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「中里君はまだ見つからないのか」  一夜明け、夕食の片付けをする朔羅の背中に、郭純が問いかけてきた。 「……はい。乗松のおじさんからはまだ何も」 「そうか……。私はこれから鉢須賀さんの所へ行ってくる。帰りは遅くなるから、何かあれば連絡するように」 「わかりました」  感情が表に出ない郭純との会話。寺で暮らすようになってから、それは始まった。  子どもの頃に見た彼は笑顔が豊富な、優しいお坊さんだった。  悪戯して叱る時ですら郭純の顔は微笑み、近所の子ども達を集め、寺でよくいろんな催しもてくれた。  お泊まり会で朔羅が怖い夢を見て泣きじゃくった時、郭純の手は優しく慰めてくれたから、安心して朝まで眠りについたこともあった。  優しい思い出を持つ朔羅は両親を失った時、寺で暮らすかと言ってくれた郭純の提案に心から喜んだ。  両親や好きな人を失っても、優しい郭純のもとで寺の仕事を覚え、一生懸命生きて行こうと決意した。けれど、いざ一緒に生活を始めると、彼の穏やかな微笑みは一切なく、再会した目は厳しくて、でもどこか思い詰めたような顔をしていた。  時々苦しそうにも見え、朔羅は次第に会話することに戸惑っていった。  まるで(かし)の扉で隔てられ、こちらに入って来るなと言わんばかりに距離を置かれているように感じる。  今日も食事を終えると早々と自室へ戻ってしまい、朔羅は最後の食器を棚に収めながら深い溜息を吐いた。 「あ……そう言えば桔平が見つかってよかった、さすがは桜介だな」  桜介の予想通り、桔平が隠れていたのは二人が秘密基地と呼ぶ場所だった。 施設の裏手にあるそこは、幾つかの雑木が集まる小さな森のようで、その中の楓の枝が水平に折り重なり、小さな子ども二人で隠れるのには十分な場所だった。  ようやく馴染んだ施設を離れる不安な気持ちは、虐待の傷が桔平の心にまだ根深く刺さっているからだろう。桔平の気持ちをわかっていても、何もできない自分が悔しい。  重い気持ちで手拭いをテーブルに置いたと時、置いてあったスマホが鳴った。液晶の画面には自治会長と表示が見えた。 「もしもし」 『朔羅か、俺だ。寺の方に何か連絡はなかったか?』  「いいえ、まだ……」 「そうか……」  電話の向こうで憔悴した籠谷の後ろから、拡声器のけたたましい声が聞こえてくる。警官が一人行方不明になった異常事態に、小さな町全体が落ち着きをなくしているのが伝わってくる。 「今の声、乗松のおじさんだね……」 『ああ。ずっと名前を呼んでるのさ』 「会長さん、俺も捜索に加わりたい」 『お前はダメだ寺にいろ。住職は留守がちでいねーんだろ? もし中里君がそっちに行った時に困るからな』  「でも——」 『お前の気持ちも分かる。けどこっちも町民総動員で探してるんだ。唯志も必死で探してくれてる。だからお前は待機だ』 「えっ? 唯志が?」 『ああ。流石に生まれ故郷だな、様変わりした景色にもすぐ馴染んだみたいで、あっちこっち探し回ってるよ。子どもの頃にお前と連んで、その辺の山や原っぱを遊びまわってたんだろ』 「はい……」  ポツリと返事をすると、籠谷の、こっちは任せとけの言葉を最後に朔羅は電話を切った。   待機しろの指示に()れる心を落ち着かせ、朔羅は大人の男になって目の前に現れた唯志を改めて思い出した。  ——正義感が強くて熱いとこ、変わってないな……。  台所の窓に寄り添うと、遠くから騒つく音が微かに聞こえて来る。  そこに唯志の姿もあるのだと思うと、朔羅の鼓動が不本意な速さで心を刺激してくる。  邪な感情は今は邪魔なだけなのにと、自身の胸を握りつぶしてみた。 「こんな時に俺は何を……。中里さん、どうか無事に帰って来て……」  寒空に高く輝く弓張月を見上げ、朔羅は心から中里の無事を祈った。
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