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 中里が行方不明になって三日が経ち、忙しない日常に住民は逆えず、捜索の人手は心細くなっていった。 「警察署も消防隊も少人数になっちまった。消防団も手の空いたもんだけが手分けして姫宮岳を捜索してる状態だ」  疲弊しきった目の下にクマを作った顔で乗松が溜息を吐いている。 「おじさん……」  ぬれ縁に座る乗松に湯飲みを差し出しながら、朔羅は少し老け込んだ横顔を見つめた。 「あいつの家族は母親だけなんだ……」  湯飲みを握りしめる節の濃い手に、悲観した雫がポタリと垂れて地面に落下した。覆い被さる瞼の隙間から、じわりと次の雫が待ち構えている。いつもの勇ましい姿とはかけ離れた、弱々しい乗松の背中が震えているように見えた。 「……今、お母さんは?」 「お袋さんは寝込んでるよ。なのにこっちに来るって言うから止めたさ」  帽子を脱ぎ、頭皮と毛量が反比例する頭を掻きむしる乗松がやるせなく言う。 「お母さんのためにも中里さん見つけないと。郭純さん戻ったら俺も捜索に参加します」 「……そうだな、頼むよ朔羅」  いつも豪快で賑やかな乗松の表情は消え、目に前にいるのは、部下の行方を心配する年老いた上司の姿だった。 「さくら! さくら!」  養護施設から永尊寺の境内までの小道を走って来た桜介が、名前を連呼しながら半ベソの顔で倒れ込むように朔羅の膝にしがみ付いて来た。 「桜介! どうしたの」 「き、桔平が……桔平が行っちゃう」  施設に初めて来た日を最後に、涙を見せたことのなかった桜介の瞳が潤んで膨らんでいる。 「——あっ今日って……」  中里の捜索に気を取られ、桔平が養子として引き取られて行く日が今日だったのを思い出し、朔羅は眉根を寄せた。 「さくらぁ、オレ、オレ……」  泣きじゃくる小さな体を朔羅はそっと抱き締めた。 「ごめん、桜介。一人にして。寂しいよな、ずっと桔平と二人一緒だったもんな」  「うっうう、き……ぺぇ」  身体中の水分を涙に変えるほど泣き崩れ、朔羅の胸の中で桜介が小さく丸まってしまった。 「大丈夫、大丈夫だよ……。桜介と桔平は離れ離れに暮らしてもまたきっと会えるから」 「ほ、本当……?」  真っ赤な目をして頬を涙で濡らす、あどけない顔が朔羅に向けられた。 「本当だよ。お互いの事を思い合ってたら、また会えるから」 「思い……合う?」 「そうだよ。春になったら桔平も桜の花見てるかなとか、夏になったら水遊びしてるかなとか。秋になったらアキアカネ追いかけてるかなぁとかね」 「ふ、冬になったら雪食べたりとか……?」 「雪食べたりって——。でもそうだよ。遠く離れてもここで一緒に過ごしたことは消えない。桜介が忘れないように、桔平も同じだと思うよ」 「本当……?」 「本当だよ。だって二人は親友だろ?」 「親友って?」 「友達よりもっと仲良しって事だよ」 「友達よりもっと……」  この世に生まれてまだ数年の小さな心で、必死に二文字の言葉を理解しようとしている。その姿がいじらしく見え、朔羅は着ていたダウンを脱ぎ、小さな肩にそっとかけた。 「桜介が笑うと桔平も同じように笑顔になってる、知ってたか?」 「オレが笑うと、桔平も……」  愛おしく、包むように小さな体をもう一度抱き締めると、鼻の頭を真っ赤にした桜介と目が合った。  大切な誰かを失う辛さを朔羅も経験してきた。だからこそ、桜介の気持ちが手に取るように分かる。励ましの言葉が付け焼き刃でも、悲しい気持ちを乗り越えるための手助けになって欲しいと心を込めて伝えた。 「おーすけ?」  俯く小さな表情を覗き込もうとした朔羅は、両目をグイッと小さなこぶしで拭った顔と目を向けられた。 「さくら、一緒に桔平を見送ろう! オレもう泣かない。桔平に笑った顔を見せるんだ」 「うん、そうだね。その方が桔平も喜ぶよ」  抱えていた小さな膝を伸ばし、勇ましく見上げてくる顔は、朔羅には真似できない凛々しい姿に見えて羨ましく思えた。 「さくら、行こう! 桔平とまた会う約束するんだ」 「そうだね、笑顔で見送ろう——あ、でも今、郭純さんが——乗松のおじさん、俺……」 「行ってこい。朔羅が戻るまでここで俺も休んでるよ」  二人のやりとりを見ていた乗松の気遣いに「ありがとう」と頭を下げると朔羅は、桜介の手を握り締めて門を出た。  二人の階段を駆け降りる足音を聞きながら、乗松は肩で溜息を吐くと、枯れ枝の隙間から垣間見れる冬晴れの空を見上げた。 「施設が出来て賑やかな子どもの声が聞けるかと思ったが、こうも早く順に出てっちまうと、桜介じゃなくても寂しいわな」  中里の行方不明に輪をかけて悲しさを募らせる乗松は、少し覚めてしまったお茶を啜った。  溜息と交互に喉を潤す音が混ざる中、静まり返った境内から乗松は微かな音を耳にした。  ——何の音だ……。  音が聞こえた方へ意識を向け、耳をすましてみたが境内には風で木の葉が擦り合う音が聞こえてくるだけだ。 「気のせいか……。俺も歳だなぁ。でもなんか聞いたことある音だったんだよなぁ、あれ。あー、何だっけかなぁ」  思い出したくてもその名称が出てこず、苦戦している乗松の目に、門をくぐる郭純の姿を捉えた。 「おーい、住職」  紫の袈裟をはためかせて歩く郭純が、俯いていた顔を上げて乗松を見てくる。 「乗松さん、どうしたんですか」 「おお、ちょっと留守番だ」 「留守番——。朔羅は何をやってるんだ、人に押し付けて——」 「朔羅を叱るなよ。俺がいいって言ったんだ。今日は桔平が施設を出てく日だろ?」  憤慨(ふんがい)しそうな郭純を制止し、乗松は宥めるように肩を叩いた。 「そうか、今日でしたね」 「今日は勘弁してやれ。そうでなくてもあんたはすぐにフラッとどっかいっちまうだろ」 「私は——」 「わかってるさ。鉢須賀に呼ばれてんだろ? お前さん、あいつとよく一緒にいるもんな、昔から」  バシバシとさっきより激しく肩を叩きながら、乗松は豪快に笑って見せた。 「乗松さん……」 「俺は余所もんだから、(ここ)のことは数年分くらいしか分かんねーけどな。地主ってのは色々めんどくせーもんだよな」 「——ナニガワカルンダ……」 「ん? 何か言ったか」  呟くように吐き出された郭純の言葉は風に掻き消され、乗松は不思議そうにその険しい顔を一瞥した。 「いえ、何も……」  口角だけを上げ、器用に笑って見せる郭純に苦笑いを見せると、乗松はさっきより加減をして法衣の肩を鼓舞するように二度ほど叩いた。 「じゃ、俺は捜索に戻るわ。お前さんの気持ちはわからねーが、もちっと朔羅を自由にしてやれよ」  そう言い残すと、乗松は重そうな体をぬれ縁から下ろし、軽く手を上げながら階段を降りて行った。
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