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そんな突然の出来事から十日ばかりが過ぎました。
カウンターの隅に置かれた小さな宝石箱。
その中に、キース様からお預かりした時計が入っています。
もちろん、鎖をつけかえ、時計盤も完璧に治っております。
あとは訪れたキース様のお友達の方がご来店いただき、お好みに合わせた装飾をほどこすだけです。
「ここのところ機嫌が良いな」
茶飲み仲間に先日、そう言われました。
そうかもしれません。
あのキース様のお友達がいらっしゃるとなれば、嫌でも楽しみと言わざるをえません。
どのような方なのでしょうか。
騎士団のご戦友。
または、可愛らしいお嬢さんが姿を現すのでしょうか。
息子が初めてガールフレンドを連れてくると言った時の気持ちのようでございます。
カランカラン
昼を少し過ぎた時間。
扉の鳴鈴が私を呼びます。
もしや?
「いらっしゃいませ」
「父さん、久しぶり」
現れたのは、息子、アレクスでございます。
「何だ。お前か」
もちろん嬉しくない訳ではありませんが、わたくしはつい、いつもこのようにして息子を出迎えてしまいます。
「ひどいなぁ。久しぶりに帰って来たのに。でもそう言うと思って、今日はシェーラとリリとクレシュも一緒だよ」
いつもの事なので、アレクスは苦笑しながら店の中へとやってきます。
その後ろからアレクスには勿体無いよく出来た嫁のシェーラ。
そして幼いわたくしの孫二人が、シェーラの手に連れられています。
「ごきげんよう。お義父様」
「おじーちゃま」
「おぉ、リリにクレシュ」
親馬鹿ならぬ孫馬鹿でございましょう。やはりどんな偏屈爺になっても、孫には敵いませんな。
「久しぶりに、外へ食事でもしに行かないか?」
とアレクス。
ですが、私は店を空けるわけには参りません。
キース様のお友達がいつご来店されるか分かりませんでしょう?
わたくしが返事に迷っている事に、シェーラが事情を察したようです。
「お客様がいらっしゃるのですか?」
「実はそうなんだ。大切なお客様でね」
おじーちゃま…と、リリとクレシュが悲しげにわたくしを見上げますが、ここは我慢我慢です。
「そう。いつ頃?」とアレクス。
「さあ。今日か明日か明後日か…」
わたくしの応えにアレクスが呆れたとばかりに目を丸くしました。
シェーラと驚いて顔を見合わせております。
わたくしは変人呼ばわりされる事には慣れておりますので、気にしてはおりませんが。
「では、私がお昼ご飯とお菓子を作りますわ」
とシェーラがわたくしに笑みを向けます。
「だからみんなで、おじいちゃまと一緒にお客様をお待ちしましょうね」
子供達が歓声を上げて「お待ちするー」と台所がある奥の方へとかけて行きました。
本当に、よく出来た嫁でございます。
店のカウンターにわたくしとアレクスが残されました。
「その大切なお客様というのは、どんな方なんだい」
静かになった店の中。
カウンターの上に置かれた工具を何気なく触りながらアレクスが呟きます。
わたくしはカウンターの宝箱から、レースにつつまれた例の時計を取り出しました。
アレクスはその何も装飾のない状態の時計に酷く驚いたようです。
「飾りはまだこれからなんだよ。そのお客様がいらしてから、ご相談を受けるんだ」
「でもいつになるか分からないんだろう?」
変わったお客様だと付け加えてアレクスが立ちあがりかけた時、本日二度目の鳴鈴がわたくし達を呼びました。
「「いらっしゃいませ」」
わたくしとアレクスの声が重なります。
そのお客様がいらっしゃった。
直感で分かりました。
光が溢れる扉の向こうから伸びてくる、長身の影。
キース様の時より長く、大柄でした。
そしてまず目に入ったのは、キース様の深紅と対照的な、涼やかな海の深蒼。
隣でアレクスが「あ!」と驚声を漏らしたのが聞こえました。
「お忙しいところ申し訳ない」
深いテノールと共に扉が閉められ、わたくし達の前に姿を現したのは、キース様率いる虎騎士団と対照的な「剛」を司る獅子騎士団長の御衣裳を身に纏われた、青年でした。
