【第一部 完結】ep.15 選択

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 八年後。  季節は、青が凪之国へやってきて十一回目の春を迎えていた。 「セイ君!!」  大声で名前を呼ばれて振り返ると、医療院の白衣に身を包むタイが手を振っていた。 「三葉先生」  笑みとともに一礼する。タイは白衣の裾を揺らしながら、医療院の廊下を小走りで青の元へ駆け寄った。  青は十五歳になっていた。  順当に初等学校および中等課程を修了。卒業と同時に下士に合格し、法軍の正規職員―つまり法軍人となった。  配属先は、法軍属の医療院。薬術と毒術の上位資格が評価されてのことだ。今は医療従事者専用の、白を基調とした真新しい制服を身に着けている。胸元に氏名と、腕に凪之紋章が刺繍されていた。 「そうだった、私も「大月君」って呼ばなきゃね」  初めて蟲之区で出逢った頃と変わらないタイの笑顔が、青を迎える。 「僕もうっかり「タイさん」って呼びそうでした」  タイの本名は三葉泰(みつばたい)。将来の夢として語っていた通り、医者として医療院に勤務していた。  場所を医院の中庭に面した外廊下へ移す。  コの形をした医院の建物が見渡せ、緑と季節の花、小さな水流が設けられた美しい庭では、入院患者と思われる人々がそれぞれの時間を穏やかに過ごしている。 「それにしても、おっきくなったね」  外廊下へ出るや否や、三葉は青を振り返る。自らの頭と、青の頭の上へ手を交互にかざした。青の身長は、三葉より頭一つ分ほど追い抜いている。 「あんなに可愛かったのに」  三葉の表情は、目まぐるしく変わる。ガキ大将の少年のようだった八年前の面影を残しながらも、医者としての風格、空気を纏っていた。 「男の子ってちょっと見ないとすぐ大きくなっちゃう」  三葉は両手で青の肩、上腕、腿と順番に叩いていく。悪気も遠慮もない。口を挟む機会を失った青は、ただ苦笑しながら三葉の好きにさせていた。 「大月君は、当院期待の新人なんだから」  最後にまた肩をバンバンと叩きまくって三葉は豪快に笑う。  薬術と毒術はじめ四種の甲に合格した新人として、正式な周知を前に、三葉の耳に青の噂は届いていた。  八年かけて、青は薬、毒、罠、式において上位資格の甲の合格を果たしていた。  それも、今や薬術の麒麟へと上り詰めたハクロの師事と人脈の賜である。上位資格において任務経験は必須となるため、正弟子となることの意味は非常に大きかった。 「頑張ります」  無難な応えと共に、青は静かに笑い返した。 「そうそう」  思い出した、と三葉は顔の前で手を叩く。 「可愛かったと言えば」  一人で何かを思い出して笑っていた。 「覚えてる?「キョウちゃん」のこと」 「え」  無意識に青の肩が震えた。  キョウに会えたらお礼を言うこと。  この目標が、八年前から未だに達成できていない。あれから蟲之区でキョウを見かけることは一度もなかったのだ。 「あの子、任務バカだから都にいないことが多くて」  三葉の中でキョウは、戦闘バカから任務バカに昇格していた。 「次々と武勲を立てるものだから、来年には上士になるんじゃないかって」 「凄いですね。今も任務に?」 「検診すっぽかしてね。今日は絶対に来なさいよって式を送りまくったから、そろそろ…あ」  一人で青の十倍の文字数をしゃべる三葉の声が途切れた。中庭の向こうに見える正面玄関の方へ手を振ると「こっちこっち」と身振り手振りで誰かに伝えている。 「せっかくだから会っていったら?」 「どこですか?」  外廊下の手摺に少し身を乗り出して中庭方面を探すが、それらしい人物は見当たらない。あの水面のような髪色は目立つはずなのだが。 「よ」  突如、背後に気配が現れ長い影が差し、低い声がした。 「ん?」  振り向くが目の前にあるのは法軍の肩当て。 「え」  顔を確認するには更に首を上げなければならなかった。  青の頭一つ分上に、水面色の瞳がある。  