【短編読切SS】紺色の傘はもう探さない

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 「お前といると雨ばっかりだな」  吐き捨てるようにいったその言葉がサヨナラ代わりだとは、想像もつかなかった。会社帰りに傘を忘れ雨に打たれる私の横で、彼は紺色の折り畳み傘をバッグから取り出す。良かった、と一緒に入ろうとする私を突き飛ばし、私は思わず尻もちをついたのを横目で見ながら、そのまま彼氏は去っていった。  いや、この場合は別れを告げられたのだから元カレと呼ぶべきだろうか。まさか私と一緒だと雨ばかりだから、というのがフラれた理由だとは――あの瞬間は思わなかったけれども。  叩きつけるような雨がやけに冷たく思えたのは仕方がない。  その後の連絡が一切とれなくなって、ああ、私は捨てられたんだと気づく。たった、それだけでと思い返したけれど……思い当たることはいくつもあった。マンネリ化していたデート、着飾らなくなった私、そして彼は新しい職場に移ったんだ、という話を思い返す。  私の中での梅雨は続いていて、あれからずっと心の雨が止まない。そうこうしているうちに、実際のまで曇りやがて雨へと変わっていった。これが私の涙の代わりなんて一切思っていないし、叫び泣いて元カレが戻ってくるならいくらでも泣こう。でも、そんなことはあり得ない。  ――それでも私は、今でもあの時に去っていった紺色の傘を探している。  悲しいかな、今日も傘を忘れてしまった。学習しないとはこのことだ。だから、フラれるんだよと自虐的に笑う。それでも諦めきれずに別れたあの駅の前をフラフラと歩く。髪を、肩を着々と私を濡らす冷えた雫。その視界の、遠く遠く向こうに紺色の傘が見えた。  探しているからだろうか、運命だろうか、奇跡だろうか。元カレの、あの傘だ。ぶわっと溢れんばかりの涙が込み上げる。近くにいって声をかけようとした瞬間、元カレの横に新しい彼女がいるのに気づく。軽やかな笑い声、可愛らしく紅潮する頬、そして彼女は元カレの傘に一緒に入った。  ――私は入れなかった、元カレの傘に。  奥歯を噛みしめる。神や仏がいるのならば、きっと諦めきれない私へ現実を見せてくれたんだ。涙をこらえるために大きく息を吸う。……今度は傘を忘れないようにしよう。(きびす)を返した私を「どうぞ」と男性の声と共にビニール傘が覆う。  スーツの男性は私が首を振ると、「ダメです、返さなくていいので使ってください」と押し込むように渡された。「でも、それじゃあなたが――」とっさに私が返答するとスーツの男性は「大丈夫です」とだけ繰り返す。その場に残された私は、その走り去る背中をぼんやりとしながら眺めていたのを思い出す。  手元に残ったビニール傘。どこにでも売っているビニール傘。雨が止んだら男性を探しに行こう。あの時はありがとう、とお礼を伝えたい。  そして変わろう。 誰もが傘を入れたくなるようなーー私は、そんな女性へと。
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