黒尽くしの客人

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 私と夫の春哉は、雨が上がった後の夜空を2人でじっと見つめる。ベランダに出る直前に、部屋の時計は10時58分だった。11時が待ち遠しいのに、どちらからも話し出さない。 「つーちゃん、ほらあそこ」  久しぶりに、つーちゃんと呼ばれて(私の名前は津花)面食らって夫の顔を見た。 「僕の顔じゃなくて、ほらあそこ。明るくなっているでしょ? 」 「あっ本当だ。今夜はどなたがいらっしゃるのかしら」   星々の間に光の穴が生まれ、そこから夜空に架かる黒いスロープが地上まで出来上がる。  私たち夫婦が『世つなぎ』の職に任命されたのは半年前の事。朝、新聞を取りに行きポストをのぞいたら黒い封筒が入っていた。中には黒いカードで白文字で、私たち夫婦が選ばれた事、雨が止んだ夜の11時に客人を招き、零時にスロープに戻るように伝えてほしいと書かれていたのだった。  私たち夫婦は最初は信じていなかった。しかし雨の上がった後、騙されたと思って出たら、本当に夜空の星々の間に光の穴が生まれて、スロープが家のベランダまで架かってきた。 「今日はどなたかしらねえ」  私が言うと夫は小首をかしげてスロープを見ていた。客人はベランダに来るまで誰なのか分からない。スロープの先で客人が黒いフェイスガードとマントを取るまで分からない。 「おっ1人こっちへ来るよ」  ゆっくりとゆっくりと歩いてくる。初めての客人は8歳の男の子で、とっても甘えん坊だった。次は66歳の女性だった。  客人を1時間だけもてなす。簡単な料理を一緒に食べ、私たちの身体が微動しつつ波打ってくる。そうしたら客人の願いを訊ねて叶えてあげる事が任務。 「こんばんは」  声で若い男性だという事が分かった。脱ぎ捨てたマントとフェイスガードは、ベランダに到着した時点でスロープが動き回収されて行く。 「お招きいただき有難うございます」  挨拶の後、16歳の小林君が頭を下げた。  2階の和室から1階の食卓へ案内すると並ぶ料理に一言。 「おばちゃんの料理、久しぶりに食べられるなんて。もうないと思っていましたから」  私と夫は顔を見合わせる。 「えっと、小林君て小林瑠樹(るき)君。幹春と仲良くて保育園でずっと一緒だった」  ニコッとしたら幼さが表情に出た。小学校は瑠樹君が転校してしまったので、息子が泣いていた日々を思い出した。 「瑠樹君久しぶりね。飲み物は麦茶よね」 「おばちゃん覚えていてくれたんですね。嬉しいです。幹春(みきはる)君はどうしていますか? 」  一瞬、胸の奥がザワザワッと波立つ。瑠樹君がスロープを下りてきたという現実。泣かないように笑顔を作る。夫が言った。 「幹春は大学生になったよ。そうだ、12年ぶりに幹春を驚かせよう。まずは腹ごしらえ。いっつも気づいて起きてくるけれど、今日はフットサルやったから爆睡しているさ。でも起きないのなら起こすまでさ」  唐揚げが大好きで、幹春と取り合って食べていた。家庭の事情で我が家で食べて送って行った日もあった。 「ごめんね。誰がくるか分からなくて。こんな料理ばかりで」 「いいえ幸せです。唐揚げに御寿司に・・・・・・」  言葉が震えている。私は気づかないフリをする。 「瑠樹君の願いって何かしら」  ニコッとして髪の毛を搔いている。 「おばちゃんの料理食べて満足しちゃいましたけど。幹春君がフットサルやっているって知ったら一緒ににボール蹴りたくて」  少し前に夫が幹春を起こしに行っていた。すぐ来ると慌てふためいていたらしいので、もうすぐ来るだろう。  幹春が「マジっ」と言いながら食卓に近づいた瞬間、私たちの身体は微動を繰り返し波打ち始めた。  気がつけば公園。 「マジで瑠樹君」  興奮して大きな声の幹春。12年ぶりの再会でテンションMAXなのが伝わる。 「こんばんは幹春君」 「いいって。みっ君って呼んでよ。君付けじゃないといけない制約ってないんだろ」  私と夫を見るので頷く。 「じゃあ俺も、昔みたいにるっ君って呼ぶ。るっ君は俺の事をみっ君ね」   最初はボールを向き合って蹴っていたけれど、そのうちに2人がドリブルしながら動き出した。このままずっと見ていたいのに。 「瑠樹君とっても嬉しそう。幹春もとっても嬉しそう」  夫が時計を見た。私も時間を確認する。ここにいられるのは後10分くらい。  2人の笑い声を聞きつつ、時が止まってしまえばよいと思う。2人はドリブルを続けている。 「なぁ、あの2人そろそろ別れないといけないよな。時間が迫って来ている」  夫が私の目の前に腕時計を近づけた。 「分かっているわよ。でも今度はいつ来られるのか分からないのよ」 「そりゃ客人も私たちも同じ気持ちだろ。ほら今度はボールをパスしながら走っている」  2人を見ていると、ずっと笑顔のままだ。 「えっ、あのスロープ此処まで? それを歩いてるっ君は来たんだよな。気をつけて帰って、またな」  あぁ、もうすぐベランダに到着。私たちと瑠樹君の別れの瞬間。 「おばちゃん、おじちゃん、みっ君有難うございました」 「私たち待っているからね」  その瞬間、一番大きな声で泣きながらスロープを歩いて行く瑠樹君。その泣き声に負けじと幹春も泣いている。心の中で願う。また来てね瑠樹君。              (了)
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