同僚で後輩で右腕

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「チヒロは何が好きだったっけ?」 「この十数年で何度も言いましたよ、マルガリータです」 「たまに違うのも好きって言うからさ」  答えのわかっている下らないやり取りをして、少しは気持ちを軽くしてもらおうと思った。新しくできたバーがあると聞いて、そこに足を運ぼうと思ったが、その前に腹ごしらえだ。 「何が食べたい?」 「全然食欲が無くて」 「ダメだよそういうのは。酒を飲むなら食べとかないと」  行きつけの居酒屋に入った。 「何でもいいから腹に入れて」 「マスター、あんまり気遣わないでください」  僕が何とか励まそうとしているのもお見通しらしい。 「そういうところが、君は頑張りすぎなんだよ。はい、乾杯」  ビールのジョッキを合わせた。 「チヒロ、今日は友達として話を聞くからさ、そのマスターっていうのやめてくれない?」 「……わかりました、アキトシ先輩」 「まあ、いいけど」  注文したものが次々とテーブルに置かれる。ここは早いからいい。 「あれからどうしたの? 彼とは連絡がつかないまま?」 「もういきなり聞くんですか?」 「まだ話したくない?」 「いい大人なので、もっと酔ってからじゃないと言いたくないです」 「……なるほど、そうか」  出会った時は小柄な男の子かと思うぐらい髪を短くしていたチヒロは、肩までの髪をゆるくウエーブさせ、バーガンディー色の口紅が似合う大人の女性になっていて、ああ、そんなに時間が経ったんだな、僕たちは気軽に恋の話をすることが憚られるいい大人になってしまったんだ、と思った。  敵情視察と言う名目で入ったバーで、チヒロはマルガリータを頼むと、口をつけようとしてちょっと躊躇った。 「どうしたの?」 「あ……このお酒、上手かどうかとか、そのバーテンダーさんの味の好みとかわかっちゃうから……もっと後にすればよかったなって」 「……もし好みに合わなかったら、僕が帰りに店で作ってあげるよ」 「それはいい提案ですね! それなら安心して飲んじゃいます」 「どっちにしたって飲まない選択肢はないよな」 「ですね」  フフフ、と笑いながらチヒロがマルガリータに口を付けた。  こんな風に無邪気になっている彼女は見たことが無い。酒が回ってるな。余程疲れているとみえる。 「どうだった?」 「及第点……先輩のが美味しいです」 「酒の味褒めてもらったの初めてかも」 「何度も美味しいって言ってきたはずですよ?」 「マルガリータは初めてだ」 「そうでしたっけ」  どうして僕はこうやってチヒロに甘えるようなことを言ってしまうんだろう。そういえば、僕はハナにこういう事は言わないな。  チヒロは、人の気持ちを引き受けるのが上手い。じゃあそのチヒロは誰に頼っているんだろう? そう考えた時に、彼女のやつれ方や不安定になった理由がわかった気がした。  おそらく、今までつきあっていた彼氏がそれを担っていたのだ。弱音を吐かず、いつも笑顔で、人の分まで引き受ける彼女が本音を話せる唯一の存在。  チヒロは今からどうやって気持ちの行き場を作っていくのだろうか。
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