ブラウンに所々黒曜が混ざった精悍な瞳と髪の色。
ロストリア人特有の白い肌が青い制服のせいか、更に白く見えました。
だが女性的に見えないのは、凛々しい眉と双眸、そして口元と真直ぐ伸びた長身と堂々たる姿勢故でしょう。
彼も、先月団長に就任したばかり。お名前は確か—
「ノーマンと申します。先日、キースという者がこちらに何かを預けていったと思うのですが」
何と言うことでしょう。
これでこの十日のうちにこの店にロストリアの騎士団長様がお二人も足をお運びになった事になります。
「はい。承っております。どうぞこちらへ」
こみ上げる興奮を足元にふんずけて抑えこみ、わたくしはいつもの笑みでノーマン様を、カウンターの前の椅子へとお迎え致しました。
「失礼する」とアレクスにも会釈を向けて、長い両足がカウンターの方へと歩みよります。
「…?」
その足取りに、わたくしはつい首を傾げました。微かに体の重心が傾いでいるのです。身体のどこかを庇っているような歩き方だと思いました。
お怪我をなさったのでしょうか。
それに気がついて、失礼ながら改めてノーマン様を観察してみれば、右手の白い手袋に対して左手は、素手に白い包帯を巻いた状態でした。
「お客様がいらっしゃいましたの?」
奥からシェーラの声がします。スリッパの軽く柔らかい足音が近づき、
「お客様も、お茶をいか…」
ノーマン様におどろいたのでしょう。
語尾が間の抜けたように途切れてしまっておりました。
「あー!騎士様!」
「騎士様だ!」
すぐ後ろから今度は幼子達の声です。
店の中が突如に騒がしくなってしまいました。
「こら!も、申し訳ございません」
シェーラが、ノーマン様に駆け寄ろうとした子供達を、慌てて後ろから捕まえます。「やーだー」と手足をバタつかせる孫たち。
「っはは」
小さく笑ってノーマン様はまずシェーラに会釈をみせられ、そしてその場に片膝をついて孫達に視線を合わせると、
「ノーマンだ。よろしくな」
とクレシュの頭を撫で、リリの小さな手を取りキスをされました。
さすが騎士様。リリは頬を染めて無邪気に喜んでいます。
すっかり恐縮して言葉を無くしてしまった息子夫婦をよそに、わたくしは改めてノーマン様に椅子をすすめました。
カウンターの上に置かれたそれに目を留められたノーマン様の双眸が、驚きに見開かれました。
「これ、は……」
何故ここにこれが?
と言う戸惑いの色を双眸に表し、恐る恐る懐中時計を手に取られました。
鎖がぶつかり合う不安定な響きが、室内に転がります。
「すっかり直りました。後は装飾をつけるだけです」
「直……った?」
何やらお話が通じていないご様子。
わたくしはひとまず、キース様がご来店なさりこの時計を置いて行かれるまでの経緯をご説明申し上げました。
「ええ。だいぶひどく傷がつき、歪んでしまっていたので」
「…………」
「これは、ノーマン様の時計だとうかがったのですが?」
「ええ」
眉目に影を落とされたノーマン様は、ですが私の問いに顔を上げて笑みを見せてくださいました。
「これは、二十年前に母がここで購入したものです。その時、俺も一緒だったらしいのですが、覚えていなくて」
ノーマン様のそのお言葉に、わたくしの脳裏に光が灯されました。
そう。
わたくしは、自分の作品を決して忘れない。
そして、その作品を作り上げる時に想ったお客様のことも。
ノーマン様のお顔を間近で見て思い出しました。
店にやって来られた、黒髪の女性。
目立つような美人というのではなく、たおやかで清潔的な雰囲気のお綺麗な方でした。
確かに、彼女の片手には、幼い少年の手がつながれていました。
無口であまり喋りませんでしたが、利発そうな少年でした。
「おお……あの時の…」
わたくしは懐かしさのあまり、何度も頷き返してしまいました。
「騎士団に入団する時に、守りにと母から譲り受けて以来、ずっと身につけていたのです」
「そうでしたか」
ほう、と後ろの方からアレクスの溜息が聞こえてきました。