整った容姿の名残はそのままに、身長と骨格も鑑み総じて「精悍な青年」がそこにいた。以前は後ろで結んでいた髪も、今は全体的に短く刈られている。 「ようやく来たわね、キョウちゃん」 「三葉センセイ、その呼び方はそろそろ…」  キョウちゃん、と呼ばれた青年は居心地悪そうに首の後ろをかいていた。 「確かにそのナリじゃもう似合わないか。あんたも可愛かったのに」 「……」  完全に置いてけぼりにされた青は、ただ二人のやりとりを眺める。 「そうそう、覚えてる?大月青君。うちの医院配属になったんだ」  三葉が話の矛先を青へ急旋回させた。青年の瞳が青を向き、細められた。 「もちろん。無事だったようで良かった」  八年前の捜索任務のことだ。あの頃と同じ、大人びて落ち着いた語調だが、声が明らかに低い。「あ」とようやく青は我に返る。 「あの時はありがとうございました。小屋のことも」 「いいよ。それよりご愁傷さま。三葉センセイの部下は大変だよきっと」 「うるさいわね、余分に血を抜いてやりましょうか」  院内から、時刻の区切りを知らせる鐘が聞こえてきた。 「検診行くわよ、峡谷豺狼(サイロウ)准士」  三葉は強引に青年を院内へ押し込んだ。 「じゃあ、大月君。明日からよろしく!」  そして手を振って慌ただしく廊下の先へ大股で歩き出す。やれやれ、といった風に青年はその後を追いかけていった。 「…え?サイロウ…?」  どこかで耳にした覚えのある名に、青は思考を止めた。 *  明日からの勤務地となる医院内を一通り巡って挨拶を済ませた後、青は医院の敷地を後にした。    制服のまま、次の目的地へ向かう。 「はぁ…」  道中、再会した二人の事を思いやる。  特にキョウの成長ぶりには驚かされた。  蟲之区で出逢った頃は、てっきりお姉さんだと勝手に勘違いをして、きれいな人だと勝手に憧れていた。今となっては犬の餌にもならない、幼い頃の初恋話みたいなものだ。 「サイロウ」という名前はかつて学校で、つゆりが噂話として仕入れてきた「学校始まって以来の天才」の名だ。幼くして下士に合格して一人前の法軍人になったという。  森へ捜索に来てくれた時に「下士」と話していたが、あの時に気が付かなかった事が悔やまれる。  だがいずれにしろ、八年前から気がかりだった目的は達成できたのだ。 「よし」  青は次の目的地である、七重塔を見上げた。 *  七重塔 長執務室。  ここへ最後に来たのは、中等課程を卒業する直前の、まだ早春の風が肌寒い季節だった。  凪においては軍属となれば「成人」とみなされるため、長の未成年後見人の役目は打ち切られる。その手続きと挨拶のために謁見した時だ。  今日の訪問は、難民の幼い子どもではなく、凪之国法軍の一員としてのものだ。 「入りなさい」  今日は扉の両側の門番が不在だ。青は自ら扉に手をかけ、押し開く。  執務室は薄暗い。硝子張りの窓に遮光布が掛けられているのだ。 「大月青、参じました」  薄暗闇の中、中央の巨大な執務机の向こうに長の姿がある。灯りは長の背後と、机の両脇の燭台だけ。扉を閉めてしまうと、執務机とその周辺二歩分ほどにしか灯りは届かなくなる。  他にも異質なのが、室内の同席者の顔ぶれだった。執務机の脇、左右に二脚ずつ椅子が置かれ、合計四人が腰掛けている。  四人とも首から足首までを隠す白い外套を身に着けており、顔にも揃いの白面を装着。薄闇も手伝って、年齢、性別、体格も隠れて判別し難い。 「楽にしなさい」  長はいつもの、貼り付けたような微笑みをたたえている。  促され、青は腕を後ろで組み、足幅を少し拡げた。 「ここにいる面々は、技能職位管理官だ。察していると思うが、職務にあたっては一切の素性を明かすことが許されていない。窓を塞いでいるのもその為だ。本日は立会人としての同席なので、言葉を発することもない」  長が説明をしている間、四人の白仮面たちは微動だにしない。人形ではないのかと疑うほどだ。 「さて」  と、長の視線が白仮面たちから、青へ改まる。 