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同僚で後輩で右腕
無事に僕はこの夏にデビューした。
デビュー曲がスマッシュヒットして、僕は個人のサトシではなくグループのリーダーであることが日常になった。
実際にデビューして仕事をしてみると、全く想像していたよりもプレッシャーが強くて、人目にさらされる、というのはこういう事なのか、と実感を持って体験している。
社長のテルヤさんは売れ方からするとこの何千倍、何万倍もの視線と人々の思いを受け止めていたのか。器が違うよな。
妹のリラも練習生として事務所に入ってきた。よく父さんと母さんが賛成したと思う。あのえげつないゴミ箱行きラップを聴いたのだろうか? オリジナルがすでに何個もあると聞いたから、そのどれかかな。
最初はリラがラップなんて、と思ったけれど、今は心から応援したい。リラの事は今でも好きだ。でも今は目の前の仕事だけに打ち込もう。リラも頑張っているのだから。
もうすぐ十八歳になる娘のリラもテルヤの事務所にお世話になることになった。サトシの時とは違い、寂しいというよりもホッとした気持ちで送り出した。これでやっと、夜の街をうろついてラップをする娘を毎日心配して胸を痛めることが無くなる。
僕は父親としてきちんと機能し対応できているのだろうか。
正直リラの件で自信が無くなった。
ハナとは何でも話して協力し合えていると思っているけれど、僕の仕事があまりにも忙しくなりすぎて、話す時間もずいぶん減った。こういう時こそ話をするべきだとはわかっているけれど、ハナに任せきりになっている部分は否めない。
いや、これは、妻への体のいい言い訳だ。
サトシの事務所契約を機にテルヤが僕の店に来るようになって、僕はいつも感じていた怯えを再度自覚した。ハナが彼の元に行ってしまうかもしれない、と。
ハナがテルヤと会わないように気を付けているのは伝わってきていて、サトシの契約に関することも、今回のリラの練習生の件も一切彼女は関わらなかった。店を手伝う時も、殆ど表には出ない。
結婚して二十年経っても気遣って振る舞おうとするハナを気の毒に思うけれど、僕たちの関係はそういうものなのだと思う。おそらく彼がアイドルでなかったら、ハナは彼と一緒になっていただろうし、僕はハナと結婚していなかった。
ハナは僕よりもテルヤが好きだ、という思いは一生消えることは無い。なのに、彼の子供を育てる覚悟をしてまで結婚した僕は今、ハナが一番好きなのか。
最近、その答えに自信が無くなってきている。
チヒロは僕が二十代の時に新店を任されるようになった時から一緒に働いてきた。仕事で一緒にいる時間が長いおかげで、お互いの性格もよく理解していて、僕が不安がる時は彼女がドンと構え、彼女が心配するときは僕が納得させる、という感じでバランスよくやってきた。
僕が先代マスターから経営を譲られた時も仕事面で支えてくれたのは彼女で、すぐに共同経営者として一緒にやってほしいとお願いした。
チヒロは元看護師で、サトシが生まれたのも彼女のおかげだし、何かと僕たち家族の事も気に掛けてくれている。
僕の右腕。そういう立場でずっといてくれていた。
そんな彼女を、女性として見始めたのはいつだったろうか。
二年前のある日、彼女に任せている店で、従業員が横領をして逃げた。
「申し訳ありません。私の管理能力不足です。責任を取って辞めさせてください」
その頃彼女は長くつきあっている男性がいて、僕も顔見知りだった。けれど、この事件が起きるしばらく前から連絡がつかなくなり、チヒロはすっかり痩せてしまい、情緒不安定になっているのが目に見えていた。
「おい、少し休んだ方が良くないか。店はもうチーフに任せよう。僕もそっちの店に顔を出すから」
「いえ、仕事はできます……」
何でもてきぱきとこなし、いつも笑顔のチヒロが憔悴した表情になっていて、このままでは仕事どころではないのは明らかだった。
「チヒロ、今日は予定変更。今から敵情視察に行こう」
「えっ?」
今日は両方の店が店休日だ。こういう日に二人で資料を持ち寄り会議をするけれど、僕はチヒロを飲みに連れだした。
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