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「あれ、ご苦労様です中里さん。何か用事ですか?」
郵便物を取りに来た朔羅は、警帽を振りながら境内を歩いてくる中里に会釈した。
「朔羅君、こんちわ。今って住職いる?」
一年前に市街の交番から移動でこの町に来た中里巡査は、短めの髪をワックスで固め、片目が一重といった特徴の、まだ都会の香り漂わせるウェイ系なノリの若者だった。
ただ、今日はその軽い態度は消え、興奮する中にも尊大な振る舞いを見せている。
「それが今、郭純さんの姿が見えなくて。俺も探してるんですけど……」
「じゃあ朔羅君から伝えて貰おう。ちょっと報告する事があって寄らせてもらったから」
「報告……ですか」
「そう! 大事件になるかもしれない事があったんだ」
田舎の風景に今ひとつ馴染めない垢抜けた青年が、話したくてうずうずしている様子は、発馬機で待機する競走馬のように、鼻息を荒げているように見える。朔羅はそんな彼の言う単語の意味を、訝しげに聞き返してみた。
「事件? どう言うことですか」
「そう、事件。しかも殺人事件かもしれないんだ」
「さ、殺人事件?」
声と興奮を必死で抑えつつ、でも我慢できないのか中里が目を輝かせている。そんな彼とは真逆に朔羅の目は見開き、眉をひそめていた。
「まあ聞いてよ、朔羅君。今朝ね自治会長の籠谷さんが駐在所に血相変えてやってきたんだよ、姫宮岳に猪が出たって」
「猪! か、会長さんに怪我とかは——」
「いや、怪我はないんだ……けど」
山の奥に入り過ぎると猪と遭遇する話は、これまで何度か耳にする事はあった。だが、中里の興奮する材料にそれが当てはまるとは思えず、朔羅は彼の続きの言葉を待った。
「朔羅君、今、猪が退治された話なのかって思ってるでしょ?」
「あ……いや」
両肩をあげながら外国人の俳優を気取り、肩をすくめた中里が大きな溜息をわざとらしく吐いてくる。
「もー俺だってそんな事で興奮なんてしないよ。話にはまだ続きがあるんだって」
「で、でも、会長さんは本当に大丈夫だったんだよね?」
「平気平気、足の怪我だけでピンピンしてるよ。あのね朔羅君、猪がこの寒い時期に冬眠せず、山奥から出てきたのってなんでだかわかる?」
朔羅より都会育ちの中里が得意げに野生動物のことを話し、朔羅はそれを深刻な顔で聞き入っていた。
「え……っと、お腹が空いて……」
「正解! 実は県外から来た人がどうもキャンプしてたみたいなんだよね、猪が出たって辺りでさぁ」
「え? この真冬にキャンプなんてするの」
「おいおい朔羅君。キャンパーなんて夏だろうが冬だろうがするときゃするんだよ。それが真のキャンパーなんだ」
両腕を腰に当て、自慢げに中里の胸が前へとせり出している。
「あ……そ、そうなんだ」
やっぱりこのノリに付いていけない、眉を歪めさせながら朔羅は返事をした。
「何を隠そう俺もキャンパーなんだよ。それもソロキャンパー専門。だから地方交番勤務の希望出してたんだ」
「ソロ……? はあ」
単語の意味が理解出来ず首を傾げ、とにかく中里が本題を話すのを待ってみた。
「いやいや、俺の事はいいから話を戻そう。で、籠谷さんが朝の散歩しに山に行ってね」
いつの間にか上がり框に腰かけ、中里が身振り手振りで説明を披露してくる。
「籠谷さんが早咲きのふきのとうを見つけて、草陰に屈んでいた時に、奥の茂みでガサガサ音がしたんだって。だから猪かと思って慌てて隠れて見てたそうなんだ」
「そ、それは怖いな」
まだ本物の猪を見た事がなかった朔羅は、鼻息を荒げて興奮する猪を想像し身震いした。
「で、やっぱりそこには猪がいて、キャンパーが捨てた残飯やゴミを漁ってて。その時、ゴミの下の土も掘り起こしてたんだよ」
「土の下? 木の実か何かでも埋まってたのかな……」
リスのような小動物が貯食行動でもしてたのかと、思案していると「朔羅君!」と、勢いよく肩に手を置かれ思わずビクリと背筋が伸びた。
「は、はい!」
「木の実なんかじゃないんだよ、猪が掘っていたのは!」
「じゃ、なに——」
「遺体だよっ、い・た・い」
わざと雰囲気を作り、朔羅の言葉を遮って恐怖心を煽るよう、中里が顔を近づけて言ってきた。
「えっ! い、いた、遺体! う、ぐうぅ」
