【第一部】ep.11 祈り

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【第一部】ep.11 祈り

 雨の季節が通り過ぎようとしている頃だった。 「大月君!」  顔を紅潮させた小松先生が教室に飛び込んだ。 「青君、青君、センセイ来たよ!」 「!」  青が反応するよりも速く、つゆりが立ち上がった。半液体のようにだらしない姿勢で座っていたトウジュも弾かれるように飛び上がる。  胸に大判の封筒を抱いた小松先生は転びそうになりながら教壇へ。青、トウジュ、つゆりの三人も駆け寄って集合する。  小松先生の頬はリンゴのように紅潮して、大きな瞳は潤んでいるようだ。 「どうぞ、開いてみて」  渡された大判の封筒は厚みがあった。何事かとざわめく教室の視線の中、青は封筒を開く。金の箔押しの縁取りが顔を出した時点で、 「きゃー!!」 「おおーー!!」  つゆりとトウジュが先に声を上げた。勢いに押されて引き抜くと、中から証書が四枚。  薬術 一級 合格証書  毒術 一級 合格証書  罠工 一級 合格証書  式術 一級 合格証書 「すっげぇ!」 「やったね!」  青の左右両側から勢いよく抱きつかれて、証書を取り落とし教壇に落ちる。小松先生が慌てて拾い上げていた。何人かの生徒たちも集まってきて、見たことのない金飾りの証書を珍しそうに覗き込む。 「凄いですよ、大月君。七歳で薬と毒は最年少記録に並びました。罠と式は最年少記録更新です」  周りの子どもたちが「凄いの?」「すごいんだよ」と騒ぐ中、トウジュとつゆりに挟まれた状態の青は一人、どこか他人事のように周囲を見渡していた。  小松先生も、トウジュもつゆりも、自分よりも喜んでいて。学級の子どもたちは、自分よりも驚いていて。  ただ、 「師匠に知らせなきゃ」  なんてことを考えながら、青は笑顔で「ありがとう」と祝福に応えた。 *  放課後、霽月院に帰宅した青は個室に直行した。  藍鬼の作業小屋の居間程度のおよそ八畳間、子ども一人には十分な広さだ。最低限の、しかし不足のない棚や文机等の簡素な家具も揃っている。  障子張りの格子窓を開き、さらに硝子窓を開け放つと、院の中庭の景色が広がる。白と茶を基調とした花壇には紫陽花が花開いていた。昨晩降った雨粒の残りが陽光を反射させて宝石のように煌めいている。  青は空に向かい両手を掲げた。瞳を閉じて一呼吸し、開けると、手のひらに浅葱色の小鳥が停まっている。青が習得した式鳥だ。 「これを、師匠に」  四つ折りにした、四種一級合格を知らせる手紙を黄色い嘴にくわえさせ、空へ放つ。式鳥は窓の前で旋回し、森の方向へと飛んでいった。藍鬼が不在であれば、小屋付近のカシのウロへ落とすよう、式鳥には教えこんである。手紙を見つけ次第、藍鬼からも式鳥が寄越されるはずだ。  これまででもっとも楽しみな返事を心待ちに、青は静かに窓を閉めた。  ところがそれから三日、五日、梅雨が終わりを迎え紫陽花が枯れても、藍鬼からの返信は無かった。  珍しい事ではない。長期の任務だといって、一月(ひとつき)以上会えなかった事もあった。  式鳥を使えるようになる前は空振りに終わることも多かったはずだが、便利な手段に慣れるとせっかちになってしまうのかもしれない。 「のんびり待つしかないかな」  少なくとも藍鬼が自ら定めた課題の期限とする夏までには会えるはず。  そう開き直ろうとしたところ、報せは意外なところから舞い込んできた。 「大月君」  それは、慌てた様子の小松先生からだった。  教員室を抜けて更に奥、校長先生の執務室まで共に向かうと、校長先生と教頭先生、年中行事でしかそろって顔をみかけない面子が青を出迎える。  白い長衣を身に着けた初老の男が校長先生で、校長先生と色違いで裾が短い薄青の長衣の初老の女性が教頭先生だ。  位の高い人は裾や袖が長い服を着るのだな、などと頭の隅で考えながら、青は居並ぶ大人たちへ一礼する。 「四種の資格試験の一級合格、改めておめでとうございます」  第一声は、好々爺な校長先生からの祝福だった。校長先生は誰にでも敬語を使う。小松先生と同じだ。 「よくお勉強を頑張っていたって、小松先生からも聞いていたのよ」  校長先生の隣から「ばあば先生」と子どもたちから愛をこめて呼ばれている副校長先生も、地蔵のような笑顔だ。 「そこでね」  改まったように、校長先生は居住まいをただす。背もたれの高い椅子が年季の入った軋み音を漏らした。 「長が、大月君にお会いになりたいと」 「長?」  あのおじちゃん、と言いかけて青は慌てて空気を飲み込んだ。  長に謁見したのは二年前の一回きりで、青もこの二年間で社会というものを多少は学んだ結果である。  先生いわく、優秀な成績を収めた子どもの激励のため、長への謁見が行われるのは慣例であり、栄誉な事であるという。 「あ」  ここで青は重要な事を思い出す。 「僕、行き方が分からないです」  前回は藍鬼が抱えられて空から侵入したのだから。 「先生と行きましょうね」  小松先生の笑顔は、少しだけ緊張で固くなっていた。
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