バックハグ

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 テルヤが口にしたのは、僕からすればとんでもない提案だった。 「え? ハナを練習生に?」 「うん。ラップ見たけど、お前に似て声がいいし、小さい時からR&Bやラップ聴いてるからリズム感いいし、身長も高いからステージ映えする。客観的に見てスカウトに値する人材だ」 「僕が声がいいかどうかは知らないけど……リラには普通に高校卒業して、普通に就職してもらいたいんだがな……」 「一度リラちゃんのラップを見てみたらいいよ。才能って言うのは埋もれさせたらいけないんだ。どうせ学校行ってないなら、うちの事務所に通わせれば、夜中にあんな場所をうろつくこともなくなるぞ」 「……ハナとも話してみる。少し考えさせてくれ」 「もうリラちゃんには声掛けてるから。本人はやる気あるみたいだからこっちとしては来てもらいたいんだけど」 「テルヤ、お前、手を回すの早すぎるぞ」  話が進み過ぎていて僕は少々気分が悪かった。だが、次の言葉で多少なりとも状況を把握することになる。 「俺はこれが仕事だからね。いい人材は他からもスカウトが来る。もうすでに彼女は他の事務所に声を掛けられてたよ。複数のね」  グラスを回して、氷を鳴らしながら、テルヤがロングカクテルを飲み干した。  ハナと話をした。  実は彼女が夜に街に出た時以来、お互いにゆっくり話す暇がなかった。夫婦だからわかってる、と思いがちだけど、意見が違っていてはいけないこともある。子供の進路決定なら特に。 「街に出た日、リラのラップを聴いた?」 「うん、聴いたよ」 「どう思った?」  言いづらそうに彼女は口を開いた。 「いい表情してた。ちゃんと聴けるラップだったし。あんなに笑顔のリラは久しぶりに見たわ」  テルヤからスカウトされている件を伝えた。 「……そんな気がしてた」 「どうして?」  ハナがハッとした表情をする。 「だ、だって、あんなに声援もらってる人他にいなかったから」  その様子にうっすら引っかかるものを感じつつも、音楽を長年聴き続けている彼女が認めるのなら、テルヤの提案はひどい賭けではないような気もした。 「……リラは、寝てる?」 「起こしてこようね」  ハナがリラを起こしてきた。 「何? 父さん。まだ眠いんだけど」  長い髪が寝癖でボサボサになったリラが、手櫛で髪を梳きながら二階から降りてきた。 「サトシの事務所の社長さんから先日リラをスカウトしたと伺った。お前、本気でやる気があるか?」 「え? 直接父さんに?!」  リラは一気に目が覚めたらしく、目を丸くしている。 「そうだよ。サトシの件で何度か会ってるからな。どちらにしても、未成年のリラが練習生になるなら親の了承が要るだろ?」  リラは不貞腐れるかと思ったが、意外にもまっすぐ僕を見てうなずいてきた。 「父さんとしては、リラが本気で音楽で身を立てたいと思っているなら、あの夜の街でラップするより、きちんと練習生として事務所で頑張った方がいいと思う」 「父さん、いいの?」 「お前が頑張ろうと思っているなら、父さんも母さんも応援するよ」  リラの顔がここ数か月見たことが無いほどに明るく輝いた。親は子供が頑張りたいと思うならそれを支えるしかできない。今のリラに、それ以外に何が言えるだろう。 「母さんも、いいの?」  ハナが僕と目を合わせてからリラにうなずいた。 「私、音楽で頑張りたい。高校は通信制に行かせてください。必ず卒業するから」  本人なりに、学校に行ってないことについても考えていたんだな。 「わかった」 「父さん、ありがとう!!」  リラが勢いよく僕に抱きついてきた。子供だったリラは僕が知らない間に大人になったんだな。後ろからハナがリラを優しく抱いてやっていた。  子供たちが自立していく姿を、他の親よりも少し早く見送ることになったけれど、二人が自分の道を見つけてくれたのだからそれでいい。  僕も親にバーテンダーになることを反対されたなあ。でも店長になった時は喜んでくれた。 「やると決めたなら、精一杯頑張れよ」 「うん……頑張ります」  僕はその夜に、リラをお願いする、とテルヤに連絡をした。
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