命の選択

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 証言台に立った川村美代子の顔は、憔悴しきっていた。  連日、マスコミからの取材のみならず、まったく面識のない大勢の人たちから攻撃を受けていたのだった。五人を救ってくれた狭山を訴えるとは何事だ、五人を殺してでも自分の夫を助けろと言いたいのかと、苛酷な責められようであった。 「名前は何といいますか」 「川村美代子です」 「それでは、宣誓していただきますので、お渡しした紙を声に出して読んでください」 「宣誓。良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」 「偽証をすると罪に問われる場合がありますので注意してください。それでは、検察官、尋問を開始してください」 「被害者である川村一太さんの奥さんである川村美代子さんに質問します。本件は殺人であると主張する理由は何ですか?」 「狭山がレバーを引いたから夫は殺されたのです。レバーを引けばこうなるということは分かっていたはずです。なのに引いた。これは、狭山が私の夫は死んでもいいと考えていたということです。夫は、狭山に殺されたのです。夫を殺した狭山を、殺人罪で処罰してください」 「それでは弁護人、反対尋問をお願いします」  弁護人は意気揚々と川村美代子の前に進み、そして不敵にも笑みをこぼした。スーツに輝く弁護士バッジには、天秤が描かれていた。 「レバーを引いたからあなたの旦那さんは死んでしまった。その点については異論はないですし、お悔やみ申し上げます。ただ、それを殺人であると主張することには賛同できません。被告人はパニックの中、仲間の命を救う決断をしてレバーを引いたのです。それは、被害を最小限にしようという、被告人なりの最大限の職業的責任感で行ったものです。被告人は五人の命を救った英雄でもあるのです。それを殺人犯よばわりするのはいかがなものでしょうか。自分の夫さえ助ければいいという、あなたのエゴなのではないですか」 「異議あり! 弁護人の発言は証人を侮辱するものです!」  しかし、異議は認められなかった。  美代子は口をおもむろに開いた。 「私には三人の子がいます。これから先、夫なしで三人の子を育てていかないといけません。夫が助かって欲しかったと願うことが、そして、犯人を罰してほしいと思うことが、そんなにも悪いことなのでしょうか」 「あなたの夫が助かるためならば、五人の作業員が死んでもよいと、そうお考えなのですね」 「私は川村の妻です。夫には生きていてもらいたかった。ただ、それだけです」 「証人は質問に答えてください。あなたの夫を助けるために、被告人は五人の方を殺す決断をするべきだった。そう言いたいのですね」 「異議あり! 弁護人の質問は証人の責任とは関係ないものです」 「異議を認めます。弁護人は質問を変えるように」  弁護人は一呼吸つき、尋問を再開した。 「被告人が操作しなかったら、あなたのご主人は助かったでしょう。けれど、五人の命が失われていたかも知れないのですよ。被害者を少しでも減らそうとして操作した被告人を、それでも責めるのですか」
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