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「なあさくら『東京』って遠いのか?」
桔平を見送った後、寺に戻った朔羅は落ち込む桜介を慰めようと、集めていた枯れ葉で焼き芋を作っていた。
頃合いを確認した後、火バサミでアルミホイルに包まれた芋を取り出すと、湯気を纏う芋に息を吹きかけ、軍手の手のひらに乗せてやった。
「うーん、東京かぁ、俺も言ったことないからな。こっからだとどれくらいだろ」
「でもさくらは遠い学校に行ってたんだろ?」
「よく知ってるね。そうだよ、でも俺は関西の学校だったからな」
「カンサイ?」
「東京と反対の方角だよ」
焚き火の火を気にしながら、朔羅は煙の向こうにいる桜介に答えた。
「そっか、反対か……」
黄金色の断面をかぶりつき、寂しさを紛らわすように桜介が頬張っている。
「うまい?」
「うん……うまい」
呟いた途端、桜介の目から涙がこぼれ、芋を持つ手を濡らしていた。
「桜介……」
「き、っぺ……い、さくらが焼いてくれる焼き芋好きだった……」
言ってすぐ芋を口いっぱいに頬張っている。まるで桔平の分を食べるかのように。
桜介にとって桔平は、友でもあり家族でもあった。
お互いを支える絆が遠く離れてしまった悲しみを、幼いなりに必死で耐えようとしている。
健気な姿に朔羅の胸は締め付けられた。
「そうだ、桜介に言うことがあったんだ。あのな、去年の夏に寺へ泊まりに来た時に、桜介と桔平が気に入っていた風鈴が出てきたんだ」
「ふう……りん?」
「そう、風鈴。忘れた? 青い朝顔がついてるガラスの風鈴だよ。軒下とかに吊るして、チリン、チリンって揺れるやつ。あの音が好きだーって、せっかく蚊帳を吊ったのに二人が顔だけ出して寝ちゃってさ」
「あー、思い出したっ。オレと桔平の顔が蚊に刺されまくったんだ」
夏の日の思い出が二人に蘇り、刺されて腫れた顔が痛そうだったなとか笑って話していると、桜介の表情がまた曇ってしまった。
元気付けようと話したことだったのに、逆効果だったのかと朔羅の心も凹んでしまう。
「朝顔の風鈴、桔平に渡したかったな……」
ポツリ呟く桜介に、「送ってみる?」と提案した。
「いいのっ! さくら、送ってくれる?」
「もちろん。弥生さんに住所聞いてさ、桔平の新しい家に送ろうよ」
「じゃあさ、じゃあ、オレ、手紙書く」
「いいね。風鈴と一緒に送ろう」
ようやく元気を取り戻したのか、焼き芋の続きを食べ始めている。
「桜介、そんなに頬張ると咽せるよ——ってほら言った側から」
胸を叩きながら咳き込む姿を見て、お茶持ってくるよと言い、朔羅は草履を脱ぎ捨てて庫裡へと急いだ。
「ケホケホ……。はあ、苦しかったぁ——」
ようやく芋が喉を通過したけれど口腔内は水分を失い、桜介が食べかけの芋を新聞紙の上に置いて息を吐き出した。
「桔平もう飛行機乗ってるのかな。俺は乗った事ないし……。それにさっき着てた服もカッコよかったな。……東京かあ。あっ、そうだ。柾貴先生なら知ってる! だって東京から来たもん」
桔平までの軌跡を掴んだように、少しだけ表情が明るくなる。
鉱脈を掘り当てたように喜んでいると、静寂の中でふと何かの音が耳に流れ込んできた。
ぬれ縁でプラプラさせていた足の動きを止めると、勢いよく飛び降り、桜介は音が聞こえた方を辿るように歩いて行った。
「この辺かなぁ」
焚き火をしていたすぐ横の墓地に足を踏み入れ、敷地内の奥にある無縁墓で小さな足は止まった。
「この辺からかな……あ、また聞こえた」
音は桜介の立つ足元から聞こえている。
「あ、土の中だ!」
まるで宝物を見つけたように目を輝かせ、桜介が軍手をしたままの手で土を少しずつ掘り起こしていく。
「おーすけ。桜介どこ——あ、いた。桜介どこ行ってんだよ。お茶持って来たよ、これ飲みな——って何してるの」
無縁墓にしゃがみ込み、土まみれになった軍手を脇に脱ぎ捨てた桜介が、振り向きもせず「さくら、こっち来てよ」と、叫んでいる。
「そんなとこ掘って、ここは仏様の眠る場所だよ。郭純さんに叱られるぞ」
「だってこっから音が聞こえたんだ」
「音?」
「うん、そう。この辺からだよ」
爪の中まで土が入り込んだ指先で示す場所へと朔羅は目をやった。
「土の中から? どんな音だった」
