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足枷
家に帰って、ほとんど開けることの無くなったアクセサリーボックスを手にした。テルヤとお揃いのネックレスが入っている。……どうしても捨てられなかった。
「あ……錆びちゃってる……」
シルバークロスで磨いてみた。まだ磨けばいくらか光ってくれる。
アキトシは明日の夜中まで帰ってこない。
私は、自分の気持ちを確かめるためにネックレスを着けた。
出張中にアキトシから連絡は来なかった。
電話も、メッセージも。
私からも連絡はしなかった。
こんなことは初めてで、でも、不思議には思わなかった。
アキトシは嘘をつけない人だ。私を抱かなくなった頃から、仕事が忙しくなり、家に帰る時間も遅くなった。
変わらず優しく良い夫でいてくれるけど、多分彼には好きな人がいる。そして、それが誰かという事も薄々わかっている。
それから目を逸らし、知らない振りをするのにも、もう疲れてきていた。
数か月後にやっと休暇が取れた。
ほぼ一年振りに実家に帰る。風は少し冷たいけど、午後の春の川沿いは暖かくて、萌えだす草木の醸し出す匂いが懐かしかった。
「ただいま」
「サトシ? お帰り!」
帰ると母さんが外で洗濯を干していた。
いつも母さんはリビングに音楽を流しているけど、だいたい古いsoulやR&Bが多い。でも今日は違うな、と思って耳を澄ました。
あれ? これテルヤさんがいたグループのじゃないか? 僕はテルヤさんオタクだからあのグループのアルバムもソロも全部聴いた。
母さんはあんまり知らないはずだけど。
「サトシ、少し寒くなかった? コーヒー淹れようか」
「母さん珍しいね、こんなの聴くなんて」
「あ……うん、友達がよく聴いてたから、それ思い出してね。友達に最近会ったから」
そうなんだ。母さんが甘いカフェオレを淹れてくれた。
「母さんたちの若い頃にすごい人気だったんだよね?」
「そうそう。ファンじゃない人にも事情が聞こえてくるぐらいにね。ファンクラブ入っててもチケット取れないって友達泣いてたよ」
「マジで?!」
どういう事なんだ。信じられないな。
「うん、すごかったみたい」
母さんが笑っている。顔色もいいし、何だかきれいになってる。元気そうで良かった。
そう思っていたけど、何か違和感を感じる。
何かが。
「夕食何にしようか?」
「ビーフシチューがいい!」
「サトシも大人になったから、赤ワイン多めに入れようね」
「父さんは?」
「珍しく出張。昨日から行ってるよ。講演と講師頼まれたとかで」
「父さんそんな仕事もしてるんだ。いつ帰ってくるの?」
「明日よ。サトシに会えないのが残念だって言ってた」
「父さんもよく働くよね」
「最近は店以外の仕事が増えてきてるから心配なのよ。忙しすぎて」
実家に帰って安心したのか、音楽を聴きながら僕はソファーで眠ってしまった。そういえば、テルヤさんはダンスだけじゃなくて歌もラップもできるんだよなあ、敵わないよなあ、と思いながら。
「サトシ、ご飯できたよ。食べようか」
母にゆすって起こされた。
毛布をめくって目を開けた時、真っ先に目に飛び込んできたのは、母の首に下がっている錠前のネックレスだった。
感じていた違和感はこれだったんだ。
どうして、母さんがテルヤさんと同じネックレスをしてるんだ。
「……サトシ、どうしたの?」
母が笑顔で尋ねてくる。
「母さん、そんなネックレス持ってたっけ……」
「え? これ? 昔から持ってるから懐かしくて」
「どのぐらい昔?」
「二十代の時かな……若い時よ。物持ちいいでしょ?」
テルヤさんは二十年前って言ってた。もしかして。
「……それ、誰かとお揃い?」
母は眉を上げて、息を吸い込んだ後落ち着いた様子で言った。
「……違うよ。そうなら夢があったのにね」
「父さんからのプレゼント?」
「ううん。自分で買ったのよ。どうしたの、そんなにこの形って珍しい?」
「いや……そっくりのをしてる母さんと同い年の人を知ってるから」
「そうそう、流行ってたのよ、このモチーフ」
そう言いながらキッチンに戻った母の表情は見えなかった。
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