子になるのか」
さっきから口を閉ざしていた唯志が、切なそうな声で尋ねきた。
「うん……」
「嫌がってたな」
門の方を食い入るよう見つめ、唯志がぽつりと呟く。何年かぶりに目にする真面目な横顔は、朔羅の鼓動を早鐘のように鳴らした。
「よかったね朔羅。あの子に家族が出来るんだ、それはいい話しだよ」
腑に落ちない唯志の態度とは真逆に、仁が弾んだ声で言う。
「本当にそう思ってんのか、あんたは」
挑むように放った唯志の言葉は、一触即発しそうな雰囲気を生み、朔羅は慌てて二人の間に割って入った。
「まあいいけどさ。俺には関係ないし。じゃあそろそろ帰るよ、朔羅の顔も見たしね」
濡れ縁からぴょんと降りると、そのままの勢いで仁が唯志へずいっと顔を近づけた。喧嘩にでもなったらと心配したけれど杞憂に終わり、仁は唯志に背けるように歩き出した。
境内を歩きながらスマホを出し、誰かと短い会話をしたあと、何事もなかったように階段を降りて行こうとしている。
「あ、仁様、下まで見送ります」
慌てて仁へ駆け寄った朔羅は、差し出された彼の長い指で、ふわりと前髪を優しくかき分けられた。初めて会った時と同じ、優しげな笑顔で。
「見送りはここでいいよ。後ろの先生が機嫌悪くなるからさ」
ぬれ縁の前で仁王立ちする唯志を目線で差し、仁が愉快そうに笑っている。
振り返ると、切長の目をキリリと吊り上げ、腕を胸の前で組む唯志の姿が見えた。
——唯志は何を怒ってるんだ……。
「いえ、お客さまはちゃんと見送らないと郭純さんに叱られますから」
背中に受ける唯志の視線を気にしながらも、仁と一緒に階段を降りていった。
たわいもない話をしている間に道路まで辿り着くと、仁が足を止めて道を挟んだ向こう側に停車している、田舎町に不釣り合いな高級車を指差した。
「朔羅、ほらあれが俺の車。カッコいいでしょ」
指差す方を見ると、燦然と輝く黄色の外車が草むらをバックに違和感たっぷりに止めてあった。
「すごい……。カッコいい、あれが仁様の車ですか」
「そうそう。いいでしょ、一目惚れしたんだ」
「はい。俺、あんなカッコいい車、初めて見ました」
道路の反対側からでも、家が一軒が買えそうなのがわかる。朔羅はすごいなぁ、ピカピカだと、見たこともない車を眺めていた。
「じゃ、朔羅また連絡するか——あれ。あの人達……」
仁が辺りを注視しながら、反対側の車まで道路を渡ろうとした時、カナリア園の方へ視線を向けて立ち止まっている。
「仁様、どうかしたんですか」
朔羅が駆け寄ると、「ここがカナリア園?」と、仁が聞いてきた。
「はい、そうです。あ、ほら。さっき桔平を迎えにきた女の人がいるでしょう? あの人が園長先生で——。あの、仁様、園がどうかしたんですか。何を見てるんです?」
仁が一点を凝視していることに気付き、朔羅が尋ねながら視線の先を眺めた。
「いや……さ。園長がペコペコしている相手なんだけど、どっかで見たことあるんだよな」
首を傾げながら仁が言い、朔羅も同じ方向を見てみた。そこには、還暦を優に超えた身なりのいい男女が、弥生と何か話し込んでいる。
「あの夫婦? が桔平の新しい家族なのかな。さっき弥生さんが言ってた、『雨宮』って名前の」
呟くように朔羅が言っても、まだ考え込んでいるのか、仁は無言のままだ。
朔羅は、あの、と遠慮がちに声をかけると、突如、仁はパッと顔を上げ、「あっ! そうだ、あの人か!」と大声を出し、朔羅の体はピクッと跳ね上がった。
「び、びっくりした。仁様、誰か思い出したんですね」
「あ、いやごめんね。うん、思い出したよ。知ってる人達だ」
「え、仁様の知り合い?」
「うん。まあ、知り合いっていうか、顔見知り? 程度かな。前に出席した経営者交流会のパーティーで見たことある。あの人達は、京都の老舗旅館の大旦那だ。でも、あの老夫婦には人息子がひとりいるのにな。しかも、年配なのに。子どもが欲しい人って、こう……もっと若い人かと思ったよ」
うーん、と唸りながら、実子がいるのにわざわざ養子っている? と、朔羅は同意を求められた。
「……どうなんでしょう。でも、娘ならともかく息子さんがいるのに、他人を養子にするのは不思議に思いますね」
「まあ、金持ちのする事はわかんないか」と仁が言うから、朔羅は仁様もお金持ちでしょと、くすくす笑った。
「じゃあね、朔羅。今度はゆっくり会おう」
後部座席から手を振る仁に、朔羅は深々とお辞儀をした。
「また連絡するよ、じゃあねー」
肩越しに片目を瞬かせると、風に髪をなびかせながら仁が手を振るから、朔羅も彼の姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。
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