「うーんと、アレだよ。ほら、さくらも同じの持ってる——」
「俺も持ってる? えー何だろ」
「そうだ! スマホだよ、さくら持ってるだろ?」
答えを導き出せたことで興奮しているのか、桜介が鼻の穴を膨らましている。
「スマホ? 何言ってるんだ、スマホが土の中にあるわけないだろ。桜介の気のせいじゃないのか」
突拍子もない子どもの言葉に、朔羅はダウンの裾を掴み訴える頭を優しく撫でた。
「本当だって! こっち来てよ、さくら。こっから聞こえてきたんだよ」
地団駄を踏む桜介に引っ張られ、朔羅は掘り起こされた土の上に耳を傾けた。
「ねえ? 聞こえない?」
「……聞こえる。聞こえるよ、でも何で土の中から……」
「ほら言ったじゃんか! さくら信じてくんないんだもん」
「いや、待って桜介。おかしいよ、土の中からスマホの音がするなんて——」
「さくら掘ってみようよ。そんで出てきたらそのスマホ、オレもらっていい?」
「え……? いやダメだよ。駐在所に持って行かないと……」
桜介の言葉に返事したものの、朔羅は上の空だった。
土の中にそんなものがあるはずないし、音だって聞こえるわけがないのだから。
「ちぇっ。さくらのケチ」
「ケチって……。俺が見てみるからそこで待ってな」
口を尖らせる桜介を嗜めると、朔羅は屈んで続きを掘り起こしてみる。
「ね、ね、スマホ出て来た?」
「いや……」
一瞬だけ耳にした音は既に途絶え、やはり気のせいだと思いつつも、朔羅は手をズンズン土の中へと押し進めた。
「あれ」
「どうしたの、さくら。あった?」
——これ何だろ……。
掘り進めた指の先に、布を纏った硬いものが触れる。確かめるようと腕を伸ばし、五本の指で土をかき出した。
穴が徐々に深くなると、今度は手のひら全体でさっき触れたものを探ってみる。
「何これ、木の……棒かな……」
「木? なーんだ、つまんない」
朔羅の肩越しに覗き込んで落胆する桜介の声をよそに、掘り続けた朔羅の肩は、いつの間にか穴の入り口にまで到達していた。
ここまで掘ると中断することが出来ず、触れたその存在を確かめようと、更に奥へと腕を伸ばしてみる。ゆっくり弄るよう、湿った土を押し除けた先に、少し弾力のあるものを指先で感じた。
「もう少しで、掴めそうだ——」
跪いていた姿はいつの間にか腹這いになり、上半身は土まみれだった。それでも朔羅は腕の筋を精一杯伸ばし、掴んだ布を引き上げようと、思いっきり腕に血管を浮かせた。
徐々に解けていく土から剥がれ、掴んでいたものが穴の入り口へと近付く。すると奥でボコっと土が盛り上がる感触がし、朔羅は掴んだ手を一気に引き上げた。
「もう少し……出たっ。出てき——あ、ああ……こ、これ——」
「何、何? スマホあった?」
「桜介! ダメだ! こっちに来ちゃ」
朔羅は咄嗟に桜介の目を塞ぐように胸の中に抱き締め、穴に背を向けた。
垣間見えたもの、それに触れた感触が朔羅の全身を震えさせている。
「ねえ、どうしたんだよ、さくら。オレも見たい」
苦しそうに胸の中でもがく桜介の言葉を無視し、朔羅は一段と腕に力を込めた。
「ダメ! ダメだ桜介、ジッとしてて」
暴れる体を封じ、出てきたモノが桜介の目に触れないよう頭の中で警鐘を鳴らした。
「朔羅、こんなとこにいたんだ。何して——」
狼狽えていた朔羅の耳に救いの声が聞こえ、縋るように顔を上げた。
「た、唯志……」
「ど、どうしたんだ。何かあったのかっ」
顔面蒼白な朔羅を目にし、何かが起こったと察した唯志が走り寄って来る。
「え? 柾貴先生?」
唯志の声に反応し腕の中で再びもがく桜介に「ダメ、桜介」と、鋭い声で制止させる。
「どうしたんだ、そんな怒鳴って。何があったんだ」
桜介の目を封じたまま、泣きそうな視線を唯志に向けた。
助けを乞うよう、朔羅は震える唇を動かした。
「唯志……う、後ろ……」
恐怖で声が掠れ、それでも朔羅は必死で状況を伝えようとする。
「うしろ?」
首を傾げる唯志に、もう次の言葉を発することが出来ず、朔羅はコクコクと頷いて見せる。尋常じゃない様子を悟ったのか、唯志が二人の横を通り過ぎると、掘り起こされて乱れた地面に目を向けた。
「っ! こ、これ……」
地面から突出する土色の指先が、助けを求めるよう剥き出しになっていた。
唯志が言葉を詰まらせているのが、振り返って見なくてもわかった。