少しはこの老いぼれの事を見なおしでもしたかと期待したいところです。
話の区切りと見て、シェーラもお茶の用意をしに奥へと戻っていきました。
子供達は、部屋の隅にある椅子に腰掛けて、おとなしくノーマン様を眺めています。
「失礼ですが…」
ノーマン様のお口が止まったところで、わたくしはずっと疑問に思っていたことを打ち明けることにしました。
「キース様がこの時計を持ってこられた時には、蓋に酷い傷がつき、文字盤も歪んでおりました。一体どうなされたのですか?そう滅多なことでは…」
すると、それと分かるくらいに、ノーマン様の双眸に悲しい影が落ちました。
自らを恥じるように。
「申し訳ない…。恐らくそれは」
といいながらノーマン様は包帯がされた左手をカウンターに乗せられました。
「先日、不覚にも刺客による襲撃を受け、その時に…」
「しきゃく??」
「まもののこと??こわーい!」
子供達の声がノーマン様の言葉を遮って響きました。
「これ!大人しくしていなさい」
アレクスに注意を受けて子供達は身をすぼめて大人しくなってしまいました。
「その時に、お怪我をなさったのですね?」
痛々しい包帯に私が目をやると、少し恥じらいを含んだ苦笑でノーマン様は深く頷かれました。
「三日三晩、意識が無かったようです。未熟で恥ずかしい話ですが」
「……」
ちょうどお茶を運んできたシェーラが絶句しております。
「そのとき、ノーマン様はこの時計をどこに装着なさっていたので?」
わたくしの質問にきょとんと子供っぽく目を丸くされて、ノーマン様は自らの左胸に手を当てられました。
「首にかけて、内側の胸ポケットに」
「さようでございましたか」
脳裏で蟠っていた謎が全て氷解しました。
キース様が数日前にこの壊れた時計を持ってきたこと、一週間以上経ってから現れたお怪我をなさった様子のノーマン様。
「それはきっと、この時計が、お母上がノーマン様のお命を守ってくれたのでしょう」
「!」
ノーマン様の瞳が真直ぐにこちらを見つめます。
わたくしが満面の笑みと頷くと、ノーマン様は左手を左胸元に添えました。
恐らくは、そこに酷いお怪我をされたのでしょう。
寸でのところでこの時計が命を救ってくれたのだと、今ここで実感なさっているのかもしれません。
「キース様が、それはご熱心にわたくしにこの時計を直してくれと懇願されました。一週間以上前の事ですから、ノーマン様が意識不明で臥せっておられた頃ですね。ノーマン様の御快復を真剣に願うお心故でしょう」
命を救ったこの時計を直せば、ノーマン様が目を覚まされるのではないか。
そんな神か藁でも、この際この町外れの時計職人でもいいからすがりたいという健気なお気持ちが、ひどく尊いものに感じられます。
「…………」
ノーマン様は、時計を見つめて無言です。
整った口元が、溢れる感情を堪えるように唇を噛んでいます。
泣き出すのを我慢している幼い頃の孫達のよう。
カウンターの端に座っているアレクスも、先ほどからノーマン様のご様子を見つめたまま、言葉を無くしています。
お茶を載せた盆を持ったままのシェーラも、背中で感じられる雰囲気から、恐らくは同じように立ち尽くしているのでしょう。
騒がしかった子供達でさえ、肩を寄せ合って青い騎士様のお顔を覗き込んでいます。
やれやれ。
やはり騎士団長様といえ、わたくしのような年寄りからすれば、やはり愛らしい幼子と一緒ですな。
「さて」
わたくしはカウンターの引き出しからスケッチブックとペンを取り出しました。
「…?」
ようやく顔を上げたノーマン様に、わたくしは満面の笑顔を向け、こういいました。
「さて、ノーマン様に最もお似合いになる装飾をおつけしますよ」
わたくしは、ロストリア城下町にて時計屋を営んでおります。
姓をドラギオン。
名は曾祖父の名を受け継ぎドミトリアンと申しますしがない下町の時計職人。
本日も、お客様のために世界に二つとない時計をお作りしております。
終
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