思わず叫んだ朔羅の声が想像以上の音量だったのか、慌ててその口を塞がれた。
シーっと人差し指を口元に当てる中里に、朔羅はコクコクと頷いて見せたのだ。
「そう、なんと猪が掘り起こしたのは遺体だったんだ。それも人間のだよ」
耳打ちする中里の言葉が冗談とも思えず、朔羅は喉を鳴らした。
「ほ、本当に人の骨? 山奥なんだし動物かも……」
再び登場した中里の人差し指が、今度は朔羅の目の前で振り子のように揺れ動く。
「既に乗松巡査長が本署に連絡して監察医が来ました。で、結果はやっぱり——」
「人……?」
「そう。かなり前に埋められたものだったんだよ。骨と一緒に劣化した着衣も出てきたんだ」
「ひ、人の死体が、こんな町で……」
「うん、『こんな町で』だよ。でも俺さ、不謹慎だけどワクワクしてるんだ。長閑な町では、殺人とか刺激的な事件なんてないだろうって思ってたからさ」
「さっ——ちょっとその言葉は警察としてダメじゃないですかっ」
軽口をたたく中里に呆れ、朔羅は思わず声を荒げた。
「ごめん、ごめん。でもここってキャンプにはいいんだけど、余りにも毎日のんびり過ごしてきたから退屈だったんだ。怒んないでよ朔羅君」
「冗談でもそんなこと言わないでください」
叱責を受け、気まずくなったのか、中里が徐に立ち上がると脱帽して「すいません」と、朔羅に一礼した。
「でさ、住職に伝えておいてくれるかな。これから町は少し騒がしくなるかもって。それとこれはまだ内緒だけど、犯人に繋がる証拠も俺が見つけたんだ。それがここにある。だから必ず俺が真相を突き止めて町の安泰を守るよ」
そう言って自慢げに、制服の胸ポケットに手を当てる中里が、凛々しく微笑んでいる。
「証拠って——」
「いや、こっからは捜査内容だから——でも、うーん、朔羅君にはこっそり見せよっかな。ほら、これだよ」
手柄を自慢したいのか、どこか浮かれて見える中里が、胸ポケットから小さなビニール袋を取り出した。
「これ……は。あれ、もしかして——」
「そう、君の商売道具の数珠だよ。その一粒が遺体の側にあったんだ。ちょうど手のひらが埋まってた辺りから出て来たんだ」
袋の中には薄汚れた玉が一つ、土の付いた状態で本来持つ輝きを失っていた。
「こっ怖い。本当にそれ数珠?」
数珠——と中里が宣言した小さな玉は、多少の色褪せもあったが、石で出来ているため、元々の色は損なわれてはいない。朔羅は袋越しにマジマジと眺めた後、ブルリと武者ぶるいした。
「絶対数珠だよ。よく見て、糸を通す穴も空いてる。一個しか見つからなかったけど、俺の推測ではあの遺体がこれを握り締めたまま亡くなってるね。で、こいつを本署でDNA鑑定するんだよ。何か文字みたいなのが彫られてるから、手がかりになると思うしね」
得意げに語る中里に少し引き気味の朔羅は、あからさまに怪訝な顔になってしまった。中里が雰囲気を察したのか、わざとらしい咳払いをし、咄嗟に真面目な顔を装ってきた。
「もしかしたら犯人は、近くにいるかもしれない。朔羅君、怖かったら俺を頼ってくれ」
急に警察官になった中里に、朔羅は肩をポンと再び叩かれた。
「は、はい。ってか、脅かさないでくださいよ」
「ハハハ、朔羅君はかわいーな。じゃ俺戻るから。数珠のことは内緒にしててよ、何が何でも俺の手で犯人を捕まえるんだからさ」
冗談紛いに警戒を促すと、警帽を手のひら代わりに振りながら中里は寺を去って行った。
「勇ましいのか頼りないのか、分かんない人だな。ワクワクするなんて言った時はカチンときたけど……」
土間に降り立ち、境内を歩く背中を見送っていると、ふと背後に視線を感じ、朔羅は踵を返した。
上り框に片足を乗せながら、感じた気配を探してみる。
何十年も前からある古の建物は灯りが乏しく、玄関から先に続く廊下は、昼までも少し薄暗くて見え辛い。それでもジッと目を凝らし、辺りを確認したが人の気配はなかった。
「あんな話し聞いたから、神経が尖ってるのかな……。取り敢えず夕食の支度しないと」
草履を揃えると、冷えた廊下を軋ませながら、朔羅は台所へと向かった。
静まり返った玄関。その陰翳の中に溶け込むよう、ひっそりと佇む人影には気付かずに。
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