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「あ、来た来た」
昼休みを食堂で過ごしていた桜介は、入り口に目を向けた八十の声で顔を上げると、束ねた髪を揺らして駆け寄る女性に自分も手を振った。
「小夜ちゃん。何、お前ら待ち合わせてたのか? 相変わらず仲がよろしいことで」
テーブルを挟んで向かいに座っていた煇が、肘で八十を突きながら冷やかしている。
「あいつが昼飯一緒に食いたいって言うからさ」
「じゃ俺ら遠慮するか」
気を使う訳でもなく、自然と桜介は席を立とうとした。
「いやいや、ここにいろよ——ってか桜介はいてくれないと困る」
「何で桜介だけ? 俺は?」
不服そうな煇を尻目に八十が、側まで来た幸夜を手招いた。
「やとー」
「よお」
少し乱れた息遣いで、自然と幸夜が八十の隣に座った。
「久しぶり、元気だったか幸夜ちゃん」
学部が違うと構内で会うことも少なく、四人で揃うのは随分と久しぶりだった。
「本当に。毎日暑いけどみんな元気だった?」
「お前がそれ言うか」
風邪から回復したばかりの幸夜に、笑いながら切り込んだ八十の言葉で「あはは、確かに」と、飾らない美人が豪快に笑い飛ばしている。
「でもよかったな、元気になって」
二重の少し吊り目がちなアーモンドアイと交差すると、桜介は元気になった姿を喜んだ。
「桜介君、本当にごめんね、わざわざ買いに行ってくれて。朝顔ありがとうね、今日はお礼にお昼何でも奢っちゃうから」
「え! そんなのいいよ。俺も行きたかったし」
「いいから奢られとけ。そんで言っちゃん高いもん頼め」
煽るよう言う八十が、桜介に片目を瞬かせ親指を立てて見せる。
「うん、そう。マジで! 桜介君、遠慮しないで」
「今日のお勧めはA定食だ、桜介それにしとけ。そして俺も御相伴に預かるのだ」
便乗してこようとする煇が、メニューを差し出してきても、桜介はそれを取り上げ、「気ー使うな」と言って所定の位置へと戻した。
「煇君は放っておいて、遠慮しないでよ。ね、私の気が済まないから何でも言ってー」
「おーい、俺は放っておくんかーい」
「何で関西弁? ってか桜介も遠慮すんな」
ふてくされる煇を無視し、八十と幸夜はもう一度メニュー表を手にし、桜介の前にグイッと差し出した。
「じゃ、じゃあオムライスを……」
眉目秀麗な二人の迫力に負けた桜介は、遠慮がちに注文した。
「え、オムライス? それだけ? 唐揚げとかハンバーグとかも一緒に頼もうよ」
「いや幸夜ちゃん、俺そんな食えないって」
大食い選手権にでも出場するようなメニューを勧められても、夏だし、大喰らいは小さい頃だけなんだと、桜介はキッパリと断った。
「もうー、桜介君は少食だなぁ。よし! じゃあ食後のデザートにプリンつけよう」
「いや、オムライスだけで——」
「じゃあ注文してくるね。八十も行こ」
桜介の言葉は幸夜の耳に届かず、ゲームに夢中の八十は有無も言わさず引き連れられて、二人は食券を買いに行ってしまった。
「はー、参った」
「顔に似合わず豪快で元気だよな、八十の彼女は」
いつになく真面目な顔で、煇が二人の後ろ姿を微笑ましく眺めている。
「だな。本当お似合いだよ」
煇の言葉を肯定し、桜介は何度も首を縦に振って見せた。
「桜介、彼女欲しいだろ。やっぱ合コン行こうぜ。週末看護学生とやるんだけどさ」
意気揚々と誘う煇を蔑視した目で見返し、桜介は腹の底から深い溜息を吐いた。
「あのな煇、俺は——」
「はいはい。そんな目で見なくても、お前の言いたいことは聞き飽きた。また運命だとか何とか言う気だろ?」
「分かってるなら誘うなよ」
大袈裟に溜息を吐いて見せると「わかった、わかった」と、煇が肩をすくめて心底がっかりした素振りを見せつけてくる。