「本日君に参じてもらったのは、意思確認のためだ」  呼び出しを受けた理由は事前に聞かされていた。他でもない、この八年間、青の「正式な」師匠であった薬術師のハクロから。  技能職位は三級から始まり一級までが資格。その上は丙から始まり甲までが上資格。  そこから上は専門職位となり、ただ一つの師道しか選ぶ事を許されない。  よって技能術の甲の合格者は必ず、技能職位管理官立会の元、長との意思確認面談を受けなければならない。  つまり、あらゆる技術師の素性を知る者は、長とここにいる技能職位管理官のみに厳しく限定されているのである。  また秘密厳守は技能師本人にも厳しく課せられる。  狼獲得前には師との正弟子関係は解消しなければならない。  狼の紋章を獲得した暁には、技能師として活動するにあたり顔を隠す事、また「務め名」と呼ばれる偽名の使用が義務付けられる。  師や家族であっても、知る事は許されないのだ。  そこまで厳秘に付する理由。  技能師本人と、創造物を保護するためだ。  高位の技能師はそれぞれ独自に術や道具や薬品等の創造物を生み出す。  いずれも高威力・高効能を持ち、中にはあまりの効力の凄まじさに発禁扱いとなる物もある。  そうした創造物を凪の資産として保護するために、作り手の素性を隠す事で作り手自身も護り、国内外での強奪による流出を防ぐ目的があるのだ。 「君は今、四つの甲を取得している。残念ながら選べる道は一つだ」  長は書類を机に置いて脇に避け、両手を体の前で組んだ。 「その心は既に、決まっているのかい」 「はい」  青の返答に躊躇は無かった。部屋に入室した時から、長の瞳を真っ直ぐに見つめ続ける。 「毒術を選びます」 「…なるほど」  長の瞳孔が、微動したように青には見えた。心の揺れを隠すかのように、長は机上の書類の中から一枚を手に取る。 「知っていると思うが、今、毒術の麒麟は不在だ」  四人の技能職位管理官も、変わらず微動だにしない。静かな室内で、吐息の変化すら感じ取れなかった。 「毒術師、禍地。十年ほど前に麒麟の称号を受けて間もなく、凪から出奔した。禍地の死が確認できない限り、新たな麒麟を座に据える事はできない」  長は淡々と事実を読み上げた。 「重々理解していると思うが、法軍人による国外逃亡は死に値する大罪だ。技能師に限らず。下士であろうと特士であろうと罪の重さは変わらない。必ず探し出して抹殺しなければならない」  法軍で発生する高難易度指定任務の内、実に一割近くが、そうした反逆者の捜索および抹殺であると、中等課程の講義で青も耳にした事がある。  最大の目的は「力を持つ者を野放しにする事の危険性」の排除だ。「持つ者」の目は眩みやすい。  技能師の出奔の場合はそこに、技術力や創造品の流出の阻止という側面も出てくる。  さらに麒麟には特有の「継承制」がある。  唯一の存在である麒麟は、同職の龍にのみ引き継がれるというもの。  麒麟は次の麒麟を選ぶ。  それは同時に、龍が麒麟を食らい奪う側面も持ち合わせる。  麒麟に異常ありと長および管理官らの判断がなされれば、龍の中から適格者が選ばれ、抹殺命令が下される。 「八年前、我々は麒麟抹殺任務に龍を送り込んだ。だが、失敗した」 「……」  青と長の視線がかちあい、刹那、静寂が過(よ)ぎった。 「よって、毒術で麒麟を目指すならば奴を抹殺するか、誰かに殺されるか、さもなければ寿命が尽きるのを気長に待つしかない」  麒麟の継承が途切れる―後者が凪の毒術師ひいては技能師全体にとって、どれだけ不名誉か。今の青には理解できた。  麒麟抹殺に失敗した藍鬼の名誉も、更に墜ちる事となる。 「今の毒術の師道は、稀に見る酷道だ」  誰かの、細く長い吐息が聞こえた。 「それでも、毒術を選択するか」 「はい」  青の答えは短く、明瞭だった。  ―俺と同じ轍を踏まないで欲しいと願う  この日初めて、青は師・藍鬼の願いに背くこととなる。 毒使い 第一部 完
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