おまじないだろ?

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おまじないだろ?

 夫の店にたまにヘルプに入る。スタッフが急病の時や、夫が出張の時に。  お酒を飲む側だった私がお酒を提供する側になるなんて、思ってもみなかった。  人生って面白いな。  基本カクテルはバーテンダースタッフに作ってもらうけど、簡単なものであれば、私も時折作って提供する。もちろん、お客様に出せるだけのクオリティーになるまで、夫から作り方を特訓されて今に至る。  今夜は、店長でありバーテンダーの夫は出張だ。スタッフも零時過ぎには上がる。午前二時までの営業だけど、バー営業は私だけでは無理だ。  閉めようかな……  そう思っているうちに、若いスタッフがお疲れ様です、と上がっていった。  うん、今日は平日だし、目標の売上には達したし、閉めよう、と思い表の表示をclosedに変えようとドアの前まできたら突然扉が開いた。 「アキトシ! また来たよ」  ジャケットの裾を翻して入ってきたのは、昔酷い別れ方をしたテルヤだった。色々あったけど、今では夫の友達。 「あれ? 何でハナがいるの? アキトシは?」  昔と変わらない表情で微笑む。直接顔を見るのは二十年振り。髪は長めで、跳ねるようなゆるいパーマを全体に掛けている。  カッコイイね、相変わらず。色の薄いサングラスの奥の瞳は昔と変わらずきれいだ。アイドルのお兄ちゃんは、笑い皺の素敵なイケオジになったんだね。 「出張で……ごめんなさいね、アキトシがいないしもう今日は閉めようと思ってて……」  こないだ夜の街で偶然に出会い、後ろから抱きすくめられた。元彼に二十年ぶりに会うなんて女には嬉しくもなんともない。思い出は思い出のままの方が美しい。そういう年齢になっている。  二人でいたくない……。飲むのは諦めて帰ってほしい。 「スタッフも上がった?」 「そう、だから今日はもう……」 「ハナがいるじゃん……?」  離れる間も無く、彼は私を当たり前のように腕の中に閉じ込めた。両腕が、背中から腰、肩から頭を包み込む。  どうして今更こんな事をするの? 元カノと言ってももう大昔の話だよ。こないだと同じ香りがする。昔の香りと似ているけど少し違う、まろやかで落ち着いた香り。 「テルヤお願い、店を閉めたいの」 「閉めておいでよ」 「帰って」 「帰らない。俺が今日最後の客ね」  ああこのやり取り。こういうの初めて会った時のエレベーターでもやったなあ。こういう時彼は絶対にきかない。人って変わらないのかな。  彼が腕を解いたので、私は店の表示をclosedにして、看板の明かりを落とし、ブラインドを下げた。 「ご注文は……?」  仕方がない。お客様として接しよう。  彼が座るスツールの後ろを通り過ぎてカウンター内に戻ろうとした。 「んーとね……」  テルヤはクルッと振り向き腕を伸ばすと私の腰に腕を巻きつけ自分の方に引き寄せた。  倒れる! と身が縮まったけど、倒れたのは彼の腕の中だった。 「注文していい……?」  薄いオレンジ色のサングラスを外そうとするテルヤと、目が合った。  あ、ダメ。  抵抗する時間の隙もなく唇を奪われた。  冷たい唇と熱い指先。昔とおんなじ……。 「ダメ……んっ……」  ダメだと言うために口を開いたのに当たり前のように舌が入り込む。  昔と変わらないキス。  あっという間に感覚が蘇る。  水の中で溺れそうなこの感じ。体に力が入らない。  何でこんなに時が経っているのに、昔と同じように感じてしまうのか。私はひたすら混乱した。  キスの後に彼の目が変わっていませんように。  もしそうなら私はどうしたらいいかわからない。
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