「悪いな、煇」
「いいさ。けど後悔するなよ、俺が先にとびきりの美女を侍らせてもな」
「侍らせてって——お前、それ幸夜ちゃんが聞いたら女性蔑視って言われるぞ」
「お待たせー。何、何。何の話してたの?」
トレーを両手に持った八十と幸夜が、目を輝かせて話の輪に飛び込んできた。
「桜介は男が好きだって話」
「ひーかーる、俺達そんな話してたっけ」
ヤケクソ気味に言う煇に、桜介は呆れ顔で叱責した。
「え、桜介君の性的指向って男子? じゃ八十を好きになっちゃう。私負けるじゃん、桜介君の方が可愛いもん」
「えっ、俺、桜介に告られるの? ヤバい、どうしよう悩む」
八十と幸夜が繰り広げる三文芝居に呆れながらも、桜介は煇と一緒になって腹を抱えて爆笑した。
「あー、二人とも最高だ。今さ、煇に念押してたんだ、合コンには行かないってね」
「お前が運命の相手に出会うから、他では出会いを求めないって話だろ?」
「もうその心意気っ。やっぱ桜介君は天使だわ。純粋ダァ」
カレースプーンを片手に、天を仰いで幸夜が陶酔している。
「いや、だから天使って——」
反論しかけた桜介は、恥ずかしさと諦めで口を閉ざしてしまった。
八十の言う持論とは違う、桜介なりの憧れのような思慮。
朔羅達と一緒に暮らすようになってから、その考えは自然と芽生えていた。
友人達のネタにされようが、夢見がちと言われようが、揺るがない桜介の思考だったのだ。それにこう言っておけば合コンに参加しなくても済む。
「あ、そうだ朝顔市の写メ見せて欲しかったんだぁ」
唐突に幸夜がせがんでくると、「そうだ、見せるの忘れてたよ」と言って桜介はリュックからスマホを取り出し、朝顔市の写真を画面に出した。
「うわ、めっちゃキレイ! ほら、見て八十」
路面を埋め尽くす朝顔の鉢が圧巻で、幸夜が額を寄せ合い、八十と一枚一枚ゆっくりと堪能している。
二人を眺めながら、桜介の知る、出会うべくして出会った二組のカップル。 朔羅と唯志、それと目の前のもう一つの運命を羨ましくも思っていた。
朔羅達の仲睦まじい姿を見てきた桜介は、本当に心から好きで焦がれる気持ちになると、性別は関係なく恋に落ちるのだと知った。
積極的に出会いを求めなくても、いつか自分にもそんな相手と出会える、物心付いた時からそう信じてきた。
桜介は窓ガラス越しに中庭を眺めながら、故郷の懐かしい顔と、人と人が織りなす絆を思い描いた。何処かにいる、まだ見ぬ相手との出会いを願って。
「やっぱ行きたかったなー。私も浴衣用意してたのに。この後ろ姿の女の子の浴衣なんてめちゃかわいい」
幸夜の声で我に帰り、桜介は「ほら」と言って差し出されたスマホの画面に視線を落とした。
——これ……。
人の波と色とりどりの朝顔が並ぶ中に、見覚えのある花紺青の浴衣が映り込んでいる。けれど桜介の視線は浴衣ではなく、横に並んで写っている玲瓏な横顔にあった。
「ちょ、ちょっと見せて!」
動揺する桜介に、八十達は不思議そうに顔を見合わせた。
「どうした、桜介。霊でも写ってたか」
茶化しながら煇が言った言葉も耳に届かず、桜介はスマホを食い入るように見ていた。
「何、知り合いでも写ってたのか?」
遅れて聞こえた八十の声で、桜介は向けられた三人の視線に気付き顔を上げた。
「あ、いや……何でもないよ、さあ、せっかくだからプリンをいただくかっ」
取り繕うようスプーンを手にし、何食わぬ顔で甘い食感を堪能して見せた。
朝顔市での出来事が昨日のことのように思い出され、色濃く胸を締め付ける微笑みが浮かぶと、少しだけ触れた指先の感触が蘇り、心が震えた。
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