土を纏い、硬直している人の腕を唯志が今、見ている。
「な、何? 何だよ、さくら。オレも見たい。ねえ、先生ー」
「ダメ! お願いだから言うことを聞いて、桜介」
桜介の耳を塞ぐよう腕の位置を変え、朔羅はまた小さな体を閉じ込めた。
「さ、朔羅……。これ——」
「た……だし、唯志……お願いだ。の、乗松のおじさんに連絡し……て」
歯の根がカタカタ震え、その音が脳まで響いてくる。唇も連動して上手く言葉が出てこない。それでも朔羅は伝えようと唯志を凝視した。
「わか……った、い、今かけるから」
唯志が頷くとダウンを脱ぎ、地中に埋まる存在にそっと掛けている。
土まみれのモノが隠されたのを確認すると、朔羅は腕の力を緩めて桜介を解放してやった。
「プハーッ。苦しかった! さくらなんでこんなことする——」
「桜介、もう今日は帰りな。雪も降って来そうだし」
「えー何でだよ。天気いいじゃん。それにスマホはあった?」
ダウンが掛けられている地面を不思議そうに覗き込む桜介の背中に、わざと甘えるように唯志がのしかかっている。
「わ! なんだよ、先生重いよ」
「おーすけ、俺さっきさあ、弥生さんに鯛焼き持って行ったんだけどなー」
「たい焼き! マジで?」
「おー、マジマジ。あーでも桜介の分、なくなっちゃたかな」
「えー! そんなのヤダっ」
唯志を跳ね除けた桜介の顔が、みるみる焦りを帯びている。
「なら早く帰ってゲットしてこい。まだ間に合うかもな」
唯志がわざと不敵に笑って見せ、桜介を煽っている。
「うん、わかった。先生ありがとー」
数分前まで執着していた土の中のモノは『たい焼き』の一言で吹き飛ばされ、桜介は猛ダッシュで階段を駆け降りて行った。
小さな背中が見えなくなると、一気に体の力が抜けた朔羅は、その場にへたり込んでしまった。
「大丈夫か、さく——」
かけられた声に反応することが出来ず、放心状態のまま、土まみれの手をわなわなと震わせていた。
「朔羅……」
呼ばれた名前と共に肩へ触れた温度が誘因となり、朔羅の筋肉が収縮と弛緩を繰り返す。焦点の合わない目は虚で、震える口からは、
「手……、汚れた手が……」と、しきりに反芻していた。
「朔羅、大丈夫かっ」
「手が……腕が。汚れた手が……血が……。離せ、離して……」
唯志の声も耳に届かず、朔羅は瞼を吊り上げ、目を見開いたまま、まるで阿鼻地獄に陥った罪人のように驚愕な表情を浮かべていた。
「おい、朔羅! しっかりしろっ」
「ご、ごめ……なさい。ぼ、ボク何も見てない! ごめんなさい」
揺さぶる唯志の声に怯え、朔羅は頭を抱えて体を小さく折り畳んだ。
「朔羅!」
「……怖い、怖いよぉ」
「大丈夫だ朔羅! 俺がいる。大丈夫、大丈夫だよ」
正気を失った耳元に声が振り注がれる。安堵させる声は強張った体を緩ませ、抱き締めてくる腕を掴むと縋るよう寄りかかった。
背中を優しく撫でられることで徐々に恐怖は消え、体に感覚が戻ってくると、朔羅は慌てて支えてくれていた腕を突き放した。
「ご、ごめん! もう平気……だから」
「あ、いや……でも大丈夫か?」
「う、うん。そ、それより桜介は見てないよね……」
我に返った朔羅は、憂懼な眸で唯志に確認した。
「ああ。大丈夫だと思う……」
「よ、よかった……。桜介の目に触れなくて。ありがとう、唯志」
「いや——」
「……それよりおじさんに連絡——」
「ああ。駐在さんに連絡するよ」
電話する姿を横目に、朔羅はダウンで覆われた場所を一瞥した。
——見間違いならいいのに……。
立ち上がって掘り起こされた場所に近付こうとした時、
「朔羅、駐在さんすぐ来るって——おい、無理すんなよ」
視界がぐにゃりと歪み、足元が覚束なくなると地面に踏ん張ることができず倒れそうになった。唯志が支えようと腕を差し伸べてくれたけれど、縋ることはできない。
朔羅はよろよろとぬれ縁まで辿り着くと、頼りなげに腰を下ろした。
唯志に救いを求めることは出来ない。その気持ちが伝わったのか、肩で溜息を吐き、パーカーのポケットに手を突っ込む唯志が盛り上がったダウンを見つめている。
何か言いたげな横顔から目を背けると、朔羅は言葉もなく夕暮れが描く二人の影を見つめていた。
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